第7話 魔王の愚痴と依存心
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王都の裏通りにある薄暗い酒場。
俺の奢った温かいスープと固いパンを、みすぼらしいローブ姿の女性は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら貪り食っていた。
「……うっ、ぐすっ……美味しい……こんなに温かいご飯、何百年ぶり……いや、何年ぶりだろう……」
彼女は途中で言葉を言い直した。
まあ、色々と苦労しているのだろう。
俺は適当に安いエールをすすりながら、彼女の様子をぼんやりと眺めていた。
名前を聞けば、彼女は「セレスティア」と名乗った。
どこかの田舎から出稼ぎに来て、とんでもないブラック職場に配属されてしまったらしい。
「あのね、聞いてくださいよ!」
セレスティアはパンを飲み込むなり、バンバンとカウンターを叩いて身を乗り出してきた。
「うちの職場、本当に最悪なんです!」
「部下はいつも『人間の村を焼き討ちにしましょう!』とか血生臭いことばっかり言って、私の言うこと全然聞かないし!」
「あー、血の気が多い奴が多い職場なんだな」
「傭兵団か何かか?」
「そんな立派なものじゃありません!」
「ただの野蛮な筋肉ダルマの集まりです!」
彼女の愚痴は止まらない。
「おまけに、四天王……じゃなくて、四人の幹部がいつも派閥争いをしてて、その仲裁をするのは全部私なんですよ!」
「そりゃあ、中間管理職は大変だな」
俺は深く頷いた。
俺も前世では、理不尽な上司と無能な部下に挟まれて胃に穴を開けた経験がある。
だからこそ、彼女の苦労は痛いほどよくわかるのだ。
「それに、最近は同業他社……じゃなくて、敵対勢力の『勇者』とかいうサイコパスが、泥まみれでうちの支社を物理的にぶっ壊して回ってるんです!」
「……ん?」
「勇者?」
「そうなんです!」
「なんでも『師匠の教え』とか言いながら、泥水の中から目潰しをしてくるらしくて、うちの幹部たちもすっかりビビっちゃって……!」
俺の背筋に、冷たい汗がツーッと流れ落ちた。
勇者。
泥まみれ。
目潰し。
師匠。
間違いなく、現在俺の部屋の魔導ストーブの前でスルメを齧っている、あの歴代最強の勇者レオンのことだ。
ということは、この子の職場って、魔王軍か!?
俺は心の中で盛大にツッコミを入れた。
どうやら彼女は、魔王軍の末端で働く下級魔族かなにかのようだ。
勇者の狂気的な戦法に心を病んで、ついに逃げ出してきたらしい。
「本当に大変でしたね。そんなクソみたいな上司や職場、逃げ出して正解ですよ」
俺が心からの同情を込めてそう言うと、セレスティアはピタリと動きを止めた。
彼女の美しいアメジストの瞳が、驚きに見開かれる。
「……逃げ出して、正解……?」
「当たり前じゃないですか」
「命あっての物種ですよ」
俺はいつもの「生存戦略」の基本理念を語り始めた。
「仕事なんて、いくらでも代わりがいます。でも、あなたの命や心は、あなただけのものです」
「限界なら逃げる。それが一番賢い生き方ですよ」
俺は自分自身のサボり癖を正当化しているだけだった。
しかし、セレスティアにとって、その言葉は全く違う意味を持って響いたらしい。
「私の代わりは、いくらでもいる……限界なら、逃げてもいい……」
彼女は呆然と呟き、やがてその瞳から再び大粒の涙をこぼし始めた。
「誰も、そんなこと言ってくれなかった……!」
「えっ?」
「私はずっと『お前がトップに立たねば世界は終わる』『絶対的な恐怖で統治しろ』って、プレッシャーばかりかけられて……!」
セレスティアは俺の手を両手でガシッと握りしめた。
「あなたは、私の本当の心を救ってくれました……!そうです、魔王なんて仕事、もう誰かに押し付けてやればいいんです!」
「……ん?今、魔王って言った?」
「アルさん!私、決めました!」
セレスティアは俺の微弱なツッコミを完全に無視し、満面の笑みを浮かべた。
「私、もう魔界には帰りません!あなたと一緒に、ここで生きていきます!」
「……はい?」
「だって、こんなに優しくしてくれたのは、アルさんが初めてだから……!もう絶対に、あなたから離れませんからね!」
彼女の瞳には、ブラック企業から解放された喜びと、俺に対する狂気的なまでの依存心が渦巻いていた。
(やばい。やばいやばいやばい!)
俺の危機察知能力が、過去最大級のアラートを鳴らしている。
魔王軍の末端だと思っていたこの娘、もしかして……いや、もしかしなくても、魔王セレスティア本人じゃないのか!?
人類のトップである勇者と聖女が俺の部屋に居座っているだけでも胃が痛い。
ここで魔族のトップまで抱え込んだら、俺の安アパートは文字通り世界の中心になってしまう。
「あ、あのさ、気持ちは嬉しいけど、俺の部屋、もう先客がいてさ……」
俺が必死に断ろうとした、その時だった。
「あー、アル!こんなところにいたのかよ!」
酒場の入り口から、聞き覚えのあるガサツな声が響き渡った。
「夕飯の肉、焼き終わったから呼びに来てやったぜ!早く帰って食おうぜ!」
「師匠ー!外は寒いから早くストーブの前に戻りましょう!」
バンッという音と共に酒場に入ってきたのは、ボロ布のような部屋着姿の聖女マリアと、同じく完全にオフモードの勇者レオンだった。
「……ッ!」
セレスティアの体が、ビクッと大きく跳ねた。
彼女は信じられないものを見るような目で、入り口の二人を見つめている。
「ゆ、勇者……!?それに、聖女……!?」
「あん?なんだこのみすぼらしい女」
マリアが眉をひそめ、セレスティアを睨みつける。
「ちょっとアル、浮気か?あたしらというものがありながら、こんな泥だらけの女に飯を奢ってやがるのかよ」
「違う!というか浮気ってなんだよ!」
「師匠、お腹が空いたなら僕が最高級の肉を焼いたのに……その女は誰ですか?」
レオンも冷ややかな目でセレスティアを見下ろした。
世界最強の勇者と聖女。
その二人が放つ圧倒的なプレッシャーに、セレスティアはガタガタと震え始めた。
終わった。
ここで彼女が魔王だとバレれば、酒場ごと血の海になる……!
