第9話 四畳半の頂上会談
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山を一つ消し飛ばすレベルの禁術を、カップ麺のお湯を沸かすためだけに使う大賢者。
俺の部屋の常識は、今日も音を立てて崩壊していくのであった。
「……おい、お前。今使った魔法、どう見てもただの温熱魔法じゃないだろ」
俺が呆れたようにツッコミを入れると、リリィはコタツの中でゴロゴロと寝返りを打った。
「案ずるな、威力を百万分の一まで絞っておる」
「そういう問題じゃない。万が一暴発したら、俺の安アパートごと王都が吹き飛ぶだろうが」
「ふはは、この大賢者リリィが魔力制御を誤るなど、天地がひっくり返ってもあり得ぬわ」
幼い容姿に似合わぬ尊大な態度で、リリィは自慢げにふんぞり返った。
俺は深々とため息をつき、沸きたてのお湯が注がれたカップ麺を彼女の前に置いた。
「ほら、三分待て. それ以上でもそれ以下でも駄目だぞ」
「三分じゃと? なぜそんな中途半端な時間を待たねばならんのだ」
「それがこの世界の、カップ麺という至高の食い物に対する礼儀だからだ」
俺の適当なウンチクを、リリィは「ほう」と感心したように頷いて聞いている。
そこへ、部屋の隅で洗濯物を畳んでいたセレスティアが、おずおずと近づいてきた。
「あ、あの……アルさん。私、お掃除でもしましょうか?」
彼女は本当に健気だった。
ブラック企業(魔王軍)から逃げ出してきた田舎娘という設定の彼女は、俺に拾われた恩を返すため、日々家事に奮闘している。
ただ、その空回りっぷりが尋常ではないのだ。
「いや、いいよセレスティア。さっき洗濯物を手で絞ろうとして、俺のシャツを引き裂いたばかりだろ?」
「うっ……! そ、それは……ちょっと力が入りすぎちゃって……!」
セレスティアは顔を真っ赤にしてうつむいた。
彼女の膂力はおかしい。
薄っぺらい布を絞るだけで、まるで巨岩を粉砕するような凄まじい力が発揮されるのだ。
魔族のトップである魔王の隠しきれない身体能力が、家事という繊細な作業において完全に裏目に出ている。
「お前は疲れてるんだから、コタツに入ってみかんでも食ってろ」
「で、でも……私だけ何もしないなんて、申し訳なくて……!」
「いいから。ここで無理して働いたら、またブラック企業に逆戻りだぞ」
俺が適当な理由をつけて休ませようとすると、彼女の瞳からまたしても大粒の涙が溢れ出した。
「アルさん……っ! あなたって人は、どこまでお優しいんですか……!」
「いや、俺のシャツをこれ以上破られたくないだけなんだが」
「私、一生アルさんにお仕えします! アルさんのためなら、世界の一つや二つ、すぐにでも滅ぼしてみせますから!」
「物騒な恩返しはやめろ」
俺は彼女の背中を軽く叩き、コタツの方へと促した。
セレスティアは鼻をすすりながら、コタツの布団をめくり、リリィの向かい側に潜り込む。
「……なんじゃ、この娘は」
カップ麺の蓋を押さえながら、リリィがジロリとセレスティアを睨みつけた。
その瞬間、リリィの翠緑の瞳が、驚きに大きく見開かれた。
「お主……その内に秘めたる魔力、尋常ではないな。まるで深淵の闇そのもの……」
リリィの言葉に、セレスティアがビクッと肩を震わせる。
「ひぃっ……! な、なんのことですか……? 私はただの、田舎から出てきたか弱い娘で……」
「隠しても無駄じゃ。ワシの真眼はごまかせんぞ。お主、もしや魔界の……」
リリィが核心を突こうとした、まさにその時だった。
バンッ! とけたたましい音を立てて、アパートの扉が開け放たれた。
「ただいま戻りました、師匠! 今日の討伐任務も、泥水フルダイブ戦法で完璧にこなしてきましたよ!」
「あー、疲れた。おいアル、酒だ酒。冷えたエールを出してくれ」
泥と魔物の血にまみれた勇者レオンと、ボロボロの法衣をまとった聖女マリアが、我が物顔で部屋に上がり込んできたのだ。
彼らはストライキ後も、王宮からの最低限の依頼だけは適当にこなしているらしい。
「お前ら、帰ってくる前に外の井戸で泥を落としてこいっていつも言ってるだろ……」
俺が頭を抱えながら文句を言うと、二人は部屋の中央にあるコタツと、そこに座る見慣れぬ幼女の姿に気づいて立ち止まった。
