ここでも矜持を
——コン、コン、コン。
控えめに扉を叩く音がした。
ロゼリーヌはビクッと肩を震わせ、反射的に扉の方向を見た。
(……誰なの!?)
こんな状況の自分の姿を、誰かに見られたくないという気持ちと共に、警戒心が増す。
「…………」
返事ができずにいると、少しして再度扉が叩かれた。
「ロゼリーヌさん、起きたのかしら? 入ってもいいかしら?」
女性の声で、丁寧な口調だ。
それに、自分の名前を知っている。しかし家族でもない者から名だけで呼ばれることが不可解だ。
侍女などの使用人は『ロゼリーヌ様』と敬称をつけるというのに。
だが、自分が返事をしなければずっとこの状況のままかと、半ば諦めの気持ちも混ざりつつ返事をした。
「……入って」
返事を待っていたようにゆっくりと扉が開かれ、二人の女性が入ってきた。
一人は、母と同じくらいの年頃に見える女性だ。
もう一人の女性はそれよりさらに上に見えた。
その女性は、何かを載せた盆を両手で持っている。
「起きたみたいね、体調はどう?」
「…………」
玲奈は、ベッドの上のロゼリーヌを静かに見つめた。
顔は汗ばみ、目の際には涙の跡が残っている。
会場で見たときとはまるで様子が違い、ひどく憔悴しているようだった。
(夢でも見ていたのかしら)
玲奈はおおよその状況を察し、再び優しく声をかけた。
「お水を持ってきたわ。喉乾いてない? 必要ならお手洗いも案内するわ」
ロゼリーヌは返事をすることなく、瞬きもせずじっと玲奈の様子を窺っている。
まるで警戒した猫のようだ。
妙子が室内の椅子をベッド脇に置き、玲奈は礼を言ってそこに腰掛けた。
「今、話をしても大丈夫かしら?」
妙子が、盆で運んできた水入りのペットボトルを開け、コップに水を注いだ。
それを盆に乗せて、ロゼリーヌへ差し出す。
「……水を」
その様子を見ていたロゼリーヌは喉の渇きを覚え、自然と言葉を発していた。
「はいはい」
妙子はいつもの朗らかな笑顔で、ロゼリーヌがコップを受け取るのを待った。
ロゼリーヌは警戒心も忘れ、盆からコップを受け取り、口をつける。
身体が水分を欲していたのか、夢中で全部飲んでしまった。
飲み終わってから、ひと息ついた。
あとからはしたない行為だったと気づいたが、目の前の女性はそれを咎めることもなく、ロゼリーヌが飲み終わるのを待ってくれていた。
妙子は、無言で空になったコップをロゼリーヌの手から受け取り、その場から少し下がった。
「もう一杯飲む?」
「いいえ……」
「そう。じゃあ、何から話すべきかしらね……。
私の名前は玲奈よ。
こちらの人は妙子さんよ。我が家で家政婦をしてくれているわ」
「…………」
「あなたのお名前は、ロゼリーヌさんで合ってるかしら?」
「……えぇ。ですがなぜわたくしの名をご存じなのかしら?」
「会場にいた人から聞いたのよ」
「そう……。
あなたは貴族のご婦人なのかしら?」
ロゼリーヌの目から見れば、玲奈が使用人を従えた貴婦人のように思い、そう問いかけた。
「……えぇ、そのようなものね」
玲奈は、優奈から聞き出した情報とロゼリーヌの言葉から、ロゼリーヌが身分差に拘る性分であると推測した。
だが、今ここでそれを持ち出すのは話が進まず面倒だと思い、ロゼリーヌが言うことに合わせた。
(あながち間違いでもないし……)
身分のことについてはあえて触れず、話を続ける。
「ロゼリーヌさん、あなたは会場で倒れてから、我が家で一時的に保護させてもらったわ。
今の時点で、あなたの身に危険はないから安心してね。
それに、あなたが今着ている服は、妙子さんが着替えさせてくれたのよ」
玲奈は微笑みを崩さず、妙子に目配せをしながらロゼリーヌに言った。
「……わたくしのドレス! 扇子や装飾品は!? まさかあなたが……!?」
ロゼリーヌが思い出したように慌て始め、目の前の相手が盗んだのではないかと疑い始める。
