19 王女の休日
窓から差し込む朝日の熱に目が覚める。僅かに埃の匂いが舞う部屋でガラハッドが固く縮こまった体を伸ばすと、押し出されるように深い息が出た。三日に一回は強烈な二日酔いがもたらす頭痛に耐え兼ね、頭を氷水の張った桶に突っ込みたくなる衝動に駆られるのだが、今日は不思議と清々しい朝だ。扉一枚を隔て、ダイニングから籠った物音と、足音が聞こえる。自分なんかよりもずっと朝早くに起きるモニカとナギが活動している音だろう。ガラハッドは座りの悪い首をしっかりと嵌めなおし、組んでもいない今日の予定なんかを反芻しながら扉を開けた。
「あら…おはよう。随分と優雅なお目覚めね?」
ガラハッドは最初、寝ぼけ眼がぼやけた視界に幻覚を見せていると思い、目を擦る。しかしそこには我が物顔で座り、上品にティーカップを傾けているシャルロッテの姿があった。
「…宿は別に取ったって言ってただろう。なんで朝っぱらからいるんだ?。シスターは…」
シャルロッテからあからさまに目線を反らしたガラハッドは、見たこともない贅沢な朝食を頬張り、目を輝かせるモニカとナギの姿を捕えた。既に二人は買収済みという訳だ。見れば机の上には随分と立派な食器類が並べられており、寂れた教会の一角に急に王室顔負けの豪華空間が出来上がっていた。この空気に違和感なく溶け込めているのはただ一人、さも当たり前のような顔をしているシャルロッテだけだ。
「なに?朝から私の顔を見るのは不愉快?」
「そんなこといってないだろ。」
「そうよね。むしろ一日の始まりを華やかに飾れると喜び感謝するほどじゃなくて?…まぁ、それはさておき貴方も座りなさい。」
「いや…俺は朝は食わない…」
ガラハッドがそう断ろうとするも、既にベルルーイが全く気が付かないうちに、ガラハッドの為のテーブルメイクを済ませていた。シャルロッテの力強い視線がガラハッドをひるませる。
「分かったよ。その前に顔だけ洗ってくる。」
「それで?貴方の今日の予定は?」
「んー?」
シャルロッテからの問いにガラハッドは口いっぱいに物を詰め、生返事気味に返答する。
「別に…普段通りクエストボード見て、よさげな依頼をピックアップするだけだけど。」
「そう。なら特別な予定はないという事ね?」
シャルロッテはそう満足そうに言葉に出した。
「所で。私の今日の予定はと言うと、せっかく人間の街という珍しい場所に来たのだから、少し歩いてみようかと思うのだけれど。」
「そう。いいんじゃないか?でも大通りだけにしとけよ。細道はごろつきとか輩がいるから。」
「あら…それは怖いわね。」
「まぁ…ベルルーイもいるし、魔王の娘のあんたなら大した事にもならないとは思うが…なんでそんな真剣な眼差しで俺を見る。顔に何かついてる?」
「白々しい真似は止めなさい。貴方と何年の付き合いだと思っているの?それともしばらく人間の生活に浸っていたから感が鈍くなったかしら?」
「勘弁してくれよ。護衛ならベルルーイがいるじゃないか。」
「彼女よりこの街を知っている貴方の方が適任ではなくて?それにベルルーイにもこの長旅分の暇を与えなければならないわ。彼女に随分大きな感情を持っている娘もいるみたいだし…。私だけが彼女を独り占めにするのは可哀そうだとは思わない?」
「…いやでも俺は仕事が…」
「ハァ…。それなら仕方ないわね。ごめんなさい。おせっかいにも勝手に来て、無理なお願いをしたわ。久々に二人で過ごせるかと思って…少し浮かれてたみたい。」
「分かった、分かったよ。」
シャルロッテがわざとらしく顔を背けると、ガラハッドは観念したかのように慌てた声色で言った。シャルロッテが腕の影に隠した表情を一切変えていないのを別の角度から見ていたモニカは気づいていた。
「お嬢様の泣き真似にガラハッド様が抗えた試しはございません。」
「あ、なるほど~。」
ベルルーイの冷静な解説にモニカは苦笑いを浮かべるしかない。ガラハッドがシャルロッテに勝てる日など恐らくは永久に来ないのだろう。
多くの露店が立ち並ぶ街の大通りは普段のガラハッドには無縁の場所だ。彼にとっては見た目の凝った華やかな菓子類や自身の財力を誇示するアクセサリーよりも塩気の強い肴と喉を焼く強烈な酒や機能美だけに重点を置いた無骨な武器の方がよっぽど価値のある代物だからだ。ただそんな冒険者が集う汗とアルコールが大気に溶け込むような場所に、温室育ちの令嬢を連れ込むわけにはいかない。だから自分がこの似つかわしくない空間で浮いてる事実には目を背けることにした。このアウェー感は初めて街に来た時の感覚に似ている。町民の好奇な視線が痛い。しかしその実、彼らの視線はガラハッドなどではなく、彼のすぐ横にピッタリとくっつくように歩く淑女に注がれていた。彼女の石畳をコツコツと叩くヒールの音は子守歌のように耳に馴染み、道を進む姿は風に靡く小さな花のように可憐であった。普段なら、少しでも金持ちの気配を感じ取ると飛びつき、お得意のセールストークで何とか利益を得ようとするハイエナのような露天商も、彼女の姿に見惚れたのか、はたまた恐れ多いのか。勇敢にも声を掛けようなどと言う不届き者は終ぞ現れなかった。
