第8話 あたたかいコタツと大賢者
季節は巡り、王都にも厳しい冬の寒さが訪れ始めていた。
隙間風が吹き込む俺の安アパートは、まるで氷室のような寒さである。
「絶対にリスクを避ける」俺にとって、風邪を引くことは何よりも避けるべきリスクだ。
そこで俺は、なけなしの貯金をはたいて、冒険者ギルドのバザーで「魔導コタツ」を安く購入してきた。
魔力を動力源として発熱する、異世界の素晴らしい冬の風物詩である。
「あ、アル。また変なガラクタ買ってきたの?」
ギルドの受付嬢である幼馴染のミーアが、コタツを背負う俺を見て呆れたように声をかけてきた。
「ガラクタじゃない。これは生存戦略のための必須アイテムだ」
俺が胸を張って答えると、彼女はため息をつきながら周囲を見渡した。
「それよりアル、聞いた?魔界が今、とんでもないことになってるらしいわよ」
ミーアが声を潜めて言った。
「魔界が?」
「ええ。魔王が完全に失踪して、魔王軍がパニック状態なんですって。四天王たちが血眼になって人間界にスパイを送り込んできてるって噂よ」
俺の背筋に、冬の寒さとは違う冷たい汗が流れた。
その行方不明の魔王なら、今まさに俺の部屋で留守番をしている。
「へ、へえ……物騒だな。俺には関係ない話だ」
俺は引きつった笑いを浮かべ、そそくさとギルドを逃げ出した。
急いでアパートに帰り着き、部屋の中央に魔導コタツを設置する。
魔力石をセットし、スイッチを入れると、ほんのりとした温かさが部屋全体を包み込んだ。
「おお……これは素晴らしい……」
俺は至福のため息をつきながら、コタツに潜り込んだ。
その日の夜。
いつものように、王宮からの任務を適当に終わらせてきたレオンとマリアが部屋にやってきた。
「うう、外は寒かったぜ……って、なんだこれ?」
マリアが部屋の中央に鎮座するコタツを見て目を丸くした。
「魔導コタツだ。入ってみろ、飛ぶぞ」
俺が適当に答えると、二人はおそるおそるコタツに足を入れた。
そして、数秒後。
「あー……マジでここから出たくねえ。神の教えとかどうでもいい……」
マリアは完全に骨抜きにされ、コタツの天板に突っ伏した。
「泥水より遥かに温かい……!これが、真の生存戦略の到達点ですね、師匠!」
レオンも涙を流しながらコタツの温もりに感動している。
そして、部屋の隅で縮こまっていたセレスティアも、恐る恐るコタツに潜り込んできた。
「はわぁ……魔界の玉座よりふかふかです……」
人類の希望である勇者と聖女、そして魔族の頂点である魔王。
その三人が、四畳半の狭いコタツの中で、完全にダメ人間と化していた。
「おいクソ勇者、あたしのみかんに手を出したらメイスで砕くぞ」
「こういうのは早い者勝ちと相場が決まっているんですよ!」
突如、コタツの上の籠に盛られた最後の一つのみかんを巡って、人類トップ二人の醜い争いが始まった。
「あ、あの……喧嘩はよくないですよ……」
セレスティアがおろおろと仲裁に入ろうとするが、二人の殺気にあっさりと跳ね返される。
俺はため息をつき、みかんを横取りして一口で放り込んだ。
「俺の部屋で喧嘩するなら、出禁な」
俺が冷たく言い放つと、二人はピタリと動きを止めた。
「「……すみませんでした」」
人類最高峰の武力。
それが、たった一言の「出禁」という言葉の前にひれ伏す。
俺の平穏な日常は、このコタツという絶対的な結界によって、今日もギリギリのところで守られているのであった。
* * *
コタツを導入してから数日後のこと。
今日もスライム討伐という低リスククエストをこなし、アパートに帰還した俺は、部屋の中の異変に気がついた。
誰もいないはずの部屋の中央。
俺の愛するコタツの布団が、不自然にこんもりと盛り上がっているのだ。
「……泥棒か?」
俺は護身用の安い短剣を構え、息を殺してコタツに近づいた。
「絶対に危険を避ける」ためには、ここで一撃離脱の構えを取るのが正解だ。
俺は勢いよくコタツの布団をめくり上げた。
「なんじゃ、冷たい風が入ってくるではないか。閉めよ」
そこには、見知らぬ幼女が丸まっていた。
銀色の長い髪に、大きなエメラルドグリーンの瞳。
見た目は十歳程度の愛らしい少女だが、その口調はどこか老成している。
「……誰だお前。どこから入ってきた」
俺が警戒しながら尋ねると、幼女は面倒くさそうに寝返りを打った。
「ワシか?ワシはリリィじゃ。お主がここの主じゃな?」
「リリィ?聞いたことないな。親はどこだ」
「親などとうの昔に死んでおるわ。ワシは300年生きる大賢者じゃぞ」
大賢者。
その言葉を聞いて、俺の記憶の底から一つの伝説が蘇った。
かつて世界を救い、あらゆる魔法を極めたとされる伝説の存在。
しかし、あまりにも面倒くさがりな性格のため、歴史の表舞台から姿を消したという。
「……大賢者様が、なんで俺の家のコタツにいるんだよ」
「マリアとレオンに聞いたんじゃ。あやつら、お主のことを『絶対的な平穏をもたらす神』のように吹聴しておったぞ」
俺は頭を抱えた。
俺の適当な相槌が、いつの間にか神格化され、伝説の存在すらも引き寄せてしまったらしい。
「ここは適度に放置してくれると聞いてな。ワシは今日からここに寄生させてもらうぞ。三食昼寝付きで頼む」
リリィは堂々とニート宣言をかました。
また一人、俺の部屋に厄介な居候が増えてしまったのだ。
「ふざけんな、俺はただのCランク冒険者だぞ。養う金なんてない」
俺が文句を言うと、リリィは大きくため息をついた。
「金なら心配いらん。ほれ」
彼女が指を弾くと、空間が歪み、大量の金貨が床にジャラジャラと降り注いだ。
「……まあ、それならいいか」
俺の小市民的な魂は、金貨の輝きにあっさりと屈した。
「アルよ、ワシは腹が減った。そこにあるカップ麺とやらを作ってくれ。ワシは息をするのも面倒なんじゃ」
「お湯くらい自分で沸かせよ」
俺が冷たく言い放つと、リリィは「仕方ないのう」と呟き、指先をカップ麺に向けた。
次の瞬間、彼女の指先に恐るべき熱量の魔力が集束し始めた。
「……おい、お前、それ……」
「ただの温熱魔法じゃ。炎の絶禍を極小サイズに絞っただけじゃから安心せい」
山を一つ消し飛ばすレベルの禁術を、カップ麺のお湯を沸かすためだけに使う大賢者。
俺の部屋の常識は、今日も音を立てて崩壊していくのであった。




