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マスターの言葉にショックを受け、私はふらふらとお店を後にする。
お姉さんを見つける手段は何もない。
また街で、偶然会えるのを待つしかないのだろうか……。
「お姉さん……」
不思議な人だった。私を助けてくれて、とても気が利いて、優しくて、夜の街が似合う妖艶な雰囲気を纏っている。
その一方で、どこか儚げで、雲のように掴めない感じがした。
「彼女はいったい、何者だったの……?」
「セ、セレス! セレスー!」
その時、私を呼ぶ聞き覚えのある声がする。
(お、お父様……!? まずい、見つかったわ!?)
父は私を探していたのが、こちらに駆け寄ってきた。
ゼイゼイと息を切らしている。着衣は乱れ、髪もボサボサだ。
「セ……レスッ、無事かっ!? 怪我は? 何もないか!?」
私の腕をしっかりと掴み、こちらを心配そうに見下ろす。
「……はい、大丈夫ですわ……」
(お父様は、私を、こんなに必死に探してくれていたの……!?)
「……そ、そうか……」
父は大きく息を吐いた後、安堵の表情を浮かべた。
「屋敷に戻るぞ。二人も心配して、寝ないで待っている」
そう言って私を促すが、私は俯いたまま動けない。
勝手に家を飛び出した手前、どう顔を合わせればいいのか分からなかった。
昨日は怒りに身を任せて家を飛び出したが、やりすぎたかもしれないと、少し胸が痛む。
「すまなかったな、セレス」
父が静かに呟く。
「え?」
私は驚いて顔を上げた。
「私たちはお前に頼りきっていた、……甘えていたんだ。反省しているよ。二人もそうだ」
「……お父様」
「……セレスが嫌だったら、縁談は断ろう。なに、もし爵位を剥奪されて平民に落ちても、四人で頑張れば、暮らしていけるさ!」
父はぎゅっと拳を作り、白い歯を見せ、はにかんだように微笑んだ。
「……お父様……」
(そこまで考えてくださったの……)
胸の奥が温かさで満たされていく。
「……お父様、私も家出してごめんなさい。……大丈夫ですわ、私……、ルイエス殿下の元へ嫁ぎます」
こうして私の家出騒動は、幕を閉じたのだった。
◇ ◇ ◇
王宮の薔薇が満開の庭園を、ルイエス殿下と散歩している。ルイエス殿下は先ほどから、一言も言葉を発しない。
(き……、気まずいですわ……)
私は小さく息を吐く。
本日は、ルイエス殿下との初めての顔合わせの日だった。父と私は王宮の応接間に呼ばれ、陛下から殿下の紹介を受けた。
そして、その後二人で庭園を散歩することになったのだが、会話をするどころか、殿下は俯いたまま、こちらを見ようともしなかった。
殿下は肩までの綺麗な金色の髪、スラリと脚が長くて身長は私の頭一つ分くらい高い。
長い前髪で顔を隠していて、表情は見えなかった。
私が殿下の様子を窺っていると、がばっと顔を背けられた。
(な……なんなのでしょうか? 嫌われてるんでしょうか……?)
陛下が先ほどおっしゃっていたが、殿下は幼少の頃のトラウマで、人が苦手なんだとか。
ふと、お姉さんの話を思い出す。
彼女も、人の好意や悪意に耐えかね、引きこもっていたと話してくれた。
(きっと、殿下も、心の繊細なお方なのかもしれないわ……)
私からあまり話しかけないほうがいいだろうと、黙って殿下の後をついていく。
ふと足元に、茶色の物体が近づいてくるのに気づく。
まるっとして、もふもふした、それは……。
「きゃあ! けっ、毛虫!?」
全身が総毛立ち、私は飛び上がった。
その時、スカートの裾を踏み、バランスを崩す。
転びそうになって目を閉じると、私の身体はしっかりと何かに支えられた。
ふわっと、嗅いだことのあるような、清涼感のある香りに包まれる。
(あれ……? この香り……どこかで……?)
「あの……大丈夫?」
耳元で聞こえたのは、聞き覚えのあるような少しハスキーな声だった。
私が弾かれたように顔を上げると、長い前髪から覗く紫色の瞳とかち合う。
(……あれ? 似てる……。とても、お姉さんに似てますわ……)
私が食い入るように殿下を見つめていると、殿下は突然震え出す。そして、両手で顔を隠した。
「あ……、あの……、あまり、私を見ないでくれ……っ」
殿下は顔を覆ったまま、逃げるように横に顔を伏せる。
髪の隙間から見える耳は、真っ赤に染まっていた。
「……え? ルイエス殿下……?」
(な、何!? こ、この可愛い生き物は!?)
