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黒の魔女の拾いもの  作者: 茜菫
短編

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初めての感情(アルベール)

第一話と第二話の間のアルベール視点

瞼を上げると、見慣れない天井が映った。まだ日の出を迎えておらず、部屋の中は薄暗い。


(ここは…)


ここはどこであったか。アフロート王国とエールラン王国の国境に位置する黒の森と呼ばれる、一度奥へと入れば二度と出てくることはかなわないと恐れられる場所だ。その噂は幾らか真実で、この森を支配する黒の魔女と呼ばれる魔法使いに匹敵するほどの魔力を持たぬものは、森が擁している魔力の影響で永遠にさまよい続けることになる。そう語ったのは、森の奥にある黒の魔女が住処としていた小屋に住む、黒の魔女の弟子を名乗るトモエという魔法使いであった。


彼女は、黒の森を自由に歩きまわることが出来る、即ち魔女に匹敵する魔力を擁している。その彼女曰く、自力でこの小屋にやってこれた私も、黒の魔女に匹敵する魔力を擁しているそうだ。それは、些か首を傾げざるを得ないが。

確かに、私は膨大な魔力を擁していた。一般的な魔法使いが一生かけて高めた魔力の五、六倍を生まれながらに持っている。それは脅威と呼ばれる程ではあったのだが、トモエはその私を遥かに上回る魔力を擁しているのだ。そんな私が、魔女に匹敵すると果たして言えるのか、甚だ疑問である。


(…何故)


何故、私がこの部屋にいるのか。私は生まれてから十八年間、他にも色々と理由はあるが、この魔力故に存在を秘匿とされ、公に出ることは許されず、閉じ込められていた。しかし、結局は魔力が故に目をつけられて囚われ、三年間の殆どを意識を失ったまま、魔力を略取された。二度に及ぶ試みでなんとかそこから逃亡できたものの、三つの呪いをかけられた私は、その呪の主に常に位置は把握され、己の素性を語ることは出来ず、逃げだした所でこのままでは再び捕えられるのは、時間の問題であった。そこで、この呪いを解いて貰えないかと、黒の魔女に助けを求めてこの森に踏み込んだのだ。


しかし、たどり着いた魔女の小屋には魔女は居らず、代わりにそこにいたトモエに救いを求めた。彼女は呪いに細工し、彼女のそばいることが条件だが、私の存在を呪いの主から覆い隠してくれ、更に呪いを解くために力になってくれると言った。その代わりに助けて欲しいとも、彼女は言った。


『私にはアルベールの助けが必要ですから。』


その時の言葉と浮かべた笑顔、差し伸ばされた手を思い出すと、胸がきゅっと締め付けられるような感覚が襲って、胸に手を当てる。ここにたどり着くまでに負った怪我は、傷跡が残ったものもあったが魔女の秘薬により全て完治しており、体は健康体のはずだ。

不思議に思いながらも身を起こし、大の大人が二人くらいは寝転がれるだろう大きめのベッドから足を下ろす。魔法で水を生み出して顔を洗い、身支度を整えると、ベッドの近くに備えていた剣を手に取った。

この剣は何の変哲もないものだが、何も持たず身一つでここまで逃げてきた私に、トモエが買い与えてくれたものだ。それを手にして部屋を出て、そのまま小屋を出る。小屋の周りは少し開けていて、体を動かすには丁度良い。剣を鞘から引き抜いて、その重さを確かめる。


私は魔法使いだが、こうして剣を握り体を動かす事が好きだ。といっても、秘匿とされていた存在故に相手をしてくれたのは私に剣を教えてくれた兄ただ一人のみで、その兄とも会える機会も少なかった為、所詮はお遊び事と言われる程度の腕前しかない。此処に至るまでに遭遇した魔物には通用しても、訓練された人間相手…逃げ出した私の追手らの前では児戯に等しく、軽くあしらわれて剣を手放してしまったのだから、全く格好がつかない。