俺が絶望に目を閉じた、次の瞬間だった。
「ひっ……!怖いです、アルさん……!」
セレスティアは俺の背中に隠れるようにしてしがみつき、涙目で俺を見上げた。
「この野蛮な人たち、怖い……!助けて、アルさん……!」
「……は?」
マリアとレオンが、同時に目を丸くした。
魔王であるはずの彼女が、一切の覇気も殺気も出さず、ただの「か弱い田舎娘」として俺に助けを求めている。
いや、演技ではない。
完全に心が折れてブラック企業から逃げ出してきた彼女にとって、今のレオンたちは「自分を追い詰める過激なクレーマー」くらいにしか見えていないのだ。
「おいアル、こいつ誰だよ。なんでお前にそんなに馴れ馴れしいんだ」
マリアが不機嫌そうにずんずんと近づいてくる。
俺は腹を括った。
ここで彼女が魔王だとバレれば大惨事だ。
「あー……その、彼女はセレスティア。田舎から出てきて、ブラックな職場でひどい目に遭って逃げ出してきたらしいんだ」
俺は適当な設定(事実)をでっち上げた。
「行く当てもないみたいだし、俺が少し面倒を見てやろうかと思ってな」
「……ふーん」
マリアは胡散臭そうにセレスティアを値踏みしている。
「まあ、アルがそういうならいいけどよ、てめえ、アルに迷惑かけたら承知しねえからな」
「は、はい……!」
セレスティアは俺の背中に顔を埋めながら、必死に頷いた。
「仕方ありませんね。師匠がそこまで言うなら、今日は特別に僕の焼いた肉を分けてあげましょう」
レオンもため息をつきながら、矛を収めてくれた。
助かった。
俺は心の中で安堵の息を吐いた。
だが、問題は何も解決していない。
俺の安アパートには今夜から、歴代最強の勇者、奇跡の聖女に加えて、絶対的な覇王である魔王が同居することになったのだ。
「さあ、帰るぞアル。肉が冷める」
「はいはい。ほら、セレスティアも行くぞ」
「はいっ……!どこまでもついていきます、アルさん!」
俺の袖をしっかりと掴んで離さない魔王を引き連れ、俺は家賃銀貨三枚の我が城へと歩き出した。
* * *
翌朝。
太陽が昇ると共に、レオンとマリアは不承不承といった様子で王宮からの呼び出しに応じて出かけていった。
ストライキのおかげで待遇は劇的に改善されたらしいが、最低限の討伐任務はこなさなければならないらしい。
部屋に取り残されたのは、俺とセレスティアの二人だけだ。
俺はため息をつきながら、昨晩の宴会の残骸である空き瓶や皿を片付け始めた。
「あ、あの!アルさん、私も手伝います!」
セレスティアが慌てて立ち上がり、俺から皿を受け取ろうとする。
「いいよ、お前は休んでろ。ずっと働き詰めで疲れてるんだろ?」
俺が気遣うと、彼女はブンブンと首を横に振った。
「いえ!アルさんに拾ってもらった恩を返さなきゃ……私、家事でもなんでもやりますから!」
その健気な姿に、俺は少しだけ心を打たれた。
魔王とはいえ、根は真面目で良い子なのだろう。
「わかった。じゃあ、そっちの皿を洗ってもらえるか?」
俺が水桶を指差すと、彼女は嬉しそうに頷き、皿を手に取った。
しかし、次の瞬間。
パリンッ!
乾いた音と共に、皿が彼女の手の中で粉々に砕け散った。
「えっ……?」
セレスティアは呆然と自分の手を見つめている。
どうやら、無意識のうちに魔力を込めすぎてしまったらしい。
「あ、あああ!すみません!私、なんてことを……!」
彼女は顔面蒼白になり、土下座の勢いで床に崩れ落ちた。
俺は目を丸くした。
皿を一枚割っただけでこの反応である、魔王軍の職場環境は一体どれだけブラックなのだろうか。
「いや、皿一枚で命なんか取るかよ」
俺は苦笑しながら彼女に手を差し伸べた。
「怪我はないか?皿なんか安いもんだ。気にするな」
その言葉を聞いた瞬間、セレスティアの瞳から大粒の涙が溢れ出した。
「うわぁぁぁん!アルさん……!なんて優しいんですか……!」
彼女は俺に抱きつき、子供のように泣きじゃくった。
「私の職場では、ちょっとしたミスでも幹部から罵倒されて……休む暇もなくて……!」
彼女の愚痴を聞きながら、俺は優しく背中を撫でた。
「大変だったな。ここでは失敗しても誰も怒らないから、ゆっくり休めよ」
俺の適当な慰めの言葉が、彼女の心にどれほど深く突き刺さったのか、俺はこの時はまだ理解していなかった。
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