とりあえずご飯にしましょ
優奈への聞き取りがひとまず終わると、張り詰めていた空気も緩み、妙子が静かに動き始めた。
眠っているロゼリーヌの様子を確認したり、空になったカップを回収して洗ったりしている。
「俺このままだったわ……着替えてくる」
優奈からの話を聞いている間、優雅はスーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを数個外した格好のままだった。
この部屋に戻ってきた時は、優奈の世話に気を取られ、着替えるタイミングを逃していた。
今さらそれに気づいた優雅は、若干渋い顔をしながら男性陣が使っている個室へ入っていった。
「妙子さん、今夜はここでルームサービスのご飯でもいいかしら?」
玲奈が部屋に備え付けられていた案内を手に取り、それを読みながら妙子に話しかける。
「えぇ、私は何でもかまいませんよ」
簡単にリビング内を片付けながら、妙子がいつもの笑顔で返事をした。
「……ルームサービスと言っても、レストランから届けられるみたいよ。やっぱり豪華ねぇ……」
玲奈は何を食べようか、ウキウキしながらメニューを眺めている。
優奈はゲーム機がスリープ状態になったのを確認し、コントローラーを台の上に置いた。
のろのろと立ち上がり、毛布を引きずりながらソファへ戻る。深く腰掛けて両脚を座面へ上げ、膝を抱えたままスマホを手に取った。
午後3時頃から放置していたため、チャットアプリやメールの通知が数件溜まっていた。
チャットを開くと、そのほとんどは莉子をはじめとした友人たちからだった。
莉子からは、
『豪華ホテル楽しんでる〜?』
というメッセージが、可愛いスタンプとともに届いていた。
返事を打ち始めるが、画面をフリックする指が何度か止まる。
今日起きたロゼリーヌのことを伝えるわけにはいかない。家族にも信じてもらえなかったのだから、正直に話したところで同じだろう。
優奈自身でさえ、いまだに信じられないくらいだ。
『風邪治んないけど満喫してやるぞー!』
結局、絵文字やスタンプを添えただけの当たり障りのない返事を送った。
友人とやり取りをしていると、いつもの日常へ戻ったような感覚になる。
だが、隣の部屋にはゲームの世界から現れたかもしれないロゼリーヌが眠っている。
彼女をこれからどうするのか、両親を説得しなければならない。
簡単にはいかないだろうが、できる限りのことはしてみようと思った。
もしかすると、あの美しいロゼリーヌといっしょにいられるかもしれない。
彼女が暮らしていた世界や、ゲームで描かれた物語について話せるかもしれない。
友だちになれるかもしれない。
そんな未来を思い描くと、優奈の胸は期待で高鳴った。
そのとき、部屋のチャイムが鳴った。
妙子がドアへ向かい、扉越しに声をかける。
返ってきたのは元春の声だったので、妙子は扉を開けて迎え入れる。
「お帰りなさいませ、元春さん。
あらまぁ! すごい花束とお荷物ですねぇ。お預かりしますね」
「ただいまぁ。
あぁ、妙子さんこっちに来てたの。じゃあこれ頼むよ」
元春は自分の鞄以外を妙子に預け、ルームシューズに履き替えてからリビングに入ってきた。
「お帰りなさい、元春さん」
玲奈も笑顔で出迎え、元春とハグをする。
ハグの習慣は、元春にとって結婚当初は慣れないことだったが、今ではいつもの日常風景だ。
「祝賀会、お疲れ様ぁ。あれからどうだった?」
玲奈は、自分が不在にしていたあとの様子を尋ねた。
「ただいま。いやもぅ、アレ大変だったんだよ? 玲奈さんさぁ……」
元春は困り顔でため息をつきながら、玲奈に苦言を呈そうとしたが、
「うふふっ。でも、できたんでしょう?」
玲奈の含みのある笑みで、苦言の続きを封じられてしまった。
「……まぁ、そうなんだけどさぁ。
お、ただいま。優雅、優奈」
「お帰りなさい、お父さん」
「おかえり」
優奈と、リビングに戻ってきていた優雅が続けて言った。
「よいしょっ……ふぅ。
優奈は体調はどうだい? それに、あのお嬢さんはどうなった?」
元春はソファに腰掛けながら、気になっていたことを聞いてみた。
「お父さんっ。お願いがあるの!」
「こっちも大変だったのよ〜。優奈から話を聞いてたんだけどね」
「コイツ、ワケわかんねーことばっか言うんだよ! 親父!」
元春の問いかけを待っていたかのように、それぞれが一斉に口を開いた。
「みんな、待て待て!
