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黒の魔女の拾いもの  作者: 茜菫
本編

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第6話 私と彼の誓い (2)

どのくらいこうして抱き合っていたのかは分からないが、大体いつも、こんな空気を壊すのは猫の鳴き声だった。

にゃあと耳に届いた音に、埋めていた顔を動かして足元に目をやると、でんかの姿がある。ゆらゆら尻尾を揺らしてじっとこちらを見つめてくるその姿は実に愛らしいのだが、その正体がアルベールの兄だと知っていると、複雑だ。毎度のことだが、本当に意識はないのだろうかと疑わしく思う。


ふと上を見上げれば、アルベールが同じように不機嫌そうに目を向けていた。しかし、その目が、私が彼を見ていることに気づいてか直ぐ様緩められて、いつものように穏やかな笑みを描く。


「呪いを解いて差し上げて、早くお帰りいただきたいものですね。」


どう返していいのかわからず苦笑いを浮かべると、アルベールは軽く唇に触れるだけの口付けをくれる。そのまま至近距離で見つめあっていると、まるでその赤い瞳に吸い込まれるような、そんな錯覚さえした。惚けている、と再び唇が重ねられる。ゆっくりと深くなっていくそれを受け入れながら、そういえばでんかが見ているのだったと思い出すが、甘美な口付けに頭の中がドロドロに溶けてしまったようだ。


唇が離れ、少し熱っぽい目を向けられてぞくりとする。何度か向けられたことのあるこの目は、非常に私の心を乱した。彼以外に恋人がいたことも無く鈍いと言われた私でも、既に成人した女なのだ、そこに秘められているものは大体察する。


「…トモエ、このまま貴女を抱きしめて眠ってもよろしいでしょうか。」


荒んだ息を整え、少しぼんやりする頭で今の言葉を反芻する。その言葉の意味を理解しようと、大混乱で引っ掻き回されている頭を捻っていると、アルベールはにっこりと笑った。


「ただの添い寝です。」


「えっあっ、はい。」


うっかりはいと答えるや否や、アルベールにさっと抱き上げられてしまう。咄嗟に首にしがみつくように腕を回すと、そのまま彼の部屋まで連れていかれる。私を抱き上げているので両手は塞がったままなのだが、器用に魔法で扉を開け閉めしていた。いつの間にか、魔女特有の魔力の扱い方を覚えていたらしい。私は教えた覚えはないが、これが天才というものなのだろうか。


そんなことを考えているうちに、ベッドに下ろされた。この展開はと混乱していると、アルベールもその隣に横になる。元々黒の魔女が使っていたこのベッドは私の部屋にあるものよりも大きくて、二人並んでも十分な広さだ。

アルベールはそのまま腕を伸ばしてきて、狼狽える私を両腕で包み込む。抱きしめるだけで、本当にただの添い寝のようだ。


「トモエは流されやすいようですから、少し心配になります。」


「…あ、アルベールだからですっ」


「それならばよかった。」


穏やかな笑みを浮かべたまま、うっそりと見つめられて、髪を撫でられる。この世界にやってきて随分と伸びた黒髪に愛おしそうに指を絡められて、照れくさくなってきた。

恋人となってから、アルベールはよく髪に触れてくるので、重点的に手入れしている。一房手にして唇を寄せた彼は、するりとそれを手放して、じっと赤い目でこちらを見つめる。


「…トモエ、呪いが解けた今、改めて全てをお話しさせていただいたもよろしいでしょうか。」


彼は呪いによって、多くのことを口にすることが出来なかった。それが解かれた今、彼はなんの制限もなく自由に言葉を紡ぐことが出来る。


「…はい。アルベールの言葉で、あなたのことを聞きたい。」


既にある程度のことは知っているが、彼が彼自身の意思で私に話をしてくれるのは、まるで私を受け入れてくれるようで嬉しい。目を細めて笑みを深くしたアルベールは、形の良い唇を開いて、彼自身の言葉を紡ぐ。


「私の名はアルバート。既にご存知でしょうが、三年前に死去したとされるアフロート王国の第三王子です。」


本人から聞かされ、本物の王子様なのだと改めて実感する。この世界に迷い込んで黒の森の周辺諸国について学んだが、アフロート王国の第三王子については、死しても尚噂される程の美貌に、一度は見てみたかったなあとぼんやりと思っていたことを思い出した。まさか、この至近距離で眺める日が来るとは思いもしなかったが、噂に違わぬその恐ろしく美しいその姿に、今更ながら追っ手に見つかったのも当然だと思う。