まるで小動物のような、庇護欲を誘う仕草だ。
「す、すまない……。私は、見つめられるのが、苦手なんだ……」
やっぱりこの声はお姉さんに似ている。お姉さんの方がもう少し高かった気もするが。
(ま……まさか……ね……)
にわかに信じ難いが、お姉さんも引きこもっていたと言っていたし、共通することも多い。
私は恐る恐る尋ねた。
「もしかして、殿下は……、……お姉さんなんですか……?」
しばらくの沈黙の後、殿下は顔を隠したまま首を縦に振った。
やっぱりそうだったんだ。そう思って観察してみると、髪の色も髪形も、身長だって、お姉さんと一緒だ。
「殿下はなぜ、女装して街に?」
「そ、それは……、この間話した通りで……、変装して街に出たんだ。じ、女装だったのは、兄上がこっちの方が似合うと言ったからで……、別に、い、意味があったわけではなく……」
殿下は必死に弁解している。
(それにしては、結構、ノリノリでしたわよね……)
「だ……黙っていて、すまなかった。決して、君を騙そうとしたわけじゃないんだ……」
殿下は私の様子を窺うように、指の間から紫の瞳を覗かせる。
もじもじと自信なさげな殿下の態度は、お姉さんの時とはまるで別人のようだ。
(……好きになっちゃいそう……、って迫ってきたお姉さんと、同一人物とは思えませんわ……。……まぁ殿下も、酔っていたのかもしれませんわね……)
「大丈夫ですわ、殿下。分かっております。あの夜のことは、全て忘れますので、安心なさってください」
私を救ってくれたお姉さんは、ルイエス殿下だと判明したが、これ以上、彼の秘密を探ることは不敬に値するだろう。
人が苦手な彼とは、ある程度の距離感は必要だ。
あの夜のことは、……忘れた方がいい。
「あ……、いや、違うんだ……。忘れてほしいわけじゃ……ないんだ……」
殿下は両手を顔から外すと、意を決したようにこちらを向いた。前髪の隙間から、真剣な瞳が注がれる。
「……あの姿の私は、確かに女性に扮している。しかし、全てが、偽りではない……。……王子の肩書も何もない、ただの、自分でいられる瞬間だったんだ……」
「……殿下……」
「君と、過ごした夜は、楽しくて……、だから、その……、忘れてほしくない」
殿下はすうっと大きく息を吸った。
「あの時言った言葉は、……本心だから……っ」
(あの時言った言葉……? それって、つまり……っ)
私の鼓動がどんどんと速くなっていく。
「わ……私は君を、す、好きに……っ、あの……っ、だから……っ」
殿下は一生懸命に言葉を紡いでくれようとしているが、顔は真っ赤で、震えが止まらないでいる。
こっちのほうが心配になってしまう。
「あの、殿下、落ち着いてください! 大丈夫ですわ。……ありがとうございます」
私も、私の話を聞いてもらい、頑張りを肯定してもらえて嬉しかった。ずっと女性だと思っていたのだけど。
(殿下も、お姉さんも、優しくて、繊細なところは変わらないですわ……)
「……あの、殿下。よろしかったら、私に教えてくださいませんか? 殿下のことを」
私が微笑むと、殿下の瞳が開かれる。そして、優しく笑い返してくれた。
「……あぁ、教えるよ。……だから、君のことも……教えてほしい」
「……はい」
私たちの関係はまだ始まったばかり。
お互いを知る時間は、まだまだたくさんあるから。
「たまには、お姉さんになってくれます?」
「……え!?」
殿下は見るからにわたわたとして、慌てた様子だ。
(ふふっ、本当、小動物みたいで可愛いですわ)
「なーんて、冗談ですわっ」
私が笑っていると、突然腕を引かれ、殿下の方へ引き寄せられる。
顔が近づいて――。
(――!?)
「……もちろん、君だけの、“お姉さん”になってあげる」
耳元に熱い吐息がかかり、甘く囁かれる。それはあの夜を彷彿とさせた。
「へ!? ……なっ!?」
思わず耳を押さえて顔を見上げると、殿下は口元を僅かに綻ばせている。
……この殿下、やはり一筋縄ではいかないようです。