「あーお腹とか空いてないか?」
そんな周囲の空気感など露ほども知らず、あまりの気まずさにガラハッドは突拍子もなくそんな言葉を投げかける。
「今さっき食べたばかりじゃない。」
そんなどこかよそよそしいガラハッドに彼女は呆れた目を向ける。黙って静かに歩くことすらも出来ないのかと。そんな彼女の心中もガラハッドには察する事が出来ない。
「観光なんて言う割にはただ並んで歩いているだけだけども…楽しいのかな?」
昔から彼女には振り回され気味ではあったが、もっと感情を素直に教えてくれた。今は捕らえようのない彼女の真意に弱気にも溜め息を吐くことしか出来なかった。
「あれ?ガラハッドじゃん。こんなところで何してんの?」
そんな彼に話しかける人影が複数。ルディを始めとした同業者達でありガラハッドの飲み仲間でもある。
普段は案内所かそこに併設されている酒場でしか顔を合わせることの無いガラハッドを見かけて、心底意外そうな表情を浮かべていた。ガラハッドは何の気無しにシャルロッテの姿を隠すように前に立つ。
「いや…まぁ、ちょっとな。そっちは今から案内所?」
「あぁ。お前も来るか?一緒…に…?」
ルディがガラハッドの背後に立つシャルロッテの存在に気付いた。
「なんだよお前。女といたなら先に言ってくれよ。」
そう愉快そうなものを見たとニヤニヤしながらルディが耳打ちしてきた。
「えらく可愛い娘じゃねぇか。くっそーうらやましいぜ。普段からお前はハーレム状態だって言うのによ。」
そう一人盛り上がるルディの肩をガラハッドが指がめり込む程の勢いで掴む。
「頼むから余計な真似はするなよ。」
「わぁーってるって。」
ルディはそんなガラハッドからの忠告にも全く物怖じせず彼の手をぽんぽんと叩き、放すように促した。「デートの邪魔はしねぇよ。酒のつまみにするだけさ。お前も終わったら来いよな。」
そう言うとルディは仲間達と一緒に去って行ってしまった。あの様子じゃあっという間に話は伝わり、明日には街の冒険者全員が知れ渡ることだろう。ガラハッドは奥歯を噛みしめ渋い顔をする。
「今のはご友人?」
「あぁ…友達想いな奴らだよ…ったく。明日から面倒だな…」
「あの方達が言っていた案内所って?」
「案内所?俺達冒険者が依頼を受注するための拠点みたいなもんだ。」
「そう…。」
「…興味あるとか言わないでくれよ?。シャルロッテみたいな恰好の奴が行くような場所じゃない。なに言われるか分かったもんじゃないぜ。なぁ?まだ公園とか噴水広場とかあるから。」
「誤魔化さなくていいから。」
どうにかして興味を反らそうと画策するガラハッドを全てお見通しだとでも言いたげな無言の圧力で彼女が釘を刺す。
「早く案内所へとエスコートしてくださる?」
今日も案内所には多くの冒険者が詰めかけ賑わいを見せている。
「では、こちらのクエストの受注を承認いたします。お気をつけていってらっしゃいませ。お次にお待ちの方~?」
受付カウンターの奥では、看板受付嬢のレレが自慢の良く透き通る声で業務に勤しんでいた。その美貌と丁寧な仕事ぶりから人気の高い彼女に与えられる休みはそう多いものではない。今日も朝から書類作業と冒険者対応をこなし続け、少し目に疲労の影が出てきた、そんな時だった。
「つきましてはこちらの書類によく目を通していただきサインの方を…」
「…あれ?おーい。」
ペンを動かすレレの動きが止まり、その視線が案内所の入り口へと向けられる。何もない空間をジッと見つめる猫のように微細な違和感を彼女だけが感じ取った。
「……あ、すみません。」
「どうしたんだ。ちょっと疲れてるんじゃないのか?ちゃんと休憩は取ってる?」
「はは、お恥ずかしい。お気遣いありがとうございます。少しぼーとしちゃって。それで…えぇとどこまで話ましたっけ?」
時間にしてほんの一、二秒の沈黙の後、レレは何事も無かったかのように業務に戻る。彼女が応対していた冒険者はそんな彼女の仕草に怪訝な表情を浮かべた。その後もチラチラと入口の方に目線を飛ばすレレ。まるで何かを警戒するようなそんな素振りを彼女の同僚達も気にした。
「大丈夫ですかレレさん?」
「うん?大丈夫…なんでもない。」
口ではそんなことを言う彼女を妙な胸騒ぎが襲う。
「気のせいだと思う…」
そう自分に言い聞かすように呟いた瞬間だった。入口から青い顔をしたガラハッドと、その後ろにぴたりとつくシャルロッテの姿がレレの視界に入った。
