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「……うふふふっ、あなたって、ほーんと、可愛い」
お姉さんは妖艶な笑みを浮かべ、私の髪をその白く長い指でそっと触れる。
人を惑わすような瞳とは不釣り合いな、上品で清涼な香りが鼻を掠めた。
赤い唇が私の耳元に近づいて、少しハスキーな声で優しく囁く。
「……好きになっちゃいそう……」
(お、お、お姉さん……っ!? わ、私は……っ)
◇ ◇ ◇
「ちょっと、お母様に、ニコラ! またドレスを新調なさったの!? 今月で、何着目ですか!」
送られてきた仕立屋からの請求書を手に持ち、私はガーデンルームへ飛び込む。
「もう、セレス。そんなに大きな声を出さなくても、聞こえますわよ〜」
お母様は優雅にティーカップに口を付けた。
「そうですわ、そんなに怒らないで、お姉様。お姉様も新調なさればよかったのに」
母の向かいに座る4つ下の妹ニコラが、こちらに振り返った。
「そうですわよ。我が家は名門ヴェント伯爵家ですのよ! 夜会でみずぼらしい格好はできませんわ、ね? ニコラ」
「はい、お母様!」
危機感のない二人は顔を見合わせ、微笑み合っている。
請求書を持つ手が震えてくる。
(ド……レスを新調するお金が……、どこにあると思ってますのよ……っ)
我が家ヴェント伯爵家は、借金まみれ。名門なんて名ばかりの、没落寸前の貧乏伯爵家だ。
祖父の代までは、その頭脳や手腕で王家に恩を売れるほどだった。しかし、祖父が亡くなった五年前から、徐々に崩れ始める。
人の良い父は騙されて借金を作り、浪費家の母や妹は、これまでの裕福な暮らしのまま改めない。
『名門ヴェント伯爵家』。その、過去の栄光に縋ってばかりで現実を見ようともしない。
「お姉様! そんなに心配なさらなくても大丈夫ですわ! 私が、今度の夜会で名家の子息を捕まえて、玉の輿に乗りますわ! そうしたら、借金なんてすぐに返せますわよ!」
ニコラは母と同じピンクブロンドの長い髪を指に絡めながら、無邪気に笑う。
「ニコラ、あなたって何ていい子ですのぉ。お母様は嬉しいですわ」
お母様はニコラの言葉に涙ぐむ。
「……お母様……」
何という茶番。うんざりする。
(その持参金はどこから出すつもりですの……?)
「それよりも、お姉様。今日の夕食はなんですの? 私、ビーフシチューがいいですわ!」
「あらぁ、いいですわね。セレス、私には、べウラー産の赤ワインをお願いね」
そう言って二人はまた、お茶会を再開する。
(……私は、使用人じゃないですわよ……)
震える手で、請求書をくしゃりと握りつぶした。
ダンッ、ダンッ!!
