第6話 私と彼の誓い (12) (アルベール)
「魔女の弟子殿、…トモエ殿、貴方にはとても、本当にとても感謝している。」
四ヶ月前から行方不明とされていた、アフロート王国の王太子アデルバート。それは私の兄だが、生きたまま体が崩れ落ちて、最後には猫になるという呪いをかけられていた。人間に戻れるのは、月が出ている日の夜中のひとときだけ。それを、黒の魔女の弟子である私の愛しいトモエによって、漸くその身に受けた呪いから解き放たれた…はずだった。
「だが…何故、このようなことになってしまったのだろう。」
「…面目無いです…私にもさっぱり…本当にすみません、申し訳ございません…」
「いやなに、貴方を責めている訳では無い。呪いを解いてくれたことは、とても感謝しているのだ。貴方が謝罪する必要は無い。」
今、私はその兄を直視できない。それを目に入れてしまうと、色々と止めることが出来ないからだ。大袈裟にため息をついた兄が、ガックリと肩を落として項垂れるのを視界の端に映しながら、必死に堪えようと腹に手を当てる。
「だが、これはなぁ…いや、貴方がこれを付けていると可愛らしいと思うのだ。それならば、大歓迎だというのに。」
「…いえ、私には厳しいものが…誰も喜びません。」
「いいや、少なくともアルバートは喜ぶだろうさ。それに私も…おい、不穏な空気を出すな!……はあ…誰が喜ぶものか、私の…はあ…このような…」
トモエならば可愛いということにはとても同意するが、それを兄が見ることは当然ながら、想像することさえ異議を唱えようと顔を上げたところで、兄の姿を目にしてもう辛抱ならなかった。
「っ…ふっく、あっはっは…はは…っ」
堪らず吹き出してしまい、あげた笑い声に、兄は少し驚いたような顔でこちらを見た。この様に、声をあげ腹を抱えて笑うこと等、生まれて初めてかもしれない。私が離宮で一人過ごした十八年は、全てがつまらなかった訳では無いが、ここまで笑える程に楽しいと思ったことは、記憶にない。
「アルバート…」
「ふ、ふふ…いえ、お似合いですよ、兄上…っふ…っ」
「なら何故笑う。」
恨めしそうに睨んでくる兄の頭には、その髪の色と同じ毛色の猫の耳が二つ、少し伏せられて鎮座していた。足の後ろにバタバタと揺れる尻尾までもが見える。呪いは解けたはずなのに、何故か極一部だけ猫の姿が残っているようだ。以前のように、体が崩れ落ちてしまうことがない分ましではあるが、これはこれで酷い呪いだ。
兄はばたつかせていた尾をだらんと垂らして、深く息を吐いた。いつでも自信に満ち溢れ、よく笑う兄からは想像し得ぬ憂いた表情に、心の底から嫌だと感じているのが分かる。不幸中の幸いが、その耳と尾が生えているのは朝だけだということだろうか。
「…すまないがトモエ殿、これも何とかしてもらえぬだろうか。時間がかかったとしても。」
「はい、もうそれは…何とかします、全力で取り掛かります。」
とはいっても、兄はアフロート王国の王太子だ。今まで姿をくらましていた分、尚更やるべき事が多くある。国をこれ以上長く離れる訳にもいかないし、かといってトモエが王宮へ出向くことは断固として反対だ。彼女も、あまり王宮には近づきたくないようだし、定期的に兄がこちらに通い、継続して解呪を行うということに落ち着いた。
「トモエ殿、少しこれを借りて良いだろうか。」
「はい。どうぞごゆっくり…」
話がまとまった所で、兄に連れ出されて黒の森を散歩することになった。太陽の光が木々の合間から漏れ落ちてくる中、お互い言葉をかけることなく、無言で並んで歩く。先程は笑ってしまったが、未だ私と兄の間には大きな溝が横たわっている。お互いにどう声をかけるべきか、探っているのだろう。
三年前に死んだ事になっている私が、兄とこうして、この黒の森で再び相見える事になるとは、逃げてきた時は思いもしなかった。