「うわぁ!!受付嬢が倒れた!」
「大丈夫ですかっ!レレさん!」
「…何やら騒がしいわね。」
「ここがうるさいのはいつもの事だ、あんま気にすんな。それよりもういいだろ。あんま面白いもんでもないし出ようぜ。」
「あれがクエストボード?」
「ちょ…おいって!」
今すぐにでも退散したいガラハッドに対して、シャルロッテは興味津々と言った様子で奥へと進んでいく。
「ここから依頼を選ぶのね。討伐、採取、指南に物探し…農業の手伝いに一日調理人募集?意外と色々やるのね。」
「まぁ…結局はなんでも屋みたいなもんだからな。」
「あの~すいません。」
そんなたわいのない話をしている二人の横からレレがオズオズと話しかけてくる。
「どうも。…なんでそんな髪の毛ボサボサなんだ?」
珍しく帽子から髪の毛が乱雑に飛び出しているレレの姿にガラハッドは疑問を覚えた。
「まぁ色々ございまして。…所で~ガラハッドさん…こちらの方は~?」
レレは気まずそうに微笑みながら、ガラハッドにシャルロッテの紹介をお願いする。その眼の奥に僅かに警戒の気が潜んでいた。
「貴女…そう。なるほど…?」
そしてシャルロッテの方もレレに対して何か思うところがあるかのように意味ありげに相槌を打つ。
「あぁ…まぁ彼女は、その…。俺の昔馴染みかな。」
「あ、そうでしたか。そのまさかとは思うのですが…新しいパーティメンバーだったりとかは、ないですよね?」
何か含みのある言い方をするガラハッドにレレは念を押すように聞いた。変にギクシャクとした空気感の中でその質問に答えたのはシャルロッテ本人であった。
「心配しないで。私は只の観光。ちょっとしたバカンスよ。貴女の住処を荒らすつもりなんてこれっぽっちもないわ。」
シャルロッテが手を差し伸べると、レレは焦りながらも握手に応じた。
「所で、せっかく来たのだから私も何か一つ…依頼とやらを受けてみようかしら?」
「えっ!流石にそれはちょっと…」
「依頼を受けるには冒険者登録をしないといけなくてだな…。」
「あら?貴方はその登録を済ましているのでしょう?貴方が依頼を受けて私はそれに同行するだけ。何か問題があって?ほらこの依頼なんてどう?」
どうにか考えを変えてほしいと躍起になる二人を尻目にシャルロッテが一枚の依頼を指さす。
「食人植物の討伐!?駄目駄目!絶対駄目!こんな危ない依頼受けれるか!」
「あら…こんなのに後れを取る程、貴方の剣の腕は鈍ってしまったの?」
「俺じゃねぇよ。もしシャルロッテが怪我でもしたら俺はベルルーイに殺されちまうって。」
「貴方が守ってくれるんじゃないの?」
シャルロッテはそう真っ直ぐな目でガラハッドの顔を覗き込む。レレは傍らでガラハッドへ静かに同情していた。
街を出て北へ向かう街路を三十分程、馬で行くと小さな農村に当たる。そこで栽培しているかぼちゃは鮮やかなオレンジ色の甘い果肉で有名だ。ガラハッドとシャルロッテはその村からかぼちゃを街の菓子店ヘト輸送する仕事に就いていた。どうにか討伐系の依頼を避けたかったガラハッドにレレが差し出した救いの手であった。シャノンが引く馬車の中では角を隠せるフード付きの質素だが動きやすい服に着替えたシャルロッテが不満そうに眉を顰めながらまるで人形のように揺られていた。自分の示した仕事が採用されなかったのが未だに納得いっていない様子だが、そもそもベルルーイに黙って、街の外に出ている時点でガラハッドからしてみれば気が気でない。この簡単な依頼をこなせばシャルロッテの依頼を受けてみたいという願いも満たせるから安心だろうと安堵の息を漏らす。村に付き、かぼちゃを詰め込んでいる合間に農場主との雑談に花を咲かせている時も、シャルロッテは一人不貞腐れたように遠くの山を眺めていた。
「エリー!エリー!どこにいるの!エリー!」
「うん?」
村の中を壮年の女性がエプロン姿のまま駆け回っているのが見えた。ガラハッドはシャルロッテの様子を確認しつつその女性に話しかけた。
「どうしたんだ?」
「私の六歳になる娘が帰ってきていないの。近くの林には最近中鬼の山賊がアジトにしているって。もう気が気でなくて。」
「林に行ってるかもしれないって事か?」
「えぇ…。近くには花の群生地もあるから。」
「そいつは心配だな…。」
「探しに行ってあげたらいいじゃない。」
いつの間にか傍まで来ていて話に聞き耳を立てていたシャルロッテが言う。
「まだ荷を詰め終わるにも時間はかかるみたいですし?」
「いや…行きたいのは山々なんだが…。」
「子供を見捨てるというの?」
「…村で待っててくれる?」
「私を置いていくつもり?見慣れない土地に?」
「…分かったよ。ただし絶対に俺の言う事は聞いてくれよ?」