「落ち着いて。ドレスには汚れがあったから、ホテルの方に預かってもらっているわ。
そして、あなたの装飾品などはそこよ」
玲奈は客室に備え付けられている鏡台を指差した。台の上にはロゼリーヌが身に付けていたネックレスやイヤリングなどの宝石類、扇子などが並べられている。
鏡台の脚元に沿うように、箱に入れられたヒールの靴も見えた。
「…………」
ロゼリーヌはそれらを見て、自分の持ち物だととりあえずは安心したが、目の前の玲奈という人を一瞬疑ったことを気まずく思った。
しかし、高貴な淑女が軽々しく非を認めるべきではないと思い直し、何も言わずに視線を下に落とした。
玲奈は、そんな様子のロゼリーヌを冷静に観察していた。
ロゼリーヌは、自分から名乗らず、見知らぬ相手から差し出された水にも、疑うことなく口をつけた。
その一方で、身分や持ち物にはひどく敏感に反応する。
(世間知らずというだけではなさそうね。けれど、危機には慣れていない……)
どうやら、彼女から事情を聞き出すには少し骨が折れそうだ。
(……これは、なかなか手強いわね)
玲奈は、軽くため息をついてから話を続けた。
「あなた、祝賀会の会場で倒れたことは覚えてるかしら? あの会はね、私の夫の受賞を祝う席だったの。
それに、あなたを引き留めようとしてた女の子がいたでしょう?」
それを聞いたロゼリーヌが怪訝そうに眉をひそめた。
「……そんなはずはないわ。
わたくしは王立学園の祝典大広間にいましたのよ。卒業パーティーが開かれていましたの。
それから落とし穴のようなものに落ちて……暗い場所でわからなかったけれど、横穴のような出口を見つけたから必死になってそこに向かって……!
出口からやっと出たら、地階の部屋にあの小娘がいましたのよ! そうだわ、あの使用人の小娘。わたくしの邪魔ばかりして……っ!」
「ロゼリーヌさん!」
玲奈がいつになく、怒気をはらんだ声を張ってロゼリーヌの言うことを制止した。
ロゼリーヌはその声に驚き、言葉が続かず玲奈を見た。
「その子は使用人でも小娘でもないわ。優奈といって、私の娘なの。
いいかしら? 優奈に頼まれたから、私と夫はあなたを保護することを決めたのよ。
優奈から頼まれなければ、あなたは今頃、病院に運ばれて、その後は警察に保護されていたかもしれないわね」
「けい、さつ……?」
「はぁ……。そこから説明しないといけないのかしら」
玲奈は苛立ちを抑えるように、ひとつ息を吐いた。
「警察というのは、治安を維持したり犯罪を取り締まったりする組織のことですよ。
警備とか警邏って言えば、わかっていただけますかねぇ?」
妙子がいつもの調子で玲奈の代わりに説明すると、ロゼリーヌもその言葉で理解できたようだ。
「わたくしが、警備兵に……? そんなことはありえないわ。
だって、わたくしは侯爵家の人間で……」
ロゼリーヌは反論しようとするが、自分のほうがおかしいのではないかと思い始め、その言葉は次第に勢いを失っていった。
玲奈は、今は言い聞かせるよりも、彼女自身の目で現状を確かめてもらうほうが先だと考えた。
「ロゼリーヌさん。言葉は通じているのに、この国のことは何も知らないのね。
あなたの話と、私たちが知っている状況は、あまりにも食い違っているわ。
それに……ここは、地階などではなく都内のホテルの5階よ」
そう言いながら玲奈は立ち上がり、部屋の窓枠にあるカーテンを開けた。
5階の窓からは、夜空を背景に大小さまざまなビルが立ち並ぶ様子が見えた。道路沿いにはオレンジがかった街灯が等間隔に並び、その下を車の列が絶え間なく流れている。
ロゼリーヌは窓の外の景色に吸い寄せられるようにベッドから降り、愕然としながら近づく。
———そこに広がっていたのは、まるで知らない世界だった。
「……な、ん……の……これは……?