「……ん? 師匠、その子供は誰ですか?」
レオンが首を傾げる。
「ああ、なんか今日から住み着いたらしい。リリィって言ってたか」
俺が適当に紹介すると、レオンとマリアの顔色が、一瞬にして青ざめた。
「り、リリィ……!? 銀髪に翠緑の瞳、そしてその圧倒的な魔力の残滓……!」
レオンが震える指でリリィを指差す。
「うそだろ……伝説の、大賢者リリィ様……!? なんで三百年前の英雄が、ここでカップ麺すすってんだよ!?」
マリアも信じられないものを見るように、目を見開いて叫んだ。
「ほほう. 最近の若造は、ワシの顔を知っておるのか」
リリィはズルズルと麺をすすりながら、不遜な笑みを浮かべた。
「しかし、驚くのはそこではないじゃろう」
「え……?」
「ワシのような伝説の存在を、ただの居候として扱い、カップ麺のお湯を沸かす係に任命するこの男の器のデカさよ」
リリィは俺をビシッと指差した。
「このアルという男、底が知れぬ。ワシの覇気にも全く動じず、ただ『三分待て』と命じおったわ」
「……はあ?」
俺は間抜けな声を出した。
ただのカップ麺の作り方を教えただけなのだが。
「さすがです、師匠……! 伝説の大賢者すらもアゴで使うとは、まさに真の支配者!」
「アル……お前、本当に何者なんだよ……」
レオンとマリアが、さらに深い尊敬と畏怖の念を込めて俺を見つめてくる。
そして、そのやり取りを聞いていたセレスティアも、震える声で呟いた。
「大賢者に勇者、そして聖女……そんなすごい人たちを束ねるアルさんは、やっぱり神様みたいな人だったんですね……!」
魔王の瞳に、さらなる強固な依存の光が宿る。
「いや、俺はただの万年Cランクの冒険者で……」
俺のささやかな自己弁護は、完全に出来上がった彼らの妄想の前に、虚しくかき消されていった。
俺の平穏なアパートは、今や人類最高峰の頭脳と武力、そして魔界の頂点が集う、世界で最も危険な特等席となってしまったのだ。
* * *
外では吹雪が吹き荒れているが、俺の部屋の中は魔導コタツのおかげで楽園だった。
しかし、その楽園の内部では、現在、血で血を洗うような熾烈な領土争いが繰り広げられている。
「おいクソ勇者、てめえの足が邪魔なんだよ! あたしの領土に侵入してくんな!」
「そっちこそ、足を伸ばしすぎですよマリア! 僕は師匠の隣という神聖なポジションを確保するために、ミリ単位で位置を調整しているんですから!」
人類の希望である勇者レオンと、慈愛の象徴である聖女マリアが、コタツの下で激しい蹴り合いを展開している。
その横では、伝説の大賢者リリィが、みかんを器用に剥きながら呆れたようにため息をついていた。
「若いのう。コタツにおける真の強者とは、己の気配を消し、最も温かい熱源の正面を確保する者のことじゃ。ワシのように無の境地に至れば、足のぶつかり合いなど次元の低い争いに過ぎん」
「偉そうなこと言ってるけど、あんたさっきからみかんの白い筋を剥くのに魔力使ってないか?」
俺がツッコミを入れると、リリィはビクッと肩を揺らした。
「ば、馬鹿者! これは繊細な魔力コントロールの修行じゃ!」
「みかんで修行するな」
俺は深々とため息をつき、熱い茶をすすった。
四畳半の部屋の中央に置かれた一つの魔導コタツ。
そこに、万年Cランク冒険者の俺、勇者、聖女、大賢者、そして魔王がすし詰め状態で入っているのだ。
人口密度ならぬ、俺を除いた戦闘力密度が異常すぎる。
「あ、あの……皆さん、喧嘩はよくないですよ……」
セレスティアが、オドオドしながらみかんを差し出して仲裁を試みる。
「美味しいみかんですから、みんなで仲良く食べましょう……?」
彼女の健気な姿に、レオンとマリアは渋々ながら蹴り合いを止めた。
「まあ、セレスティアがそう言うなら仕方ありませんね」
「全くだ。こんな田舎娘に気を遣わせるなんて、あたしたちも焼きが回ったな」
二人はセレスティアの正体が魔王であるなどと微塵も疑っていない。
ただの「アルに拾われた可哀想なブラック企業の元社員」として完全に認識しているのだ。
もし彼女が魔王だと知れば、このコタツは瞬時にして最終決戦の舞台と化すだろう。
「それにしても、最近魔界の連中、本当に静かですね」
レオンがみかんを頬張りながら、思い出したように言った。