だが、与えられた剣を手にした私に、トモエは目を少し輝やかせて、剣も扱えるなんて凄い、と感嘆し、…彼女の前だけでも格好をつけようとしていた。


こうして体を動かしている間は、これまでの事、これからの事も何も考えずにいられる。そのまま無心で剣を振るっている内に空が白み始めていて、一息ついて剣を下ろし、額にじっとりと滲んだ汗を手の甲で拭った。


「アルベール」


そこを見計らったかのように声をかけられて、内心驚きつつそちらを振り返った。この森にいる人間は私自身を含めてたった二人しかいないのだから、声の主が誰かはすぐに分かる。


「おはようございます、トモエ。」


「…おはようです。すみません、ちょっと前から見てました。」


少しだけその黒い目を申し訳なさそうに細め、眉尻を下げたトモエは、小さく笑って首を傾げた。緩くひとつに纏めた黒髪が、その動きにつられて揺れる。黒い髪も黒い目も、象牙色の肌も、この辺りでは非常に珍しい。私よりも年上だと言っていたが、見る限りは二十一歳になる私と同じ程か、幾らか若く見える。


「朝食の用意が出来たので、呼びに来ました。部屋にいなかったので…」


「お手数をおかけしました。」


「いえ、…凄いですね、そんな軽々と剣を操れるなんて。」


「いいえ…私等、大したものではございません。」


「そうなんですか?私は剣にあまり詳しくないので、よくわからないですけど…素人目でみたら、アルベールはとても凄いなあって思います。」


そう言って笑ったトモエに、再び胸がきゅっと締め付けられるような感覚が襲う。剣を収め、胸に手を当てていると、トモエは少し不安そうな顔をした。


「…大丈夫ですか?顔が少し赤いですし、体調が悪いのでは…」


「…いえ、少し体を動かしたからだと…」


言われてみれば、少しだけ顔が熱い。けれども、先程まではそのようなことは無かったので、少し疲れてしまっただけだろう。トモエはそうですか、とだけ言って、それ以上は何も言ってこなかった。かわりに、手に持った手拭いを手渡してくれ、感謝を述べてそれを受け取り汗を拭う。


そのまま一緒に小屋に戻ると、美味しそうな香りが鼻腔をくすぐった。黄金色のパンとスープ、サラダが並べられ、冷やした紅茶がカップに注がれていた。紅茶は温かいものという認識が強かった為、初めは驚いたが、彼女の国では冷やしても飲むらしい。パンを口に含むと、表面はカリッとしていてほんのり甘く、中はしっとりしている。


「…あ、すみません、先に聞けばよかったんですけど…甘いの、大丈夫ですか?お口に合いますか?」


「…とても美味しゅうございます。」


「よかった。甘いもの、好きなんですか?」


「…はい。」


ほっとした様子を見せたトモエに、どのように作ったのかを聞いてみると、パンを牛乳と卵でひたして焼いたものらしい。こんなに美味しいものは食べたことがないと感動していると、トモエは気に入ってくれたならまた作りますよと言って少し照れくさそうに笑った。その笑顔に、喜びが胸に満ちる。

今までどんな豪華な料理を食べても味気ないものであったのに、今は口にするもの全てが美味しいと感じ、言葉を交わす事が楽しい。自分でも知らなかったが、私はどうやら甘いものが好きなようだ。

今日の一日の予定を確認して朝食を終えると、使用済みの食器をトモエは流し場に持っていった。それを見て、一瞬迷ったが彼女の後を追いかける。


「…よろしければ、私にも手伝わせていただけないでしょうか?」


そう言うと、彼女は目を真ん丸に見開いた。


「アルベールは貴族の方ですよね?」


以前、貴族かどうか問われた際に否定も肯定もせずにいたのだが、彼女の中ではほぼ確信に近かったのだろう。彼女が問いたいのは、食事の用意も片付けもした事がないのでは、ということなのだろう。確かに、そういったことは使用人が全て賄ってくれていたので、私はただ用意されたものを口にするだけであったから、経験はない。