「信頼してるわ。」
村の外れに位置する林の入り口で馬を降り、息を殺しながら進んでいくと、例の山賊のアジトをすぐに見つけた。
「人間の女の子…はいないみたいだな。」
近くの茂みに身を隠しアジトの様子を伺う。十人に満たない程のオークたちがそこで野営をしていた。辺りに散乱したゴミややけに馴染んだ生活感から彼らがここに根を張ってしばらく経つのだという事が推測できる。
「とりあえず迷子の子が迷い込んでいないのならこいつらに用はないな。近くを探してみよう。」
「彼らは放っておくの?」
「え?まぁ…別にこいつらを倒してほしいとは言われていないからな。」
「でも村の近くに根城を構えているのよ?。あの人間たちも彼らの事をよく思ってはいない口ぶりだったじゃない。」
「…あくまで俺は人間の方に肩入れするわけじゃないんだが。オークってのは言わば同族。魔王…シャルロッテの父親にとっては対人間の都合のいい兵士なんじゃないのか?」
「私に父上の野望は関係ないもの。それに山賊と呼称されているという事はあまり良い行いはしていないのではなくて?」
「随分とドライな考え方だな。とにかく見つかる前にここを離れるぞ。」
ガラハッドが息を潜め後退しようとする。と
「ん?そこにいるのは誰だっ!」
おそらく外回りから帰ってきた山賊の一味が草むらを揺らす怪しい人影に気付いた。ガラハッドはしまったと言うように額を叩く。
「見つかっちゃったわね…どうするの?」
「うぅむ…。俺が何とかする。頼むから出てこないでくれよ?」
そう言うとガラハッドはゆっくりと体を起こす。茂みの中から急に現れた彼の姿を見てオークたちは慌てて武器を手に取った。
「なんだお前?!」
「まぁ待て!俺も魔族だ。ほら?」
ガラハッドは頭をヒョイと外すことで同族であることをアピールした。仲間意識へ訴えかけることで面倒ごとを避ける算段だ。
「ここらで子供を探しているんだが心当たりはないか?」
ガラハッドの言葉にオーク達は一先ず矛を降ろす。変に争うのは彼らも嫌がった。
「あんたの子供か?。そりゃ心配だな。もしあれなら俺達も探すのを手伝ってやるよ。まぁもし人間のガキっていうなら、返す時に身代金をたっぷり請求してるとこだがな。」
ガッハッハと冗談めかして豪快に笑うオークにガラハッドは苦笑いを浮かべる。所詮は山賊、がめつい所がある。こいつらより早く見つけださないといけない。
「協力してくれるってんのは有り難いんだが、見てないというならそれでいいんだ。もしかしたら林の外にいるかもしれない。」
早急に少女を探し出そうと、ガラハッドがなるべく自然に話を切り上げようとした所だった。
「わぁ~泣かないで!俺達、別に怖いおじさんじゃないよ。食べたりしないよ?」
「そんなしかめ面してるからだろうが。馬鹿っお前!足持って逆さに持つな。しっかり抱え込んでやらねぇと。」
林の奥から茂みをかき分け二人のオークが騒がしくしながら拠点へと戻ってきた。その手にはこれまた間の悪いことに、ガラハッド達の探していた人間の少女が彼らによって捕らえられていた。
「おいお頭!迷子になってた人間のガキンチョを保護しやしたけどどうしやしょう?。」
ガラハッドと話していたオークはその報告を聞くと、何か言いたげにゆっくりガラハッドと目を合わせる。事は簡単にはいかない。ガラハッドがここまでの冒険者生活で身に着けた経験だ。
次の瞬間、ガラハッドは迷いなく手に持っていた自身の頭を目の前のオークの顔面に向かって、全力で投げつけると腰の鞭を手に取る。対多数の時、鞭の方が剣よりもリーチが長く対処がしやすい。事実、騎士とはいえたかが一人と高を括り、考えも無しに飛びかかった山賊連中は数分も持たずものの見事にガラハッドの手により制圧された。
「なんでか結局…こうなっちまうんだよな。」
辺りに散らばる気絶したオークの体を跨ぎながらガラハッドは呟く。彼自身はなるべく争いごとを避けようとしているのだが。
「お、おい!お前!そこで止まれ!動くんじゃねぇ!」
そんな感傷に浸るガラハッドを怒鳴りつける声がする。その声の方を見ると、やり損ねたオークが少女の喉元に剣を突き立てていた。その顔は恐怖に歪み、怯えから錯乱しているようだった。
「待てって!その子を放してやれ。関係ないだろ?」
「うるせぇ!そこから少しでも近づいたらやっちまうからな!」
鞭を伸ばしても届かない距離、それどころか指先を少し動かすだけでも躊躇いなく刃を入れかねない気迫がこのオークからビンビンに感じられた。呼吸をするのですら憚られる緊張感の中、何とか相手を刺激しないようにゆっくりとガラハッドは武器を地面に落とす。
「俺はその娘の親に見つけてもらうよう頼まれてるだけで、あんた等山賊をどうこうしてやろうとは思ってねぇ。」