ここは一体、どこですの!?」
呆然とした声は、やがて悲鳴のような叫びに変わった。
「日本よ。ここは日本の首都で、東京」
玲奈は窓の外に釘付けになっているロゼリーヌの横から声をかけ、説明をした。
「ニホン……? そのような国名、聞いたことがありませんわ……」
ロゼリーヌはまだ驚きの中にいるようで、震える声で絞り出すように呟いた。
「そう。じゃあ、あなたがいたのは何という国なの?」
「……リュサール王国ですわ。
わたくしは王都にある王立学園の祝典大広間に……」
絶対にいるはずだ、と続けられなくなったのは、目の前の光景のせいだった。
ふいに、ロゼリーヌの上体がふらりと傾いた。
ロゼリーヌの様子をつぶさに見ていた妙子が素早く動き、その身体を支えた。
玲奈も内心驚いて咄嗟に動いたが、その必要はなかったようだ。
「大丈夫ですか? ベッドに座りましょう」
妙子が声をかける。
「……わたくしの魔力が、ない……?」
妙子に連れられながらも、ロゼリーヌはそんなことを呟いた。
ただでさえ状況を理解できずにいるところへ、魔力の枯渇まで重なったらしい。
玲奈にとって、魔法や魔力は、若い頃に夢中になった小説や映画の中にしか存在しないものだった。
しかし、そんな常識的にはありえないことも含めて、再考していく必要があると感じた。
ロゼリーヌの口から語られる内容は、先ほどの優奈の話と一致している。
優奈の話を聞いたときには、熱のせいで混乱しているのではないかとさえ思った。
ゲームの登場人物がテレビから現れたなど、あまりにも荒唐無稽だったからだ。
だが、目の前の少女は、この国のことも、現代の暮らしも何ひとつ知らない。そして、優奈から聞いたものと同じ世界について、自分の記憶として語っている。
二人が口裏を合わせたとも考えにくい。出会ってから、そんな相談をする時間などなかったはずだ。
(まさか……優奈が話していたことは、すべて事実なの?)
にわかには信じがたい。
それでも、最初からありえないと切り捨てることも、もうできなくなっていた。
玲奈はしばらく考え込んだあと、妙子へ顔を向けた。
「妙子さん。優奈を呼んできてもらえるかしら」
「はいはい」
ロゼリーヌがベッド脇に座り、少し持ち直したことを確認して、妙子が返事をした。
「あの子からも、もう少し詳しく話を聞く必要がありそうね」
玲奈の頼みを受けて妙子が扉のほうへ向かうと、扉を少し開けてこちらを見ている優奈と目が合った。
優奈は少し気まずそうに、にへらと笑う。
優奈はロゼリーヌが目覚めた時に、玲奈から「まずは私が話を聞くから」と入室を止められていた。
それでも部屋の中での会話が気になり、こっそりと様子を窺っていたのである。
妙子は「あらあら」とでも言いたげににっこりと笑いながら、優奈を室内へ招き入れる。
入室を許可された優奈は、少し嬉しそうに部屋へ入った。
「ロゼリーヌ、目が覚めたのね! 良かったぁ」
優奈の第一声は、ロゼリーヌの体調を心配した内容で、ホッとしたような笑顔を向けた。
だがロゼリーヌはその言葉を素直に受け取れず、苦々しい顔をした。
「あの時の小娘……」
「だから小娘じゃないってば! 言っとくけどロゼリーヌと私は同い年なんだからね!?」
「まぁ……!」
「……そんな反応されるとそれはそれで腹立つんだけど」
優奈は、チベットスナギツネのような目になった。
玲奈は、そんな二人の様子を見て少しホッとする。
先ほどはロゼリーヌの発言を咎めたが、優奈はそこまで気にしていないようだ。
それに、今は優奈のその明るさが、場の空気も変えてくれた。
「優奈。あなたたちが同い年なのはわかったから、今は話を進めさせてちょうだい」
「あっ。ごめん、ママ。私を呼んだのって?」
自分の使っているベッドに腰掛けながら、優奈も話を切り替えて、玲奈に聞いた。
「あなたが会場で見たという、ロゼリーヌさんの周りに青い花びらのようなものが出たと言っていたでしょう? あれは何だったの?」
その言葉を受けて、優奈はロゼリーヌに問いかけた。
「あれって、やっぱり青薔薇魔法だったの?」
「当然でしょう。わたくしの得意とする攻撃魔法ですわ。……ですが、魔法発動には様々な条件がありますのよ。
大量の魔力も必要ですし、精神も安定していないと。
あとは体内の魔力回路に魔力を巡らせ、それを練って増幅させ、呪文の詠唱も間違えずに……」
ロゼリーヌの説明は、次第に魔法についての蘊蓄の披露になっていった。
「じゃ、じゃあ……今も、その魔法って使えるの?」
「今は魔力が枯渇しているだけですわ。
魔法が使えなくなったわけではありませんのよ!」
ロゼリーヌはそう突っぱねて言った。