「僕たちがストライキを終えてからというもの、魔王軍の幹部クラスが全く姿を現さないんですよ。前線の末端の魔物たちが、右往左往しているだけで」
「ああ、ギルドの連中も言ってたな. 魔王が失踪したって噂は本当みたいだぜ」
マリアが同意する。
その言葉を聞いた瞬間、セレスティアの肩がビクッと大きく跳ねた。
「ひっ……!」
「どうした、セレスティア。寒いのか?」
俺が声をかけると、彼女は慌てて首を横に振った。
「い、いえ! なんでもありません!」
彼女の額には、滝のような冷や汗が流れている。
自分が失踪したせいで魔界がパニックになっているという事実を突きつけられ、罪悪感と恐怖で押し潰されそうになっているのだろう。
「魔王が失踪したとなれば、これはチャンスかもしれません」
レオンが真剣な顔つきになった。
勇者としてのスイッチが、不意に入ったらしい。
「今なら、魔王軍を一網打尽にできるかもしれない。師匠、僕たちに何か秘策はありますか?」
「秘策?」
俺は適当に聞き流していたため、間の抜けた返事をしてしまった。
「ええ。師匠の泥水フルダイブ戦法を超える、圧倒的で非道な、悪魔すらも戦慄するような究極の生存戦略です!」
レオンの目が、完全に狂気を帯びて光っている。
俺はコタツの中で足を組み替えながら、適当な言葉を紡いだ。
「あー……そうだな. 何もしないのが一番じゃないか?」
「な、何もしない……!?」
「相手が勝手に混乱して自滅しそうになってるんだ. わざわざこちらから首を突っ込んで、余計なリスクを負う必要はない. 温かい部屋でみかんでも食いながら、奴らが疲弊するのを高みの見物してればいいんだよ」
俺のモットーは「危険には近づかない」だ。
敵が勝手に崩壊しているなら、それに越したことはない。
「……ッ!」
レオンとマリア、そしてリリィが、息を呑んで俺を見つめた。
「なるほど……戦わずして勝つですね!」
「わざと放置して疑心暗鬼にさせ、内部崩壊を誘うってわけか。アル、お前やっぱり悪魔よりエグい性格してるな」
「恐ろしい男よ。自らはコタツから一歩も動かず、魔界を滅ぼすつもりか」
三人が三様に、俺の適当な発言を「恐るべき謀略」として勝手に解釈し、絶賛し始めた。
そして、その横で聞いていたセレスティアは、恐怖のあまりガタガタと震えを通り越して、白目を剥きかけていた。
(こ、この人たち……本当に怖い……! 何もしないで魔界を滅ぼそうとしてる……!)
魔王である彼女にとって、アルの放った言葉は、自分の故郷を真綿で首を絞めるように滅ぼす、悪魔の宣告に聞こえたのだ。
「あ、あの……アルさん……」
セレスティアが涙目で俺の袖を引いた。
「も、もし……私の前の職場の、筋肉ダルマの幹部たちが……ここまで私を追って来たら、どうしますか……?」
彼女は怯えた小動物のように、俺を見上げている。
自分が魔王だとバレて連れ戻されることを恐れているのだ。
俺は彼女の事情を「ブラック企業からの追手」と解釈し、力強く頷いた。
「安心しろ。ここには世界最強の勇者も聖女も、大賢者もいる。お前の元上司がどんな筋肉ダルマだろうが、この部屋の敷居は絶対に跨がせないさ」
俺がそう宣言すると、レオンとマリアが胸を叩いた。
「任せてください、セレスティアさん! 師匠の部屋を荒らす不届き者は、僕が泥に引きずり込んで息の根を止めてやります!」
「あたしのメイスのサビにしてやるよ。安心しな」
その頼もしい言葉を聞いて、セレスティアの瞳から再び安堵の涙がこぼれ落ちた。
「みんな……アルさん…… 本当に、本当にありがとうございます……!」
人類の敵である魔王が、人類の希望である勇者たちに守られる約束を取り付け、感動の涙を流している。
この狂った構図を、俺達以外はまだ誰も知らない。
「よし、話はまとまったな。じゃあ、俺はここで寝るからお前ら、ちょっと静かにしろ。騒ぐならコタツの電源を切るぞ。」
俺の絶対的な一言により、四畳半の頂上会談は幕を閉じた。
伝説の英雄も、魔界の覇王も、コタツの温もりを守るためにおとなしくなる。
俺の平穏な日常は、今日も奇跡的なバランスの上で、辛うじて維持されているのであった。
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