「このガキはお前の姿が見えなくなったら解放してやる。」
「そんなん俺も永遠にお前の事を追いかけるだけだぞ。」
話は通じず、今にも少女を連れて林の奥へと今にも逃げ出してしまいそうだ。少女の目には恐怖から涙が何滴も地面へと滴り落ちていた。
「お前の事は見逃す。悪いことは言わないから、とっととその娘を放してやれって。」
「分かんねぇようだな!俺の言ってる意味が!」
本心から傷つけるつもりは十中八九彼にはない。しかし、ガラハッドととの押し問答に痺れを切らしたオークがほんの脅しのつもりで剣を振り上げたその直後だった。
風のように静かで、雷より早く、巨大で強烈かつ無骨な魔力の塊が正確にオークの体のみを弾き飛ばした。オークの体は轟音と共に土煙を上げながら木を何本かなぎ倒し止まった。
「子供を人質に取るなんて、卑怯で卑劣。品性のかけらもない。」
魔力の塊を打ち出した本人であるシャルロッテが涼し気な顔色で服に付いた木の葉を払いながら出てくる。言動から察するに内心相当ブチギレの模様だ。
「…結構なお手前で。」
「タフさが売りのオーク族よ、あれぐらいでは死なないわ。骨にヒビか、あるいは何本かポッキリ言ってはいるとは思うけれど…お灸を据えるには丁度いい。」
シャルロッテは敵意がないことを示すように両手を広げながらゆっくりと少女に近寄ると、小刻みに震えるその小さな体をそっと抱え、怪我がないかを細かく確認しだす。その溢れ出る母性に先ほどの攻撃との強烈なギャップで目が回りそうになった。
「とりあえず応急処置が必要な大きな怪我はなさそう。この娘のお母さまが村で待っているから早く帰りましょ。」
そう言うシャルロッテに、しかしガラハッドは武器を取り直し、林の奥をジッと睨んだ。荒い鼻息、大きな草陰がガサガサと激しく揺れる。どうやらこの騒ぎに興奮し気が立ってしまったらしい。
「先に村へ!俺が何とか追い払えるかやってみる。」
ガラハッドは口笛でシャノンを呼ぶと、シャルロッテと少女を抱きかかえシャノンの背に乗せた。とほぼ同時に猛々しい唸り声が辺りに響いたかと思うと、のっそのっそと草の向こうからその巨躯が姿を見せる。ニ、三mはあるかという巨大なグリズリーである。恐らくはここら辺の野生動物の主。自分のテリトリーに勝手に住み着いた山賊たちにうんざりしていたのだろう。それに加えてこの騒ぎだ。目は恐ろしいまでに吊り上がり口から涎をポタポタと垂らす。
「私なら一撃で…」
「いいから。もう危ない真似はするなって。」
何か言いたげなシャルロッテを制するようににシャノンは林の出口へと駆け出し、シャルロッテは慌てて手綱を握る。腕の中の少女はまだ不安そうにあたりを見回しながら小さく縮こまっていた。林を出るのにそう苦難する事はなく、平原の先に少女の村が見えた時、ようやく彼女は少し安心したように一息つく。も束の間、バキバキッ!と派手な音と共にガラハッドの剣の刃の方を今にもかみ砕かんとばかりに加えるグリズリーと、それでもなおしっかりと剣を握り弾き飛ばされんとばかりに堪えるガラハッドがシャルロッテ達から少し離れた所へ飛び出てきた。ガラハッドが苦し紛れにグリズリーの額を全力で殴打するが、針金のように固い体毛とその下に潜む岩のような頭蓋にはこれっぽっちも効果がない。そんなガラハッドの姿がうっとおしいのか、グリズリーは頭をブンブンと振る。ガラハッドの体はまるで子供に遊ばれる人形のように簡単に宙を舞った。その勢いのままグリズリーが加えていた剣を放すと、ガラハッドの体は高い放物線を描きながら地面へと叩きつけられる。
「痛てて…なんて馬鹿力だよ。」
それでも何とか受け身を成功させ大事ないガラハッドであったが、息を整える暇もなく、グリズリーが巨体に見合わぬスピードで突進してきた。ガラハッドはそれを迎え撃つように剣を振り下ろす。しかし剣が当たるというその瞬間にグリズリーは体を捻る様にしてガラハッドの横をする抜ける。まるでガラハッドの反撃をギリギリまで引き付けるようなその動きにガラハッドは驚愕すると同時に、全力の縦切りが宙を切ったことで体勢を崩してしまう。その隙を見逃さなかったグリズリーはガラハッドの背後でスッと立ち上がった。ガラハッドの体が影ですっぽりと覆えてしまうほどの巨体から、薙ぎ払うように前足で思い切りガラハッドの体を殴打する。その衝撃は凄まじく、ガラハッドの首が遠くへと飛んでいくのをシャルロッテは馬上から見ていた。あの様子では彼が戦線復帰するのには時間がかかるだろう。まず一人を始末したグリズリーは鼻をヒクヒク動かし、ゆっくりと少し離れたシャルロッテの方を見る。四足歩行に戻ったグリズリーは得物を狙うように前傾姿勢を取った。自身の縄張りに立ち入った者は決して逃がさないつもりらしい。騒ぎを聞きつけたか遠く村の方から何人かの村人が農具や狩猟道具を手に向かってくるのが見えるが、時間はかかるだろう。そうこうしている内にも凄い勢いでグリズリーが向かってくるのを確認したシャルロッテはシャノンの手綱を強く握りなおした。