「…どのような事でも、貴方のお役に立ちたいのです。初めは不慣れ故に貴方の手を煩わせるだけでしょう。しかし、必ずその技術を習得し、お役にたってみせます。」


「技術だなんて、そんな大袈裟なものでは…」


トモエは困ったように視線を彷徨わせる。彼女からすれば、貴族の甘ったれた子息の我儘のように思っているのかもしれない。


「…そう、ですね。手伝って貰えるならとても助かります。呪いが解けるまではそばにいてもらわないといけないですし、それがいつまでになるか分からないですし…」


了承してくれたことにほっと胸を撫で下ろすのと同時に、呪いが解けるまではという言葉にチクリと胸が傷む。飽く迄も、私達は呪いが解けるまでの関係だ。どうすればこのまま彼女のそばにいることが出来るだろうかと無意識に考えながら、食器の洗い方を教えて貰い、実践する。雑念が入っていたからなのか、なかなか上手く汚れが取れずに四苦八苦していると、トモエは初めはそんなものですよと笑って手助けてくれ、必ず彼女の助けがなくともこなせる様になると決意した。

そんな役に立つどころか足を引っ張った食器の片付けの後、衣類の洗濯も教えて貰ったのだが、結果は同様に惨敗だ。私が加わったことで余計な手間が増え時間もかかってしまったが、トモエは大丈夫ですよと笑って許してくれる。


そして、当初の予定よりも遅くなってしまったが、彼女が生業としている薬作りの原材料の採集に向かうことになり、ここで汚名返上をしようと密かに気合を入れる。帯剣し、採集用の籠を背負って小屋をでると、少し困ったような表情を浮かべたトモエと目が合った。


「…すみません、アルベールを当てにしてしまって…」


「お役に立てるのであれば、これ以上なく光栄の至りに存じます。」


そう言って笑うと、彼女は顔を赤くする。その反応を可愛いと思っていると、居た堪れなくなった様に目をそらされてしまった。

彼女の求める素材は黒の森の奥に群生するものばかりで、採集の為そこに向かうまでに魔物と遭遇する恐れがあり、私をその護衛にと役割を与えてくれた。彼女程膨大な魔力を持った魔法使いならば、私の助け等、本当は必要ないだろう。同情や憐れみからでも、私の助けが必要だと望んで貰えることが嬉しかった。


鬱蒼とした森を二人で歩いていると、トモエはきょろきょろと落ち着きなくあたりを警戒していて、何かに怯えているようであった。彼女が恐れるほどの魔物がこの辺りに存在するのだろうかと、少し緊張に体が強ばる。あまり魔物に遭遇することはないですが、とトモエが言いかけたところで、タイミングを見計らったかのように私達以外の何かがたてた音が耳に届く。顔色を悪くしたトモエはビクリと体をふるわせ、そちらを見た。


現れたのは、やはり魔物であった。赤い毛並みを持った、狼の姿をした魔物が三匹。この種の魔物は先日、私が初めてこの森に足を踏み入れた際にも現れたことがある。本で読んだ事があるが、群れを成す習性があり、斥候の役割を持つ個体が二、三匹いて、おそらくそれに当たるのだろう。上手く退かせれば良し、出来なければ仲間を呼ばれてしまう。早々に方を付けるべきと判断して、唸り声をあげて威嚇する魔物を見据えながら、素早く魔法を成すべく呪文を詠唱する。

トモエが背後で魔法障壁を展開させたのを確認し、こちらに飛び掛ってきた一匹に魔法を叩き込んだ。風の塊が直撃した魔物は、ボキッと骨が折れる音を立てて吹き飛ばされる。残る二匹にもそれを叩き込むと、一匹は掠めて怯み、もう一匹は避けてこちらに向かってきた。鞘から剣を引き抜いて切り伏せると、赤い血を地に散らして魔物は悲鳴をあげて下がる。じりじりとこちらを警戒しながら後退した魔物らは、こちらの追撃が無いと知って一目散に逃げ出した。


ふっと息を吐き、体の力を抜いて後ろを振り返ると、目を丸くしたトモエと目が合った。とても驚いているようで、どうしたのだろうかと声をかけると、はっとしたように体をふるわせる。