それを聞いた優奈の肩から、目に見えて力が抜けた。
玲奈と妙子も一瞬だけ目を合わせる。
「……なぜそのように安堵なさっているの?」
「べ、別に安堵なんかしてないけど!?」
「あら……そう」
ロゼリーヌは不思議に思いながらも返事をした。
次は玲奈が疑問を口にする。
「その魔力は、どれくらいで戻るものなの?」
「……わかりませんわ。この場所には魔力の気配が、ほとんど感じられませんもの」
その言葉で、少なくとも当面は魔法による危険がないとわかった。
元春の言っていた「危険がないことの確認」は、ひとまずできた。そう判断した玲奈は、次の話へ進む。
「ロゼリーヌさん、あなたと優奈の話を総合すると、あなたは何らかのきっかけで、元いた場所とは別の世界へ来てしまった。
そう考えるのが、一番辻褄が合うわ」
「別の……世界?」
「ええ。ただ、なぜあなたがここへ来たのかも、元の世界へ戻る方法も、今は誰にもわからない」
「そんな……っ!」
ロゼリーヌはまたもや愕然とした。
わけのわからない場所へ放り出されたと思ったら、次は帰る方法がないと聞かされるとは。
ロゼリーヌはふと思いつき、優奈の方へ顔を向けた。
「小娘! 今すぐわたくしを元の世界へ戻しなさい!」
「えぇっ!? ってかまた小娘呼び!?」
「わたくしがあなたの部屋へ現れたというのなら、あなたが呼び寄せたのでしょう? ならば、戻す方法も知っているはずですわ」
「そんなの知らないよ! 私だって、どうしてロゼリーヌが出てきたのかわかんないんだから!」
無茶苦茶な要求を突きつけられた優奈は、必死になって反論した。
まるで、ロゼリーヌが最初にテレビから現れたときのやり取りを繰り返しているようだった。
「そんな無責任な!」
「落ち着きなさい。優奈があなたを呼び寄せたと決まったわけではないわ」
玲奈も優奈を庇うように言った。
「ですが!」
「帰す方法がわかっているのなら、とっくにそうしているわよ」
玲奈が少し困った顔でそう言うと、ロゼリーヌも勢いをなくしたのか、口を閉ざして不貞腐れたように横を向いた。
玲奈はロゼリーヌの置かれている現状に内心同情はしているが、自分たちにできることにも限界がある。
だから、選択肢を提案しようと考えた。
「あなたには、これからどうしたいかを選んでもらう必要があるわ」
「選ぶ……?」
「ええ。大切なことだから、よく聞いてね。
あなたは、ここで生きていく術を身につけていく必要があるの。
ここでの生活が何日になるか、何年かになるか、わからないけど」
「…………!」
ロゼリーヌは顔を強張らせた。
今までの15年間、何の疑問も持たず、当たり前のように誰かに支えられて生きてきた。
そんな自分がこれから一人で生きていけるはずがないと、咄嗟に思った。
玲奈は続ける。
「ひとつは、警察や行政に事情を説明して、保護をお願いすること。身元のわからない未成年者を守るための仕組みは、この国にもあるわ。
少なくとも、あなたが自立するまでは助けてもらえる」
「…………」
「そちらの機関へ行く場合に考えられることも話すわね。これは、私たちの推測の部分も大きいけど。
おそらく、異世界から来たという話は、記憶を失っているか、事実とは異なる記憶を本当だと思い込んでいると判断される可能性が高いわ。
それに、魔法が使えると周囲に知られれば、詳しく事情を聞かれたり、調べられたりして、自由を制限されることも考えられる。
そして、あなたが何度、元の世界へ帰りたいと訴えても、その方法を一緒に探してくれる人が現れる可能性は低いでしょうね」
「…………」
ロゼリーヌは混乱しながらも、玲奈の話に耳を傾けていた。
「もうひとつは、しばらく私たちの家で暮らすこと。
もちろん、あなたを必ず元の世界へ帰せるとは約束できないわ。
でも、優奈は、あなたが異世界から来たという話を信じている。
それに、あなたが現れた場所にあった機械を調べれば、何か手掛かりが見つかる可能性もあると言っているわ」
そう言いながら、玲奈は優奈に顔を向ける。
優奈は少し意気込んで、言った。
「そうだよ! ロゼリーヌ。いっしょに住めばいいじゃん! できるかわかんないけど、私、ロゼリーヌが帰る方法を探すからさ!」
優奈は、自分なりに頑張ってロゼリーヌにプレゼンをした。
「あなたが私たちを選んでくれるなら、私たちもできる範囲であなたを手助けしてあげたいと思っているわ。
それに、魔法のことを周囲に知られないよう、私たちもできる限りあなたを守るわ。
この世界では、魔法は存在しないものとされているのよ……」
玲奈がそう続けて言った。
「だから、これから先、しばらくでもいっしょに住めるように、お父さんに『お願い』をしよっ?