「シャノン、無事に帰れたなら褒美を用意するわ。だからもう少し頑張ってくれるわよね?」
その言葉にシャノンは当然だとでも言いたげな瞳を向ける。逃げるだけならばシャノンの力で空へと駆けだせばよいのだが、人間たちにシャノンが魔物であるという事がバレてしまうし、このまま放置しておけば村人にも被害が及びかねない。シャルロッテの狙いはグリズリーを疲労させることにあった。不安定な馬上でさっき見せた出力の魔法攻撃を行うと少女に反動が来るかもしれない。グリズリーが疲れから動きを鈍らせれば、シャルロッテも狙いを定めやすくなる。
ふと腕の中の女の子が不安そうにシャルロッテの服の裾を強く握っていることに気が付く。
「…しっかり掴まっていなさい?大丈夫…私が必ず守って見せるから。」
そう言いシャノンは優しく彼女の頭を撫でた。
『グルラァァッッッ!』
もうすぐそこに近づいていたグリズリーの地鳴りのような唸り声に呼応するようにシャノンは駆け出す。グリズリーが走る度に地面が深く抉れ、土煙が巻き上がる。涎の滴る鋭い牙がすぐ背後まで迫り、少しでも減速すれば黒く固い爪が襲い掛かることだろう。シャノンはシャルロッテから指示されずとも自然と背の二人の事を気遣いつつ、グリズリーからの攻撃を避け続けた。しかしグリズリーは体力的にも精神的にも極めてタフであった。シャルロッテは焦りの中に微かに苛立ちを募らせていく。
「…っしつこいわね!」
その焦燥感がシャノンにも伝播したのか。不幸にもグリズリーを出し抜こうと急激に方向転換しようと少し跳び上がった、その着地点にほんの小さなしかし致命的な窪みが存在していた。シャノンはその窪みに足を捕られ大きくバランスを崩す。転ぶことこそ無かったものの、シャノンの背に居た二人は空中へと投げ出された。シャルロッテは咄嗟に少女の腕を掴み、自身の胸へ引き込むと背中から地面に投げ出され、勢いそのままにゴロゴロと転がる。
「きゃっ…!」
全身に強い衝撃を受け、ジンジンと痛みが響く。辛うじて怪我はしていない。顔を上げた彼女を、見下ろすようにグリズリーが二足で立っていた。長い体毛の隙間から底の見えない深い泉のように黒い瞳でジッと二人の事を見下ろしていた。彼女が特別な訓練をこなしていた、あるいは少女に構わずとっさに魔力を込めだしていたら、あるいはこのグリズリーから逃げる隙を与える程度の抵抗はできたかもしれない。グリズリーが丸太のように太い腕を振り降ろす姿がスローモーションに見えた。せめて腕の中の彼女だけは守り抜かなければならない。その一心からシャルロッテはその攻撃から一切顔を反らさなかった。彼女の体をグリズリーの爪が切り裂くというまさにその瞬間、反射から目を閉じた彼女は来るはずの衝撃。それがいつまでたっても自身を襲わない事実に気が付く。
恐る恐る瞼を開ける。眼前に小さい時からいつも見ていた。自分を庇うように立つ大きな背中。黒い甲冑を身に纏う、シャルロッテの騎士。首を失くしたままのガラハッドがグリズリーの腕を受け止めていた。シャルロッテが辺りを見渡すと、平野の向こうにガラハッドの首が何かを叫んでいる。遠すぎてなんと言っているのかは全く分からないが、とにかく自分の正体がバレるリスクを顧みず来てくれたのだった。ガラハッドの胴体はそのままグリズリーの腕をはじき返すと、素早く懐に潜り込み両手をグリズリーの胴体に回す。グリズリーの全力の抵抗も顧みず、地面に足がめり込む勢いで力むと、そのままその巨体を掬い投げてしまった。豆粒のような大きさのガラハッドの首がドヤ顔で叫んでいるのが見え、シャルロッテは少し笑ってしまう。グリズリーは今しがた自分に起こったことが飲み込めないみたく、分かりやすく動揺していた。しかしここでおめおめと逃げ出すには彼のプライドが許さない様で、すぐに自分の前に立ちふさがるガラハッドの胴体に向かい合う。一回、二回と低く吠えるとのしかかり押しつぶさんとばかりの勢いでガラハッドに飛びかかった。ガラハッドは再びグリズリーと組み合うと、傷だらけのはずの自分の体に構わず、堪える。それはシャルロッテならこのグリズリーを一撃で吹き飛ばせるという信頼からの盾になるという覚悟で合った。シャルロッテも彼の意図をすぐ汲み取り、全身に流れる魔力を前方に突き出した右手の掌へと一極集中させていく。彼女の体を中心としつむじ風が巻き起こり、体の表面を流れていく魔力が薄紫色に発光していた。少女やガラハッドが巻き込まれないように魔力の塊を丁寧に小さく圧縮させていく。