そのはずだった未来
ロゼリーヌ・リュンヌ・ヴァルモンは、侯爵家に生まれた15歳の令嬢である。
幼い頃から高度な教育を受け、教養、容姿、魔力——どれを取っても、他の令嬢たちに引けを取ることはなかった。
とりわけ、青い炎を薔薇のように咲かせる彼女の魔法は美しく、いつしか人々は敬意と畏怖を込めて、ロゼリーヌを『青薔薇』と呼ぶようになった。
すべては、『王国の華評価会』を勝ち抜くため。
そして、ルードリヒ第一王子の婚約者に選ばれるためだった。
侯爵令嬢として生まれた以上、それが自らに与えられた役目なのだと、ロゼリーヌは信じて疑わなかった。
そのために、どれほどの時間を費やしてきただろう。
礼儀作法も、学問も、魔法も。
血の滲むような努力でさえ、苦しいとは思わなかった。
彼女を取り巻く令嬢や、貴族出身の侍女たちは口を揃えた。
「今年も第一席はロゼリーヌ様でしょう」
「ルードリヒ殿下のお隣に立つのは、ロゼリーヌ様しか考えられませんわ」
「婚約者の座など、もう決まったも同然ですわね」
周囲から寄せられる称賛や賛同は、ロゼリーヌの確固たる自信と、侯爵令嬢としての自己認識を形作っていた。
ルードリヒの隣に立つことこそが、幼い頃から思い描いてきたロゼリーヌの未来だったからだ。
———そのはずだった。
*
煌びやかな大広間に、楽団の奏でる美しい旋律が流れている。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアが眩い光を放ち、磨き上げられた床に集う貴族たちを照らしていた。
王立学園の卒業を祝う、華やかな夜。
———しかし
ロゼリーヌは大広間の中央でただ一人、立ち尽くしていた。
周囲を取り囲む人々の視線が、針のように突き刺さる。
誰かが口元を扇で隠し、ひそひそと囁いた。
それに応じるように、あちらからも、こちらからも———。
木々のざわめきのように、静かに広がっていく。
自分を持ち上げていたはずの者たちが、今度は同じ口で言う。
「わたくし、以前から少し気になっておりましたの。ロゼリーヌ様、ユーリ様にずいぶん辛く当たっていらしたでしょう?」
「ええ。お側にいたからこそ、怖くて何も申し上げられませんでしたけれど……」
「殿下のお隣に立つべきは、やはりユーリ様でしたのね」
ひそひそと交わされているはずの声は、ロゼリーヌの耳にはっきりと届き、その心を抉った。
「まぁ……そのようなことが」
「やはり、あの方が……あぁ、怖い」
「だから、選ばれなかったのだわ」
「お気の毒にねぇ……」
「でも、仕方がありませんわ」
何が仕方ないというの。
わたくしが、いったい何をしたというの。
問い返したいのに、喉が凍りついたように声が出ない。
———そして
人々の輪が割れ、その向こうからルードリヒが歩み出た。
正装に身を包んだ彼は、いつもと変わらず美しかった。
けれど、その腕の中には——見慣れた少女がいた。
白百合を思わせる淡い色のドレス。
大きな瞳を不安げに揺らし、少女はルードリヒに庇われるように寄り添っている。
ルードリヒの手は、その細い肩をしっかりと抱いていた。
「……ルードリヒ様?」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しかった。
彼は答えない。
ただ悲しげに眉を寄せ、ロゼリーヌを見つめている。
どうして、そのようなお顔をなさるの。
どうして、わたくしではなく、その方を抱いていらっしゃるの。
胸の奥がざわつき、息が苦しくなる。
何かが決定的に壊れようとしている。
そう気づいているのに、ロゼリーヌには何ひとつ止めることができなかった。