僕は聖徳太子じゃないんだから、同時に話されても分からないって! 順番に頼むよ」
元春は苦笑を浮かべながら両手を上げ、三人を制した。
少し離れたカウンターでは、スツールに腰掛けた妙子が、その様子を微笑ましそうに眺めている。
三人は元春の言葉に一度口をつぐんだが、誰も順番を譲る気はないらしく、視線で牽制し合う。
玲奈が優奈と優雅を順に見据えると、二人は揃って目を逸らした。
「二人とも待って。どちらから聞いても、元春さんは結局、私に説明を求めるでしょう? だから私から話すわね」
「……確かにそうかも」
元春が素直にうなずいた。
「えぇっと。優奈の風邪は、今は落ち着いているわ。
それで、会場に入ってきたあの女性、今は私のベッドで寝かせているの。
そのことで元春さんにも色々と説明しなきゃいけないんだけど……それは後でね!」
玲奈は両手をポンと打ち、にっこりと笑った。
「はぁっ!?」
「えぇーーっ」
言いたいことが沢山ある子ども二人が、驚きと不満の声を上げた。
「だって話が長くなりそうでしょう?
元春さんはお疲れだし、みんなお腹を空かせているのに、長話をするつもり?
とりあえずご飯にしましょ。
妙子さん、こっちに来て。いっしょにメニュー選びましょ」
「はいはい」
玲奈に手招きされ、妙子もソファに座った。
「……はぁぁ」
勢いを削がれた二人がガックリと項垂れた。
「まぁ、気にはなるところだけど、確かに先にご飯がいいかな。
今日はルームサービスにするのかい?」
元春も少し戸惑ったが、玲奈の話に乗るようだ。
「えぇ。ルームサービスでも、レストランと同じ料理が頼めるんですって!
……元春さんと優雅はレストランへ行ってきてもいいんだけど、どうする?」
「えぇっ……私もレストラン行きたい」
優奈にはレストラン行きを提示されず、思わず不満を言う。
「優奈、あなたまだ風邪でしょう? それに、彼女のことを一番心配していたのは誰だったかしら?」
「う……私です……」
「彼女が目覚めたら、何を食べさせるのかしら? 優奈がレストランへ連れて行くの?」
「ハイ……ごめんなさい……」
優奈は、もう何も言えなくなった。
「そうだねぇ。レストランと同じなら、この部屋で食事にしようか」
元春は優奈を気遣うように提案してくれる。
「俺はどっちでもいいよ」
優雅は、元春に優奈への不満を訴えるのもひとまず諦めたらしい。
スマホゲームに視線を落としたまま答えた。
「注文を決めたら、料理が届く前に男性陣はお風呂に入ってきてね〜」
「注文は私がまとめますね」
大人の女性組はとても楽しそうだ。
向坂家で采配を振るう軍師と、その補佐に逆らえるはずもなく、話し合いは食事のあとに持ち越された。
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
「あ〜、もう腹いっぱい! 動けねぇ……」
優雅はダイニングテーブルからよたよたと歩き、ソファに沈み込んだ。
昨夜もレストランの料理を堪能したはずだが、今夜の食事も高級食材をふんだんに使った豪華なものだった。
いつもはクールな優雅も目の色を変え、アレもコレもと食べ尽くす勢いだった。
家族と妙子は、そんな優雅の食べっぷりに笑った。何だかんだで、食事は和気藹々としたものになった。
「もう! 優雅兄ぃ、そんなに食べちゃったら、ロゼリーヌにあげる分がなくなっちゃうでしょ!」
ほとんど空になった皿を見て、優奈は心配の声を上げた。
「ふふっ。優奈ちゃん、大丈夫よ。お嬢さんの分は先に取ってありますからね」
妙子が、空いた皿などの片付けをしながら言う。
「あ、そーなんだ。良かった」
「文句だけ言われる俺って……」
満腹の優雅は力なく抗議したが、スルーされてしまう。
「そう言えばお嬢さんの話、そろそろ聞かせてくれるかい?」
優奈からロゼリーヌの名前が出たことで、元春が話を促した。
「そうね。優奈、こっちに来て。優雅はどうするの?」
「俺とりあえず聞いとく」
ソファに腰掛けたまま、優雅はひとまず話の成り行きを見守るつもりらしい。
優奈が玲奈のそばへ移り、食事前に持ち越された話し合いが再開した。
「元春さんが戻ってくるまでに、優奈から色々と聞いてたんだけど、ちょっとよくわからないことになっててね……」