「っ、凄く強いんですね、アルベール!あんな強力な魔法を簡単に使えて、剣も…なんだか凄かったですし。」


確かに、一般的な魔法使いに比べれば先程の魔法は強力と言えるかもしれない。しかし、私よりも遥かに膨大な魔力を持った彼女なら、苦もなく扱えそうなものだ。今、彼女が展開している魔法障壁の緻密さは、到底私では作り上げることが出来ないほどのもので、魔法使いとしての実力もまざまざと感じる。


「トモエならば、あの程度は簡単に扱えるのではありませんか?」


思った通りに聞いてみると、トモエは困ったような表情を浮かべて、肩を落とした。


「…実は私、情けないんですけど、攻撃系の魔法が使えなくて…」


その言葉にただ驚く。それが真実ならば、彼女が私に助けが必要だと言ったのは、紛れもない本心だったのだろうか。もしそうならばと、じわじわと胸が喜びで満ちていくのを自覚した。しかし、彼女は黙っている私に不安を覚えたようで、眉尻を下げて俯く。


「…やっぱり、幻滅しますよね…魔女の弟子と名乗っているのに、攻撃の魔法が使えないなんて…」


「っいいえ、まさか!得手不得手はございます。それに、貴女の今使われている魔法障壁の緻密さは何人も及ばぬほど高精度なものですし、魔法使いとして尊敬いたします。」


そう言うとトモエは顔を上げて、ほっとしたように笑った。

魔物の気配がないことを確認して、再び歩き始める。今まで魔物と遭遇した時はどうしていたのかと不思議に思って聞いてみると、魔女がいた頃は魔女に守られていて、いなくなってからは魔法障壁と幻術の魔法を駆使して逃げていたらしい。そういった時は採集を諦めるという事もやむ無しだったそうだ。


森の奥にたどり着いて、採集しはじめたトモエを気づかれぬように眺めた。手際よく、けれども慎重に素材を採集する手腕は、やはり魔女の弟子というだけあって素晴らしいものだ。扱う魔法の質も精密で、彼女自身が持つ魔力もとても甘美なものに感じる。


「お待たせしました。」


どれくらいの時間が経ったのだろうか、採集を終えたトモエが籠を抱えて近づいてきた。いつもよりも多めに採集できたと嬉しそうに笑う彼女を、この腕の中に収めたいという衝動が湧いて、自分でも驚くこの感情に戸惑う。


「アルベールのおかげで、採集に集中出来ました。道中も安心出来ましたし。」


「…お役に立ててよかった。」


頼られているという事に、平静を装いながらも内心はとても動揺していた。この二十一年間、記憶にある限り私自身を必要とされたことは、一度たりともなかった。けれども今、トモエが私を頼ってくれているのだと思うと、胸がとても熱くなる。


「アルベールがいてくれてよかったです。本当に助かりました。…これからも、頼らせてもらってもいいですか?」


トモエのその言葉に、心が歓喜に打ち震えた。私という存在が認められ、求められている。


(ああ、そうか…私は…)


父に倦厭され、存在自体を隠されていた私は、ずっとその存在を誰かに認めて欲しかったのだ。この顔でも、魔力でもなく私という意思を持った存在を、望んで欲しい。


『私にはアルベールの助けが必要ですから。』


あの日、あの時、トモエは私自身が気づいていなかったその望みを与えてくれた。彼女が笑うと胸が高鳴り、締めつけられるようなこの想いは、思えばあの瞬間に私は彼女に恋をしたからだと気づく。


一度はっきりと自分の気持ちに気付けば、その想いがさらに強くなっていく。彼女を目に映したい、彼女の声を聞きたい、彼女に触れたい。一歩近づいて見つめると、トモエは少しだけ緊張に体を強ばらせた。近くでよくよく見ると、彼女の目は深いダークブラウンだ。彼女の新しい情報を知って、自然と口元が緩み、つられて目元が細まる。不思議そうにこちらを見てくるトモエのその手を取って身を屈め、手の甲に口付けた。


「はい。…貴女の為ならば、どのような事でも。」


トモエは驚いたように目を丸くして硬直し、ややあってから顔が真っ赤に染まる。慌てふためく彼女がとても可愛くて、どうしようもないくらいに愛しく思った。

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