空が見える日
ニル区全体がそわそわと活気付いている。まるで祝い事の日のような。人々がいつもより活発になっている。
晴天だ。暖かくて、明るい。青空と太陽。風が凪いでいる。
ぼくはマスターと一緒にマーケットに出向いて、朝の調達をしている。
いつも薄暗いマーケットも、今日にかぎっては明るい。
ニル区に来てまだ浅いけど、この街はめったに晴れないとわかっている。
「晴れの時にしかできないことをやる」とマスターはぼくに言った。「今日はおれについて来い」
「店は、いいんですか?」
「ああ、心配だが、大丈夫だろう」
「わかりました。お供します」こうしてぼくの今日の予定が決まった。
ぼくたちは店に荷物を置いたあと、またマーケットに戻ってきた。
ここはアーケードになっていて、高い天井の上に、雨除けのための屋根がある。
何人かの人が、梯子を登って、屋根の上にあがっている。
「霧島」マスターは梯子を指しながらぼくに言った。「行って、手伝ってこい」
ぼくが梯子を登るところを見届けると、マスターはどこかに行った。
「こんにちは」ぼくは屋根の上にいる人たちにあいさつした。
「ああ、レミーナのひと。ご苦労さま」
「手伝うように言われてきました。みんな、ここでは何を?」
「屋根のメンテナンスさ。あんたには掃除を頼むよ」
マーケットに出店している店主もいるし、店の常連もいる。
こうやって街に貢献するのは悪い気がしない。
街の一部として、馴染んできている。
知らない人もまだまだ多いが、顔見知りが増えてきた。
この屋根の掃除は、たいへんな重労働だった。
気温が高いから、すぐに汗だくになった。
一息つく。
まわりを見渡す余裕が出てきた。
気づけば、ほかのビルにも屋根に乗っている人がちらほら見えた。洗濯物を干している人。屋根を直している人。地上では、井戸に人が群がっているのが見える。
そういえば、レミーナのビルはどれだろう。
店の方角にあたりをつけて、目をこらす。
すぐに見つかった。3階建のちいさなビル。屋上でクヌギが洗濯物を干しているのが見えた。
手を振ってみた。
反応は無かった。
ぼくがマーケットの屋根から降りたとき、ちょうどマスターが来た。彼も汗をかいていた。
「ちょうどいい、霧島。自治会で、手伝いが必要だそうだ。来てくれ」
「わかりました」
自治会の本部は、大崩壊前に駅だった場所にある。大きなビルを管理している。
ここでも高所の掃除やメンテナンスをすることになった。
重い鉄扉を押し開けて、テラスに出る。
まぶしい。
この建物は、マーケットよりも高い。いい眺めだ。
ニル区全体がみわたせる。もっとも、どこまでがニル区なのか、はっきりしないが。
ぼくとマスターは作業をはじめた。
ぼくたちが作業を終えて休んでいるとき、男がやってきた。
「霧島さん、ご苦労さまです」彼は言った。
彼は山崎。自治会で働いている。ぼくがはじめてニル区に来たときに会った。いま使っているコートとガスマスクも、彼からもらったのだ。そういうことも自治会の仕事らしい。
「ここでの暮らしは慣れましたか?」と山崎。
「はい。マスターのおかげで」ぼくは横にいるマスターを示しながら言う。
「そうですか。こうやって街の仕事をすることは、この街で暮らすうえで、とても重要な作法なんです。覚えておいてくださいね」と山崎。
何がどうして重要なのか、そういった説明は無い。ただならぬ重みだけがある。その圧力に押されて、うなずく。
「霧島さんには、ニル区の街並みはどう見えますか?」と山崎は街並みを見下ろしながら言う。
「ここからの眺めは美しいと思います」と僕は言う。率直に。そう思ったから。
「そうですか」そう言って山崎は表情を崩した。
夕方になり、ぼくとマスターはレミーナに戻った。
肉体的には疲れたけど、すがすがしい気持ちになっていた。
自分のベッドから太陽のにおいがした。誰かがぼくの寝具を干したのだ。誰でもいい。たぶん、わからないだろう。