やがてそれが掌で簡単に包めるほどの大きさになった時、彼女は左手でしっかり少女を抱え、よく狙いを定めた。少しづつ押されているガラハッドの脇を掠めるようにグリズリーの胴体を補足すると、彼女は丁寧にそれを打ち出した。弾速はそこまで早くないその弾が狙い通りグリズリーの体へとまるで雄しべにつく花粉のようにそっと触れた瞬間、その巨体はいとも容易く嘘のように吹き飛ぶ。そうして僅かに遅れた後、紫色の玉形の爆発を起こした。辺りの草を薙ぎ払う衝撃波と爆風が去ったその後に、グリズリーのいた痕跡はおろか一切の面影もなく、跡形もなく消滅したとしか言いあらわせなかった。シャルロッテの腕の中に包まれていた少女は自身の目の前で起こったことが何か壮大なおとぎ話、夢のように感じられて仕方がなかった。しかし爆発の風でフードがめくれ、太陽の元にあらわになった魔族の角を、もはや隠そうともせず人差し指を口元に当てながらぎこちなく微笑む自身の事をずっと守ってくれた女性のその姿を見て、自分はこの魔族二人に救われたという事実だけは理解した。
「大丈夫か!!」
遠くから多くの村人たちの声が迫って来て、シャルロッテは慌ててフードを被り直し、土埃を掃った。ガラハッドは急ぐあまり躓き転んで這いながら自身の頭を回収すべく戻っていく。その締まらない姿を見てシャルロッテは思わず口元をほころばせた。
「あ~ベルルーイになんて言おう…。」
村からの帰路にシャノンの馬上でガラハッドはこれからの結末に憂いていた。大きな怪我こそ無かったものの、シャルロッテは着ている服が土埃に汚れ、裾がほつれ、所々に穴が空く程度には無理を強いた。シャルロッテの護衛として任された結果のこれではまず無事に済むことはないだろう。
「…しょうがないんじゃない?想定外の事だったのだから。」
荷台の奥にできた影の中に体を収め、全身の痛みを紛らわせながらシャルロッテは言うが、ガラハッドはその言葉に生返事を返すのみで、依然と肩をがっくり落としている。
「…分かってるわよ。反省してる。私の我儘が招いた結果だもの。ベルルーイには私から適当に言っておくから。」
ベルルーイがため息交じりにそう言うと、ようやくガラハッドが振り返る。不安が解消されたからかその顔には生気が戻っていた。
「それよりいいの?あの村人たちを放っておいても。」
「…まぁ。過ぎたことはもうしょうがないだろ。」
ガラハッドは村を出る時の事を思い出す。迷子の子を見つけるどころか山賊やグリズリーを退治してしまった二人に感謝や称賛の声は多かったが、同時に多くの村人がいくつかの奇妙な光景を目撃していた。例えばガラハッドの首が吹き飛んだように見えたり、巨大なクレーターを生み出すほどの魔法をシャルロッテが放った事だ。その言葉に対してガラハッドは一貫して
「見間違いだ!」
の一点張りでしのぎ切ったのである。
「噂が広まるのは早い。恐らくあっという間に街のほうにもこの話は広まると思う。でも俺もゴロツキを退治するのに首投げつけたりしてるからいずれはバレてただろうし。なるようになるさ。そんな事より帰ったらどうするよ。結構遅くなっちまったな~。」
シャルロッテがらみの心配事が解消され、無敵感でも生まれたのか。先程までのしおらしさはどこへやら調子づきあっけらかんと語るガラハッドへシャルロッテは冷めた目を向けた。ただそれでもガラハッドに聞こえることのないように小さく発せられた「ありがとう」の言葉は街へと向かう馬車の窓からすり抜け、オレンジ色に染まる夕暮れに道へと消えていった。
夜の街並みは昼間とはまた違った顔を見せる。ただかぼちゃを回収するだけの任務なのに、不思議とボロボロの恰好で帰ってきた二人を見たレレの慌てぶりは今思い返しても面白い物があった。酒場で下品に盛り上がる飲み仲間の誘いを意固地になって断り、足早にシャルロッテの背を押しながら案内所を出たガラハッドは目が眩むほどの光の灯る大通りを教会に向けて歩いていた。疲れたのか、はたまた満足したのか。昼間と比べるとシャルロッテの口数は少なく踊る様に目移りする事も無かった。
ふと珍しくガラハッドがある出店の前で足を止める。それがほんの気まぐれなのか彼なりの気遣いなのか。彼がじっと見つめる先には天に散らばる星のように、精巧に作られたアクセサリーが綺麗に整列され並べられていた。
「旦那、何かお探しですか?」
店の奥から店主が顔を出す。ガラハッドはその店主と何やら軽く会話を始めた。内容は周りの喧噪に遮られ良く聞こえない。ガラハッドが何か言ったかと思うと店主がシャルロッテの方をちらりと見やり、何かを納得したように口角を上げた。
「何をしているの?」
シャルロッテが少し強引にガラハッドの肩を引き寄せることでようやく声が届く。