ロゼリーヌが眠ってる間に、私も頑張ってお願いしてたんだけど、今のところは今晩だけって約束しかできなかったんだー」
優奈はロゼリーヌを助けたい一心でそんなことを言った。
だが、優奈はまだ若さゆえに、ロゼリーヌの心の葛藤を推し量れない。
玲奈から提示された二つの選択肢を前に、ロゼリーヌは数秒間、沈黙していた。
そして、口を開く。
「つまり、あなた方の庇護を受けろとおっしゃるの?」
ロゼリーヌの声が震えている。
「そうは言っていないわ。選ぶのはあなたよ」
玲奈は答えた。
「わ、わたくしは、侯爵家の娘ですのよ……」
「そうね。そうかもしれないわ。
でも、今ここではあなたの言う、侯爵令嬢という肩書きを保証するものが、何もないのよ。
ロゼリーヌさん、あなたが大切にしてきた矜持まで、捨てる必要はないわ。
でも、肩書きにすがることも、人に助けを求めることを恥じることも、矜持とは違うと思う」
「…………!」
「ここで生きていくなら、自分の望みは自分の言葉で伝えなくてはならないわ。
私たちの家にいたいと思うなら、元春さんにお願いして。
形だけ頭を下げるのではなく、あなた自身の言葉でね」
「……マ、ママ。それちょっと、大げさなんじゃない……? お父さんにお願いするだけでしょ?」
優奈は、ロゼリーヌを助けるべく援護しようとしたが、玲奈は静かに首を横に振った。
「優奈。これはロゼリーヌさんにとって必要なことだと思ったから、私は言ったのよ。
今は私たち家族の中だから大事にならなくても、これから先、ロゼリーヌさんが今の態度のままだったら、周囲との軋轢を生むかもしれないわ。
この世界で暮らすために必要な社会性が、身につかないままになってしまうのよ」
「う……。それは、そうなんだろうけど……」
玲奈の言葉を聞き、優奈は撃沈するしかなかった。
「ロゼリーヌさん。私たちは一度、席を外すから、よく考えてね。
妙子さんには付いていてもらうから、食事の用意や、洗面の設備の使い方などは彼女から教えてもらってね。
夫を含めて私たちは、リビングであなたの答えを待っているから」
「…………」
ロゼリーヌは、返事もできずに俯いたままだ。
玲奈は妙子に目配せをして、妙子が頷いたのを確認した。
そして、そっと優奈を誘導して二人で部屋を出た。
リビングのソファでは、元春がテレビでニュース番組を見ていた。
玲奈と優奈が戻ってきたことに気づくと、元春はパッと振り向いた。
「お疲れ様。どうだった?」
どうやら隣の部屋でのやり取りを、ずっと気にしていたらしい。
玲奈は、そんな元春の言動に少し苦笑しながら答えた。
「まぁ……やっぱり、色々とあってショックは大きいみたいだけど。
私たちの意思は伝えたわ。そして選択肢も。
あとは、彼女の答えをここで待つつもりよ」
「そうか……。ご苦労だったね。
優奈もな」
「ううん。……私の話を聞いてくれて、ありがとね。お父さん、ママ」
「ははっ、いいんだよ。優奈もこっちに座ってゆっくりするといいよ」
「うん」
「それでね、元春さん。ロゼリーヌさんと話したことなんだけど」
玲奈が言いかけたところで、ガチャリと扉が開く音がした。
優雅がリビングに来て、無言でソファに座る。
優雅は何も言わないが、ロゼリーヌと今後の家族の動向については気になるらしい。
元春と玲奈もそれを察して、優雅には声をかけず、話の続きをした。
先ほどのロゼリーヌとのやり取りが伝えられ、ロゼリーヌに関する情報が向坂一家に共有される。
家族で話し合っているうちに、数十分経っただろうか。
女性陣が使っている部屋の扉が開き、先に妙子が出てくる。右手を差し出し、ロゼリーヌの左手を取って、誘導しているようだ。
それに気付いた家族全員が話すのをやめ、その動向に注目した。