「すまない、ロゼリーヌ」
ルードリヒの声が、広間に響き渡る。
「……何を、謝っていらっしゃるのです?」
「私は、君を選ぶことができない」
その瞬間、音楽が止んだ。
人々の囁きも、衣擦れの音も、何もかもが消え失せる。
残ったのは、ルードリヒの言葉だけだった。
「わたくしを……選ばない?」
意味がわからなかった。
いいえ、本当はわかっていた。
ただ、理解したくなかった。
ロゼリーヌは手に持つ扇子を握り込み、侯爵令嬢としての矜持だけを頼りに、どうにかその場に立ち続けた。
「なぜですの?」
声は震えていない。
まだ大丈夫。
わたくしは、見苦しい姿など晒してはいない。
「わたくしに足りないものがあるのなら、おっしゃってくださいませ。礼儀でしょうか。教養でしょうか。それとも、魔力が——」
「そうではない」
ルードリヒは苦しそうに首を振った。
その腕は、それでも少女の肩から離れない。
「彼女なのだ」
ルードリヒが少女を見下ろす。
その眼差しは、ロゼリーヌが一度も向けられたことのないほど優しかった。
「私の運命の相手は、彼女だったのだ」
———運命。
たった二文字の言葉が、ロゼリーヌの積み重ねてきた15年を打ち砕いた。
努力では届かない。
家柄でも、教養でも、魔力でも覆せない。
最初から決められていたのだとしたら、これまで自分がしてきたことは何だったのだろう。
ルードリヒの隣に立つにふさわしい令嬢になろうと、必死に重ねてきた日々は。
褒めていただけるだけで嬉しかった、幼い日の思い出は。
胸の奥で大切に育ててきた、名づけることさえ許されなかった想いは———。
「ロゼリーヌ様は、恐ろしい方ですもの」
少女が、ルードリヒの腕の中で囁いた。
「違いますわ」
今度は声が出た。
「わたくしは、そのようなことなど……!」
だが、周囲にいる者たちは一斉にロゼリーヌから目を逸らした。
誰も信じてくれない。
誰も手を差し伸べてくれない。
ルードリヒさえも。
彼は少女を庇うように抱き寄せ、ロゼリーヌに背を向けた。
「お待ちくださいませ」
一歩、足を踏み出す。
ルードリヒの姿が遠ざかる。
「ルードリヒ様……!」
もう一歩。
けれど、どれだけ追いかけても距離は縮まらない。
「わたくしのお話を聞いてくださいませ!」
足元に、緑と紫が混ざった光が走った。
複雑な紋様が床一面に広がり、ロゼリーヌの身体を包み込んでいく。
ドレスの裾が激しく翻る。
伸ばした指先は、ルードリヒに届かない。
振り返った彼の顔には、深い悲しみと——ほんのわずかな安堵が浮かんでいた。
まるで、ロゼリーヌが消えてしまうことを望んでいたかのように。
「ルードリヒ様!」
光が弾ける。
足元が崩れ、身体が暗闇へと落ちていく。
「ああぁぁぁぁっ!」
———ロゼリーヌの慟哭も、深い暗闇の中へ吸い込まれていった。
*
「ああぁぁぁぁっ!」
叫び声とともに、ロゼリーヌは跳ね起きた。
肩で大きく息をしながら、胸元をきつく握り締める。
鼓動が速い。
喉がひりつき、全身に嫌な汗が滲んでいた。
「……夢?」
乱れた呼吸を整えながら、恐る恐る辺りを見回す。
見覚えのない壁紙、天井。
見覚えのない寝台。
身体に掛けられているものも、肌に触れる衣服も、ロゼリーヌが知る品とはまるで違っていた。
すべて悪い夢だったのだと、そう思いたかった。
けれど、見覚えのない部屋で目を覚ました今、そう言い聞かせることさえできなかった。
夢の中でルードリヒに告げられた言葉が、今も頭の中で響いている。
———私の運命の相手は、彼女だったのだ。
「……最悪ですわ」
震える声で呟き、ロゼリーヌは両手で顔を覆った。