玲奈は、ときおり優奈に確認を取りながら、先ほど聞いた話を要約して伝えた。
優奈もその都度うなずき、必要なところを補足する。
「……つまり、ゲームの中ではその子だけ消えている?」
「うん」
「本人は隣の部屋で寝ている、と」
「うん」
「……ふむ」
ロゼリーヌについて現時点でわかっていることは少ないが、元春は作家らしく、常識ではありえない可能性も頭から否定せずに考え始めた。
その思考を遮るように、優奈が口を開く。
「お父さん、ママ、お願い! 私、ロゼリーヌを助けたいの! しばらく家にいてもらってもイイでしょ?」
それを聞いた元春と玲奈は、困ったように顔を見合わせた。
ほんの一瞬、目だけで相談したあと、元春がゆっくりと口を開く。
「うーん……言いたいことは色々とあるんだがなぁ……。
確かに今のウチなら、人ひとりは受け入れる余裕はあるよ。留学生をホームステイさせるようなものだ。
しかしね、それは身元のはっきりとした外国人の学生だから成立している制度なんだよ。
詳しいことは彼女が目覚めて話を聞くまで、本当にわからないなぁ……。
じゃあ、2つのパターンを仮定してみようか。
今の時点でロゼリーヌさんが、こちらの世界の人なのか、ゲームの世界からやってきた、いわゆる異世界人なのかはわからない。
そして優奈は、彼女が異世界人だと思っている。
彼女が本当に異世界人だとしたら、優奈はどうしたいんだい?」
「もちろん、助けたいよ!
わ、私のゲームから出てきたのには、絶対何か理由があるんだって!
それに、元の世界へ帰る手掛かりだって、このゲームを調べたほうが見つかるかもしれないじゃん!
警察や病院に連れて行かないでほしいの!」
「ふーむ……うーん。優奈の言うことにも一理あるかもなぁ。
でも、警察に相談するかどうかは、優奈だけで決めることじゃないよ。彼女が目を覚ましたら、本人の意思も聞かないとね。
ただ、このまま目を覚まさないようなら、病院で診てもらわないといけない」
「……うん、そうだね……」
優奈の同意を待ち、元春が言葉を続ける。
「もう1つのパターンは、彼女が本当はこちらの世界の人で、何らかの事情から自分をゲームの登場人物だと思い込んでいる場合だ。
過去の記憶もなく、身元も分からない。
もしそうだったとしても、優奈は彼女を助けたいと思うかい?」
「それは……」
優奈はすぐに答えられなかった。
自分が思い描いていたのは、あくまでゲームで知っているロゼリーヌとの生活だった。
「……わかんない。ちゃんとできるかは。
でも、だからって放っておきたくない」
優奈は改めて、自分の意思を示した。
「うん。それなら、まずは彼女が目を覚ますのを待とう。
今夜はここで休んでもらって、起きたら本人から話を聞く。
それから先のことは、そのあとで決めよう」
「……俺も、今夜だけなら別にいいけど。
身元も分からない人を放り出すわけにもいかねぇし。
ただ、魔法とか異世界人とかまで信じたわけじゃねぇからな」
優雅が口を挟んだが、概ね同意してくれたようだ。
「ありがとう、お父さん! 優雅兄ぃも!」
「俺は今夜だけって言ったからな」
少なくとも今夜はロゼリーヌをここで休ませてもらえる。そのことに、優奈はホッと胸を撫で下ろした。
「もちろん、危険がないことは確認しないとね。
いつまでもというわけにはいかないし、あくまで今夜は一時的に保護するだけだよ」
「わ、わかった……」
元春が最後に念を押し、それもそうだと、優奈はうなずいた。
「じゃあ、ツインを1部屋取らなきゃね。
この部屋から近いところに、出版社関係の人たちが今日チェックアウトした部屋があるから、仮押さえしてもらってたの」
玲奈はそこまで見越し、すでに部屋を仮押さえしていたらしい。
説明を終えると、予約を確定させるためにフロントへ連絡を入れた。
妙子が今夜も泊まる予定だった部屋をキャンセルし、新たに取ったツインには妙子とロゼリーヌが泊まる予定だという。
ロゼリーヌが今夜、目覚めなければ無理に動かさず、女性陣の寝場所は改めて相談して決めるとのことだ。
「ママ……すごい……」
「玲奈さんだからねぇ……」
——そのとき。
「ああぁぁぁぁっ!」
隣室から、くぐもった叫び声が響いた。
ロゼリーヌ復活までもうしばらくお待ちください(_ _)"