勢いよく、包丁で人参をぶつ切りにする。
「お母様もニコラも、どうして分からないんですの!!」
借金のせいで使用人の給金が払えず、使用人は一人もいなくなった。
料理や掃除など、家事は全て私がしている。
「あの二人は、全然なんにもやってくれないし……っ」
お父様に言っても、あの二人には甘くて何も注意してくれない。
私は21歳になるというのに、未だ婿探しに難航している。
それもそのはずだ。いくら名門だといっても、借金まみれのこの家を継ごうという婿など、いるはずもないのだ。
「……なんで私ばっかり、こんなことをっ」
人参を切っていると、包丁を滑らせてしまい、指に当たる。
「――っ」
慌てて血が滲む指を舐めた。指がズキズキと痛む。
情けなくて、悔しくて、涙が出そうだった。
でも、私がしっかりしなくてはいけない。この“ヴェント伯爵家”を守り抜くために。
それは祖父との約束だった。
祖父は厳格な人だった。穏やかで気の弱い父とは、あまり気が合わないようだった。
病床に伏した祖父に言われた言葉。父を支えて、この家を守ってくれ、と。
祖父はこうなることを、どこか予感していたんだろう。
「セレス! セレスいるか!」
廊下の方から父の呼ぶ声が聞こえる。今日、父は急な呼び出しを受け登城していたが、帰宅したようだ。
「はい、お父様? こちらですが?」
私が調理場から廊下へ顔を出すと、父は私に気づいた。
「あぁ、セレス! 大事な話があるから、すぐにダイニングルームに来なさい!」
騙されて借金を作ってものほほんとしてるくらい、穏やかな父にしては珍しく、興奮したような表情だった。
「はい……」
(また変な、儲け話じゃなきゃいいのだけど……)
そう願いつつ、私はダイニングルームへ急いだ。
ダイニングルームには、すでに家族が集まっている。
私が席に着くと、父はそれを確認してから大きく息を吐いた。
父はテーブルの上に、書類のような物を置く。
「……実は、王家から縁談が来ている……」
「え!?」
私たちは驚きで顔を見合わせる。
「……縁談って、ニコラにですか?」
母が尋ねると、父は首を横に振った。
「いいや、セレスにだ。セレスと第三王子ルイエス殿下との縁談だ」
(は……? 私……と、第三王子……? ……だ、第三王子って、あの醜い変人引きこもりと噂の!?)
私はテーブルに手をつき、思わず立ち上がった。
「な、なんで私が!? この家はどうなるのです!? 私は長女なのですよ!?」
「ニコラがいるではないか。ニコラに婿を取らせればいいだろう。お前は王家に嫁げ」
「は……」
「あなた! お、お、王家となんて、い、一体どう、どのような経緯で……っ」
「お母様、落ち着いてくださいませ」
驚きのあまり声にならない母を、ニコラは隣で支える。
「実はお前の評判を聞いていた陛下が、是非にお前を王子妃に迎えたいとのことなんだ。うちは名門ヴェント伯爵家だ、家柄にも問題はないだろう、はははっ」
評判と聞いても、ピンとこない。今は没落寸前の貧乏伯爵令嬢としか、言われてなかったはずだ。
「……評判……とは?」
「それは、父……、先代伯爵が、自分に似ているのはセレスだと自慢していたというほどの、頭の切れるしっかり者という評判だ」
父の言葉に、思わず絶句する。
お祖父様のことは尊敬していたが、そんな余計なことを触れ回っていたとは、私は頭が痛くなった。
(う……、お祖父様のじじバカぶりが、こんなことを招くなんて……っ)
「王家……と、縁談……っ、王家……」
母は目を白黒させて、今にも倒れそうだ。
「きゃあ、お姉様、すごぉい! 私たち、王家と親類になれるってこと!? ドレスも宝石も買い放題なの!?」
ニコラは興奮して飛び跳ねる。
こんな持参金も用意できないような没落寸前の伯爵家との縁談なんて、何か裏があるに違いない。
「それで、お父様。他に何か隠していることが、おありなんでしょう?」
私は冷ややかな視線を父に送る。父の額には薄っすらと汗が光る。
「まぁ、その……、ルイエス殿下は、まぁ、噂を知っての通り、少々……問題のおありの方だ。御年25を迎えられるが、縁談がまとまらなかったらしい。だからこそ、しっかり者の嫁をと、セレスに白羽の矢が立ったんだ。……ちなみに、持参金は無し。借金は……王家が肩代わりしてくれると……」
父はしどろもどろに語る。
開いた口が塞がらなかった。それって、つまり……。
(それって、売られた? 私は生贄として、王家に売られたってことですか……っ!?)
「ははは、いやぁ、めでたいではないかっ」
「王家……、王家と……縁談……っ」
「きゃあ、どんなドレスがいいかしらぁ」
興奮している家族の横で、私の体温がすうっと冷えていくのがわかる。
(……私が……今までどれだけ、この家を守るために頑張ってきたというの……っ)
もう限界だ。ブチッと何かが切れる。
(……出ていってやる。こんな家、出ていってやりますわ……っ)
私は震える手を握りしめた。