今回の件で思わぬ再会を果たしたが、呪いの件が落ち着けば兄は王宮に戻り、もう会うことは無いだろうと思っていた。だが、この様な形で縁が続くとは、意外なことばかりだ。ちらりと覗き見ると、横を歩く兄は時間が経っているので、猫耳と尾は無くなっていたのでほっとする。まだそれを見ていると、笑ってしまいそうになるのだ。
「…アルバート。」
私の視線を感じとったのか、足を止めて硬い声で兄が呼びかけてきた。それに同じように足を止めると、目が合う。
「お前、戻ってくる気は無いか?」
「ございません。」
被せるように返せば、その答えは最初から想定していてのだろう機嫌を悪くした様子もなく、だよなあと兄は笑った。
いずれ兄が王位を継げば、と思っていた頃もあった。だが、私は己の欲の為に甘言に惑わされ、一度、兄を疑った。その結果、魔力と自由を奪われ、私の魔力が利用されて、トモエは異世界から召喚され、兄は凄惨で非常に苦痛を伴う呪いをかけられたのだ。私も被害者であるとは言うが、原因の一端であることには違いない。そんな私が、兄の力になれるとは到底思えない。
「アフロートのアルバートは、死んだのです。…兄上。」
王子としての私は、三年前にとっくに死んでしまった。今、私が望むのはそれだけだ。力になれずとも、害にはなりたくない。
再び沈黙が落ちて、兄は目を閉じて黙り込む。兄とて、私が首を縦にふるとは思っていないだろう。私の意思を尊重すると示すために、この様な形で問いかけてくれた。それだけで、私は嬉しく思う。
「約束を果たせず、お前を喪うことになってすまなかった。…アルバート。」
だが、兄が静かに口にした言葉に、私は目を剥いた。まさか、兄からその様な言葉をかけられるとは思っていなかったのだ。
三年前、少しでも私の死を悼んでくれたのだろうか。兄が私に見せた顔が全てではなかっただろうし、私は兄を最後まで信じることが出来なかったけれど、それでも、私は兄のアデルバートを慕っていた。
「…あの場所の十八年は、何も全てが悪いものではございません。」
兄の目が開かれ、私を閉じ込めた男と同じ色をした目が、ひたとこちらを捉えた。父の青い目は、決して私の目と合うことは無かったが、忍んでやってきた兄は何時だって、私の目を見て、声を聞いて、存在を認めてくれた。あの頃は心が満たされなかったから気づけなかったけれど、それは救いであったのだ。
「あの頃は上を見てばかりでしたが、今は上を見ても下を見ても、首が痛いだけだと知りました。…隣に、彼女がいてくださるのですから。」
上を見ても可能性は限りなく、下を見ても同じように限りない。トモエがいてくれなければ、私は今でも上ばかり見上げていたに違いない。
けれど今は、彼女が隣にいてくれるのに上を見あげているなんて、勿体ないと思うのだ。それは私が、幸福に満たされているからだろう。
「私がアフロートに戻ることは、ございません。…アデルバート殿下、出来れば私のことはアルト、と。…トモエにその名を頂きました。」
「…そうか。相分かった。」
アデルバートはそう言って頷くと、深く息を吐いた。自ら望んだことではあるが、少しも未練がないのかと問われると、答えに窮する。あの国の王族として、アデルバートの弟として、何かを為したいと思っていたことは確かだ。
人生は選択の連続だ。所詮は人間、出来ること、出来ないことがある。それを正しく見極めて、選択をしなければならない。時にはその選択が、ひとつしかないこともあるけれど。
「だが、アルト。公に認めることは出来なくとも、お前はどこにいても、私の弟だ。」
にっと笑った兄の姿が、ほんの少しだけ滲む。もしあの時、ギルバートの手を取らなければ、いつかはこの人の役に立つことが出来たのだろうか。
「はい。…ありがとうございます、…兄上。」
「まあ、お前にはトモエ殿がいるものな。頑張れよ。」
過去は変えられない。戻りたいと思う気持ちは、少しある。それでも私は、今を、これからを、トモエと共に在りたいと思う。私を必要だと望んでくれる、彼女と共に。




