第6話 私と彼の誓い (10)
「…何……っ召喚…?」
二年前の召喚という言葉。それから連想されることは、ひとつしかない。私は、二年前に黒の森に異世界から迷い込んだ。それは単なる偶然の出来事、事故だったと思っていたのだが、ギルバートが口にした言葉から連想されるのは、この男が私をこの世界に召喚したという事だ。
だが、召喚など普通の人間に扱えるような魔法ではない。どう足掻いたって、普通の人間が持ち得る魔力では絶対的に魔力が足りない。私が知る限りでは、それが可能な魔力を擁しているのは、黒の魔女とその孫と思われるアルベールのみだ。
(ああ…でも、アルベールは三年間、この男に囚われて魔力を掠奪されていた…)
奪ったアルベールの魔力を以て、私を召喚したというのだろうか。
「…あなたが、私をこの世界に引きずり込んだんですか…っ」
「この世界?…異なる世界から呼び寄せたのですか。」
まるで他人事のように、無感動にそう呟くギルバートに怒りが湧いて、思わず掴まれている腕とは逆の手を振り上げた。しかし、その横っ面を引っぱたく前に、その手を掴まれてしまう。アルベールに比べれば随分線が細いが、それでも相手は男、力では敵わない。ぐっと力を込めても振り解けそうに無くて、悔しくてその顔を睨みつけた。
「…召喚だなんて…っあなたの勝手で私がどんな目にあったか…!」
元の世界で辛いこと、苦しいことはあったけれど、全てが不幸だった訳では無い。楽しいこと、嬉しいことだってあった。親や弟には疎まれていたけれど、親しい友人がいた。憧れてる人がいた。任されていた仕事もあった。なのに、突然この世界に放り出され、恐ろしい化物に命まで奪われそうになって、帰ることが出来ないと聞かされて、それらを捨てざるを得なかっただけで、自ら望んで元の世界を捨てた訳では無いのだ。
「私には興味の無いことです。」
仕方がないと、不幸な事故なのだとなんとか飲み込もうとした。二年経ってようやく諦めがついたけれど、それは事故だと思っていたからだ。まさかこの男の勝手で私は、私が手にしていたものを捨てなければならなかったのかと知ってしまえば、どうしようも無い怒りが沸き上がってくる。
「…っそうやって、あなたの勝手でどれ程、アデルバート殿下や…アルバート殿下がどれほど苦しんだのか…!」
「…あの男は、アルバートですか。」
怒りに任せて失言したことに気づいて、口を噤む。アルベールには、ギルバートに位置を知られる呪いをかけられていたのだ。それを無理やり私に向かうように細工した事で、ギルバートからすれば、その反応が黒の森で消失したように見えていたはずだ。それを黒の森で死んでいたと勘違いしてくれていたらいいと思っていたが、エールランの王都にまでやってきた追っ手によって、既にアルベールが生きていることは知られている。であれば、黒の森に住む黒の魔女の弟子である私とつながりを持っていると考えるのは、自然だ。
上手く言葉が出てこなくて黙りこんでしまい、これでは肯定しているのと同じだ。しかし、どうやら返事を欲していた訳では無いようで、ギルバートは淡々としている。
「アデルバート殿下は、辟易するほどの陛下からの寵愛と、優しい王妃からの愛情を得て、王太子としての立場を得て、己が好いた女を妃に得て、子も得た。何もかもを得ているのですから、あの程度どうということも無いでしょう。…アルバートも、諦めてあの立場を甘んじて受け入れていましたから、私が利用したところで何も変わらない。」
「…っ、何で…何も感じないのですか…?」
「何を感じるというのですか?」
本当にこの男は、なんの罪悪感も抱いていないのだ。彼の行動によってアデルバートが恐ろしいほどの苦痛を味わっても、アルベールが心を痛めても。
無駄なのだ。どれほど私の、彼らの苦しみを訴えても、この男は言葉通り興味が無い。自分の望みを叶えるためならば、平然となんでも犠牲にする。
「…そうまでして、何をしようというの…」
「間違いは正さなければなりません。あの方が命を奪われるなど、とんでもない間違いです。」
あの方というのは、彼が執着しているアルベールの母ヘレナだろう。アルベールが五つの時に、不運にも賊に襲われ亡くなった。膨大な魔力を持ち、非常に優秀な魔法使いであった彼女の死には、多くの疑問が残されていたと聞く。
「母は死でもその罪は贖えきれませんが、それでも償わせました。」
そして二人目の正妃が、当時寵愛を受けていたヘレナが亡くなった事件に手を回していたかもしれないとも聞いた。その後に、原因不明の高熱で亡くなったとも。その息子であるギルバートの今の言葉は、まさかの事実を連想させる。だが、アルベールが五歳ならば、その時ギルバートもまだ八歳程だったはずだ。そんな彼が、自分の母に罪を償わせたというのだろうか。恐ろしい想像に身を震わせると、それが両腕を掴むギルバートに伝わったようだ。
「私を王位に等と口喧しく、何の役にも立たないどころか大罪を犯したのですから、死んで当然でしょう。」
「…母親、でしょう?」
「血の繋がりに、何の価値があるのですか。」
それに何も答えられなかった。自分を振り返ってみても、顔も名前も知らない本当の父親、産んだことを後悔し続け存在を否定する母親、会いたくないと言った弟。私はなんと答えられるだろうか。