「うん?いや今ここの店主と話して。この宝石達をどれか一つ。同じ値段で売ってくれるっていうから何かアクセサリーにしたらどうだ。」
「私に?」
「他に誰がいるって言うんだ?」
驚いた。どんな風の吹き回しか。がさつで鈍くてカッコつけたがりで能天気でドジで子供っぽくて後先考えないこの男があまつさえ宝石のついたアクセサリーをプレゼントするなどと言いだすなんて。今日はよっぽど無理をさせたし、グリズリーに頭を飛ばされた時、何か悪い打ち方をしておかしくなってしまったのではないか。そう疑うざる負えない程、彼の行動は予想外だった。しかし彼はシャルロッテが宝石と加工先を選ぶのを傍でただ黙って待っていた。
「しばらく見ないうちに随分と女への媚の売り方を知ったじゃない…。遊び歩いてるの?」
「いやっ?!いやぁ~そんな事はないけどなぁ~」
「…図星ね。分かりやすい。それで私の事も簡単に手玉に取れる軽い女だと思っているわけ?」
「…やっぱやめとくかぁ~?いきなりこんな物渡されたらキモいもんなぁ~。」
「いえ。宝石は貴方が選んでくださる?」
「お、俺が選ぶのか?」
思い描いた展開と違ったのかガラハッドは目を点にし、しどろもどろになる。しかしシャルロッテはせっかくの好奇。この隙を逃す気はサラサラない。
「私を想って。さぁ。」
「えぇーっと…」
ガラハッドは目の前に整列された宝石に何周も目を通し、さんざんウンウンと唸った後、一つ手に取った。炎のように黒みがかった深い赤色の宝石だった。
「これでどうでしょう?」
ガラハッドが探る様に差し出すとシャルロッテはそれを吟味することなく受け取る。
「なんでこれにしたのか…。その理由は聞かないでおこうかしら。店主さん。こちらをピアスに加工してくださる?」
「ピアス?!耳に穴を空けるの?ネックレスとか…せめて指輪にしないか?」
「結構。ピアスにしてください。」
ガラハッドの必死の訴えも虚しくもシャルロッテによって容易く拒絶された。
「はぁぁぁぁぁーーーーーーーーー」
余りにも長すぎる溜め息は激動の数日を無事に乗り切った安堵ゆえだった。静寂と若干の埃臭さを漂わせる教会にはもうシャルロッテ達の姿はない。彼女達は別れの言葉も短く早朝に街を発った。
「必ず事細かく手紙を出す事。」
シャルロッテは最後に表情を一つも変えずそれだけをガラハッドに注文していった。
「随分と疲れてるね。眠れてないのかい?」
「知ってるくせによく言うよ。ただようやっと馬鹿みたいに酒を飲んで、泥みたく眠れる。」
ナギの言葉にガラハッドは軽口を叩いた。この街にはもうシャルロッテはいない。それだけで空を舞えそうなぐらい肩の重荷がなくなったという物だ。
「いろいろあったみたいだけど…大丈夫なの?その…魔王城に呼び出されたりとか?」
「怖いこと言わないでくれ。そうならないようにやれることはやったさ。後は彼女達が魔王城に帰った後にどういう風に言うかだろうな。物で釣られるような性質じゃないのは分かってるが、最後にちょっとしたプレゼントも渡したし。」
「…君って根本的にちょっと人の事を舐めてる節があるよね。本当に大丈夫なのかい?」
そう怪訝な目を向けるナギをガラハッドは笑い飛ばす。
「心配しすぎだって。最後のプレゼント。あれで俺の誠意っていうか忠誠心も伝わっただろう。」
「などと今頃ガラハッド様は仰っておられるでしょうね。」
時を同じくして人の目に付かぬ道を魔王城に向かい走る馬車の中でベルルーイは見事な推理を披露して見せていた。
「少しガラハッド様に対して無茶を押し付けすぎでは?無礼を承知として意見しますがお嬢様はもう少し素直になってもよろしいかと。」
「良いのよ。相談もせず飛び出して挙句、自分だけた思い通りの生活を送っていた。こっちの心配も知らずに…。丁度いい罰。清々するわ。」
窓の外を眺めるその哀愁を帯びた眼差しにベルルーイはやれやれと首を振る。
「ところで本当によろしかったのですか?」
「何のこと?」
ワザとらしくとぼけるシャルロッテにベルルーイは呆れたように自身の耳を指さした。シャルロッテの耳には決して派手ではないが、あの夜にガラハッドがプレゼントした彼女の瞳に瓜二つの赤い宝石のピアスが輝いていた。
「お父上になんとご説明なさるつもりですか?」
「…怒るかしら。」
「それはもうカンカンのプンプンでしょうね。」
「…いいわ。」
彼女が動くとピアスが控えめに揺れる。彼女はそのピアスを愛おしそうにそっと指で摘まみなぞった。
「なるようになる…って言ったのは彼だもの。」
魔王の娘らしく、彼女は蠱惑的な笑みを浮かべた。
依頼から街へと帰った後、シャノンは空気を読んで一頭で先に帰りました。彼女は人の恋路に寄り添える聡明な馬です。