ロゼリーヌが妙子に連れられ、ゆっくりとこちらへ近づく。
そして、家族全員を見渡せる位置に立つと、妙子の手を離し、家族一人ずつの顔を見た。
ロングのワンピースを着た、現代風の姿。
だが、その瞳には強く真摯な意思が宿っていた。
ロゼリーヌはゆっくりと頭を下げる。
膝を軽く曲げた体勢で、右手は胸の上に当て、左手はスカートの裾を軽く摘んでいる。
彼女の国の礼法なのだろう。
「……向坂家のご当主様、奥方様、ご兄妹のお二方。ご機嫌麗しゅう……。
改めまして、わたくしはリュサール王国のヴァルモン侯爵家の長女、ロゼリーヌ・リュンヌ・ヴァルモンと申します。
この度は、会場で倒れたわたくしを助けていただき、感謝しております。
しかしながら、わたくしは知らない地に行き着いたようで、明日の身の置きどころさえございません。
どうかこのまま、しばらく向坂家に身を寄せさせていただけませんでしょうか?
……わたくしは、母国に帰りたいのです。
そちらにいらっしゃる優奈さんなら、母国へ帰る手掛かりを見つけられる可能性が、わずかながらもあると……。
わたくしは、その可能性にお縋りするほかないのです。
どうか……」
ロゼリーヌは、頭を下げ続けた。
そして、その言葉は今の彼女の精一杯だった。
優雅は何も言わず、そんなロゼリーヌを見つめていた。
やがて何かを振り払うように視線を逸らし、眉間に皺を寄せる。
「うん、いいよ。
ちゃんと言えたね」
元春は笑って、あっさり答えた。
「……親父、ちょっと返事早すぎねーか……?」
優雅がジト目を向けると、元春は少し苦笑して答えた。
「いやだって、ロゼリーヌさんは大人っぽいけど、優奈と同い年というじゃないか。
その歳でここまで言えたんだから、立派なもんだよ。ねぇ?」
そう言って、玲奈に話を振った。
「そうね。よく頑張ったと思うわ」
玲奈もにっこりと笑って、返事をした。
「ロゼリーヌ、良かったねぇ! これからよろしくね!」
優奈は、自分の願いが通ったことに嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「……皆様。本当に、よろしいのでしょうか……」
自分が願い出たこととはいえ、あまりにもあっさりと了承を得てしまった。
ロゼリーヌは下げていた頭を上げ、少し戸惑っている。
「ええ。まずはしばらく、私たちの家で過ごしてみましょう。
状況が変わったときには、その都度みんなで相談する。それでいいかしら?」
「……ええ。よろしくお願いいたしますわ」
「そうだね。
でも、平和的にね、ロゼリーヌさん。
この国では、自分勝手な振る舞いや暴力には、厳しい目が向けられるからね」
元春は穏やかな口調で言ったが、内容は本質を突いていた。
「わかり……ましたわ」
ロゼリーヌも真摯にうなずいた。
「だぁぁー! 結局受け入れるのかよ!? 親父と母さんが決めたことだから住んでもいーけどよ!
お、俺は関わらないからな!!」
優雅はそれだけ言い放つと、肩を怒らせて男性陣が使っている個室へ入っていった。
けれど扉だけは、優雅が込めた勢いをふわりと受け止め、妙に上品に閉まった。
「な……なんなのです? あの方は……」
優雅の言動に、ロゼリーヌは面食らった様子だ。
「あー……。口が悪いだけだから。
優雅って名前で、私のお兄ちゃん。
あれ多分、照れてるんだよ」
優奈は気まずそうに優雅の紹介をした。
「……照れてる……?」
ロゼリーヌはわけがわからなかった。
「まぁ、いいでしょ。
ロゼリーヌさん、お腹空いてるでしょう? ルームサービスのご飯、あなたの分を取ってあるから。あとでお風呂もどうかしら?
妙子さん、お願いできる?」
「はいはい」
妙子もニコニコ顔だ。
こうして、ロゼリーヌが向坂家にお世話になることが決まった。