一番上の子のみを溺愛する父親、まるで己を道具のようにしか扱わない母親、兄弟達とは関わり自体が少ない。彼にとっては、ただ血が繋がっているという事実だけしかないのだ。
「あなたの胎なら、十分にあの方の母体となり得ます。」
狂っているとしかいいようがない。まさかとは思っていたが、この男は死者を蘇らせようとしているのだろうか。それも、私のこの体を使って。私が知る最高の魔法使いである黒の魔女にだって、そんなことは不可能なのだ。
「そんなこと、出来るはずがない!」
「古より、人間は欲によって不可能を可能にしてきました。魔力を持たない私が、貴方を召喚できたように…」
もし、この男の召喚が上手くいっていたとしたら、今頃私はどうなっていたのか。あまりにも恐ろしくて黙り込んだ私を、ギルバートはさして気にすることも無く、掴まれた腕をひとまとめにされて、強く引かれた。踏ん張ることが出来ずにたたらを踏んで、それでも抵抗しようとして足がもつれ、その場に膝から崩れ落ちる。痛みに顔を顰めながら見上げると、映ったのは無表情のギルバートの顔だ。
この男は何を犠牲にしても、顔色ひとつ変えず、何の罪悪感も持たずに自分の望みを叶えようとする。恐怖のあまり、何もかも忘れて、掠れた声で大切な名前を呼んでいた。
「アルベール…っ」
突然、目の前のギルバートの横手から高級そうな花瓶が勢いよく飛んできて、彼の頭に直撃した。瓶は奇跡的に割れることなく床に転がり落ちて、よろめいたギルバートは思わず手を離す。ギルバートが何かを右手に握りしめてそちらを見たが、彼が何かを仕出かす前に、その体が吹き飛んだのを眺めた。そこにフードが脱げ落ちて、その見事なプラチナブロンドを乱したアルベールが、倒れ込んだギルバートに組み付いている。先程までこの部屋には私とギルバートしかいなかったはずなのに、何故、ここに彼がいるのか。
けれど、その疑問は、ギルバートの右手から転がり落ちた小さな石が足にあたり、彼がそれに手を伸ばそうとしているのを見て霧散する。それに気づいたアルベールが、ギルバートの顎を思い切り殴りつけたのを見て、思わず小さく悲鳴を上げてしまった。ギルバートは呻き声をもらしてその場で動かなくなり、目の前で起きた一連の出来事に、何が起きたのか理解出来ずに呆然とした。
だが、今しかないと冷静な頭が判断して、隠し持っていた呪いを詰め込んでいた小瓶の栓を引き抜く。瓶の口から溢れ出た、真っ黒な禍々しい文字のようなものが、ギルバートの体を這った。それが体に溶け込んでいくのを見届けて、小さく息を吐いた。
この呪いが思った通りに発動すれば、アルベールも私も、この男に脅かされることは無い。けれど、ギルバートにとっては全てとも言える想いを封じ込め、奪ったのだ。確かにこの瞬間、私は己の望みを叶えるために、犠牲を強いた。あれほど恐ろしいと感じた、ギルバートと何も変わらない。
これで本当によかったのだろうか、一抹の不安がよぎる。けれど、近くまでやってきたアルベールが抱き込んできたのに意識を奪われた。
「ああ、トモエ、よかった…」
そう言って抱きしめてくるアルベールの腕の力は弱い。少し震えているようにも思う。よく見てみれば、彼の膨大な魔力が今はほとんど感じられないのだ。一体どうしてと問おうとする前に、アルベールの体がのしかかってくる。押し倒されるような形になって慌てるが、私の上に倒れ込んだアルベールの体は酷く重く、どうやら意識が無いようだ。
なんとかその下から這い出て、アルベールの体を仰向けに転がすと、彼の顔色は真っ青であった。これは、魔力欠乏症だ。
アルベールは、突然この部屋に現れた。扉の前には騎士がいるので、正面から入り込むことは不可能に近い。ならば、考えられるのは一つしかない。彼は、この部屋に転移してきたという事だ。
彼ほどの魔力を持つ者なら、きちんと学べば転移や召喚を扱うことは可能であろう。しかし、興味があるということでということで少しずつ学んでいたが、まだその技術を彼は体得していないはずだ。それを成し遂げるために、魔力が空になるくらいに無茶をして、ここに転移したのだろう。
「アルベール、アルベール…っ」
声をかけても、揺すっても、反応がない。このままでは非常に危うい。急激に、生命維持するのにも危ういくらいに魔力を失ったのだ。
なんとか少しでも魔力を供給しなければ。どうすればと悩んだが、直ぐに気づく。今まで私が彼から魔力を貰っていたように、同じ事をすればいいのだ。
口の中を噛んで、痛みに顔を顰めながらも血の味を確認してから、アルベールの顔を両手で包んで口付けた。無理やり口をこじ開けさせて、そこから自分の魔力をねじ込む。
(お願い、目を開けて…)
窒息してしまわないように気をつけながら、何度かそれを繰り返していると、ぴくりとアルベールの瞼が震えた。それを目を見開いて凝視すると、瞼の下から赤い目がうっすらと現れる。あまりの至近距離に慌てて唇を離そうとしたところで、後頭部に彼の手が回されて阻止された。慌てふためいているうちに、逆に貪られるように口付けられて、目をぎゅっと瞑る。漸く唇が離された時には、こちらが恥ずかしさで死んでしまうのではないかと思った。
「最高の目覚めを、ありがとうごさいます。」
「…それは、その…良かったですね…」
悪びれることなく清々しい笑顔を浮かべたアルベールに、クラクラしながら真っ赤になって顔をそむけた。