「…貴女に隠さずお伝えできることが、嬉しい。」


想いを告げられた時も一言断っていたので、余程引け目に感じていたのだろう。安心したようなアルベールの様子に、こちらもほっとして息を吐いた。


「王子といっても、私の王族としての価値は皆無と言ってよいでしょう。以前お話させていただいた通り、母は平民、私は王位継承権を持たず、十八年間離宮に押し込められ、公の場にほとんど出ることも無く、死んだとされていますから。」


淡々と語るアルベールには、なんの感情も浮かんでいないようだ。ただ事実を語るだけといった彼の腕を無意識に掴んでいて、それに気づいたアルベールが柔らかく笑む。


「…大丈夫ですよ、トモエ。これも貴女に出会うために必要だったと思えば、確かに意味のあったことですから。」


それは本心であろうが、全てではないだろう。けれども、何も言うことが出来ず、ただその腕を掴んだままアルベールの言葉に耳を傾ける。


「アデルバート兄上がよく、こっそりと会いにくださっていたこともお話しましたね。兄上の行動はあの男には気づかれていたでしょうが、アデルバート兄上がなされることは全て許されていました。」


「…全て?」


「はい。アデルバート兄上は、あの男に溺愛されていましたから。兄上は辟易されていたようですが、上手く利用もされておりました。恐ろしい方であられる。」


陽気に笑うアデルバートの姿を脳裏に描いてみたが、アルベールの言うように恐ろしいとはあまり思えない。それは、私が彼のことをよく知らないからというのが大きいだろう。一国の王太子となれば、きっといい人だけではやっていけないのだろうなとは思う。


「以前はお話できなかったのですが、ギルバート兄上も私に会いに来てくださっていたのです。ギルバート兄上はアデルバート兄上とは違い、あの男からは無関心であったので、見つかれば許されはしなかったでしょう。ですから、慎重に忍んでこられておりました。お会い出来たのは、アデルバート兄上に比べればずっと少ないものでしたが。」


そこまで言ってから、アルベールは少し言葉を詰まらせる。彼を捕らえ、三年もの間自由を奪い、呪いをかけたのはギルバートだ。その事実と彼が語る頃の思い出が、彼自身を苦しめているのだろう。


「危険を冒してまで会いに来てくださっていたギルバート兄上を、私はアデルバート兄上と同じくらい…いえ、きっとそれ以上に慕っておりました。私達はアデルバート兄上と違って、あの男から冷遇されていた身でしたから。」


深々と息を吐いたアルベールは小さく首を振った。その目は光を失って、暗い感情が含んでいる。


「…ギルバート兄上は、私を案じてくださっているのだと…しかし、兄上は…私の事は勿論の事、アデルバート兄上の事も、あの男の事も、何とも思っておられないのでしょう。何故かは存じませんが、私の母だけが、あの方の世界を占めているのです。」


もう一度深く息を吐いたアルベールは、一度目を閉じる。ゆっくりと開いたその目からは、先程の感情が消え去っていて安堵した。


「幼い頃、アデルバート兄上は、必ず私をあの場所から出して下さると約束された。私はそれを、信じておりました。ですが、ギルバート兄上は私の元にやってきて、私やギルバート兄上と違い、あの男から寵愛を受け、何もかもを手にしているアデルバート兄上が信に足るのかと問われた。今でこそ、アデルバート兄上は私とは別の、理解し得ない悩みをお持ちなのだと存じますが…」


過剰な愛情を受ける側も、そちらにしか分からぬ悩みはあるのだろう。けれども、私やアルベールのようにそれらを殆ど与えられずにいた側からすれば、想像すらし難い悩みだ。


「その時の私はただ妬ましくて、兄上を信じることが出来なくなってしまったのです。ですから、私はギルバート兄上が、この場所から出して下さると差し伸べた手を取ってしまいました。まさか、それがこのような結果を引き起こすとは知らずに。」


後悔は、しているのだろう。三年もの間自由を奪われ、魔力も奪われ、その奪われた魔力でもう一人の兄を害された。アルベールがアデルバートに、どこか後ろめたそうに目をそらすことが多かったのは、この為なのだろう。信じることが出来ず、自分の選択が兄を苦しめる事となった。それがどうしても尾を引き、二人の距離を開いてしまう。ただ、アルベールだけでなくアデルバートにもそれを感じることがあるのが気にはなるが。


「ギルバート兄上は嘘は仰らなかった。裏切ってなどもおりません。ただ、その先が私にとって、別の地獄だったというだけのこと。…ふふ、魔力を持たぬとも、ギルバート兄上は立派な魔法使いであられる。」


魔法使いは嘘は口にしないが、全ての真実を語る訳では無い。そういった意味では、正しい魔法使いとしてのやり方だ。事実はそうなのかもしれないが、アルベールにとってはひどい裏切りだったのだろう。しかし、彼自身が魔法使いである故にそうは言えない。それが悔しくて、ぐっと唇をかんだ。

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