初遭遇
優奈の絶叫が、客室に響き渡った。
その声が、先ほどまで呻いていた謎の人物にも届いたのか。
床にうつ伏せになったままピクリと反応し、優奈のほうへゆっくりと頭を上げた。
髪の隙間から、大きな眼がぎょろりと覗く。
まるで、優奈が何者なのかを見定めるように。
「サヨコ……? どなたのことですの……?」
不思議そうに尋ねる声。
まだ少し息は荒いものの、本来の声の調子を取り戻している。
高く凛とした声色だった。
どうやら、若い女のようだ。
「ひっ……!」
テレビから出てきた怪異が喋った。
そして自分に話しかけてくる。
その事実に、優奈の肩がびくりと跳ねた。
逃げなければ。
そう思うのに、身体が動かない。
「わたくしはそんな名ではありませんわ……失礼な……」
ひとりごちるように呟きながら、やがて女は床に両手をつき、ふらつきながらゆっくりと立ち上がった。
優奈には、恐怖の象徴がゆっくりと立ち上がり、自分の視界を覆い尽くしていくように思えた。
「こ、来ないでぇぇぇ!!」
優奈は必死に懇願するが、華麗にスルーされる。
その女は呼吸を整えるように大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「…………」
「…………」
優奈は動けない。
女も何も言わない。
なんとも言えない沈黙が、客室を満たした。
やがて女は、自分の顔にまとわりついた髪を両手で払い除けた。
乱れた長い髪を手櫛で整えると、顔を覆っていた髪がさらりと左右へ流れた。
「…………」
優奈は息を呑んだ。
——女の子だ。すごく綺麗な……。
自分とそう歳も変わらないように見える。
だが、女——もとい、少女は、優奈のそんな視線をものともせず、長い髪を丁寧に整えていた。
「…………?」
少女は次に、ドレスの胸元を直す。
「…………」
肩口を整える。
「…………?」
床に大きく広がったスカートの皺を、ぱん、ぱん、と手で払う。
「…………何してんの……?」
思わず優奈の口から漏れた。
少女は答えない。
今度は床に落ちていた扇子を拾い上げ、その表面についた埃を指先で丁寧に払っている。
(いや、そこ気にするとこ!?)
つい先ほどまでの恐怖が、一瞬だけ引っ込んだ。
優奈はソファーの脚元にへばりついたまま、呆然とその一連の動作を眺めるしかない。
テレビから這い出してきた謎の女が。
今。
身だしなみを整えている。
(…………何、この時間)
やがて少女は満足したのか、すっと背筋を伸ばした。
先ほどまで床を這い、クッションへ顔面から落下して呻いていた人物と同一人物とは思えない。
そしてようやく、こちらを見た。
目が合う。
「ひっ」
優奈の喉が鳴った。
少女はそんな優奈をじっと見つめ——。
ドレスの裾を軽く整え、淑女らしく微笑んだ。
「——ごきげんよう」
「…………」
「…………」
「…………は?」
優奈には、それ以外の言葉が出てこなかった。
「それにしても……見たことのない部屋ですわね。
ここは祝典大広間のどの辺りなの? 地階の部屋なのかしら?」
室内を見渡しながら、少女は疑問を口にする。
続けて、優奈へ視線を向けた。
「あなた、この部屋の主人のご息女なの? それとも、こちらに仕える者?」
「……はっ? えっ、ちょっ…」
優奈は少女の矢継ぎ早の質問責めに答えられず、目を白黒させた。
「はぁ……。話にならないわね。そこの小娘、わたくしを地上の出口まで案内なさい。
そうすればその不敬な言動も許してあげるわ。さあ、早く」
優奈から有意義な回答を得られないと思ったのか、少女は苛立ったように扇子の先をパチン、パチンと左の手のひらで受け止めつつ、優奈に命令口調で言った。
「何言ってるの……? え? 案内?」
優奈はますます訳がわからない。
「……あなた、まさかわたくしが誰なのかもわかっていませんの?」
「知るわけないじゃん! さっきテレビから出てきたばっかりなのに!」
「まあ……!」
少女は信じられないものを見るように、優奈を見つめた。
「仕方ありませんわね。ご存じないようですから、特別に教えて差し上げますわ。
わたくしはロゼリーヌ・リュンヌ・ヴァルモン。
ヴァルモン侯爵家の娘ですのよ!
……わたくしを知らないなんて、よっぽど世間知らずな使用人のようね?」
扇子で口元を隠し、蔑むような視線を向ける。
——だが優奈は、少女の言葉の端々で、色々と違和感を覚えていた。
(いや、待って……。この人、ゲームしようとしてたテレビから出てきたよね!? しかも喋ってる、日本語を。それにこのドレス。使用人って誰が?
ていうかこの顔……どっかで……)
そして、少女の出で立ちにも注目し始める。
青薔薇っぽい意匠のドレスと扇子。
そして見事な金髪。
アーモンド形の大きな碧眼。
見覚えのある整った顔。
「…………待って」
優奈はテレビを見る。
ロゼリーヌと名乗った少女を見る。
もう一度テレビを見る。
「…………え?」
「何ですの」
「…………ロゼリーヌ?」
「……? ですから、そう名乗ったではありませんか!
ですが、わたくしの名を敬称もなしに軽々しく口にしないでくださいます? 先ほどから不敬ですわよ!」
「あぁああぁ…あのっ、あの悪役令嬢のロゼリーヌ!?……ゲ、ゲームから出てきた!?マジでっ??」
優奈はそのロゼリーヌに指を差しながら、またもや叫んだ。
優奈の記憶が繋がり、ゲーム『UpStart!〜華の乙女達〜』に登場するキャラクター、悪役令嬢のロゼリーヌと一致した。
ゲーム内ではいつも『王国の華評価会』のランキング1位に君臨し、上位を目指すヒロインにとって大きな壁として立ちはだかる存在。
「……悪役、令嬢……?」
優奈の言葉に、ロゼリーヌが不可解な反応を示す。
(……あ、ヤバ。言っちゃった)
優奈ははたと気づいた。
(この子が本物のロゼリーヌだとしたら、ゲームの“悪役令嬢”だなんて知るわけないじゃん……)
(『誰が悪役令嬢ですってぇえぇぇ!?』とかキレられてもおかしくないんじゃ……)
(いやでも待って!? 本物だなんて思わないじゃん!?)
優奈は自分の失言に気づき、立て続けに脳内で言い訳を始める。
お互い話が噛み合っていない気まずさだけが残り、短い沈黙が起こる。
「……あなた、よくわからないわね。もういいわ、自分で探すから」
ロゼリーヌは呆れたように優奈に言い、客室の出口を探した。
家族が戻ってきた時に困らないようにと、優奈が電灯を点けたままにしていた客室の出入り口。
そのため、その扉だけがホワっと照らされ目立っていた。
ロゼリーヌはその扉を見つけると、迷うことなく歩み寄り、ドアノブに手をかけて部屋を飛び出した。
「…………」
優奈はロゼリーヌの後ろ姿を呆然と見送った。
今のは夢か幻かと、目をぱちくりとさせる。
だが、すぐに我に返り、彼女を追わなければと立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待って!! ロゼリーヌ! どこに行くの!?」
優奈はパジャマ姿と冷却シートを額に貼り付けたままだということも忘れて、ロゼリーヌを走って追いかけた。




