第5話 私と彼の決意 (13)
着替え終わって部屋を出ると、外で体を動かすと言っていたアルベールの姿はなかった。代わりに、彼の髪と同じ色をした猫が椅子の上でまるまっている。こちらの姿を認めると小さく鳴いて、まるで腹が減ったと言っているようだ。
このアデルバートの姿には、浮かれた気持ちを鎮めてくれる効果があると思う。彼に呪いをかけた主の脅威は去っていないのだと、まざまざと見せつけられている気がするのだ。
(アルベールの呪いも解けていないし…もう少し頑張れば解けるとは思うけれど。)
アルベールとアデルバートの呪いを解き、このようなことが二度と起きないように、相手に何らかの手を打たねば平穏を得ることは出来ない。
その手として相手に呪いをかけるという案は、アルベールは反対し、答えを返してくれていなかったし、先程も全くあの話に触れる様子を見せなかった。
(…話をしないと…このままではダメだと、思うし…)
私はこの世界で生きていくことを、二年前に選んでいる。いや、それは選んでいると言うよりは、選ばざるを得なかったという気持ちが大きかった。私が知る魔法使いの中では最高の知識と魔力を持つ黒の魔女エイダに、元の世界に戻る術はないとはじめから言われていたからだ。
けれども、アルベールと出会ったことで、私はこの世界での自分の存在価値を見出すことが出来て、諦めで生きるしかないと思っていた心が、ここで生きたいと思うことが出来た。肉親からは存在を否定されて生きてきた私を望んでくれる、彼のそばに居たいと思う。
肉親からは疎まれてはいたが、孤独だった訳では無く、友人は恵まれていたし仕事にもやりがいはあったので、元の世界に未練が全くないという訳ではないけれど。
それでも、私はこの世界で生きるのだと、アルベールと共に生きたいと選んでいる。私の居場所は、彼の隣でありたい。
攻撃系の魔法はまともに使えないし、警戒心は薄くて誘拐されるほど頼りないかもしれない。だが、私には出来ないことは多いけれども、出来ることもある。
守りの魔法や空間の制御の魔法は得意だ…と、アルベールが教えてくれた。解呪もこの有り余る魔力があれば出来るし、逆に、呪法さえ組めれば呪いをかけることも出来る。その呪いは、私を超える魔力を持つものでなければ解くことは不可能だろう。
居場所を守るために、全てを彼に押し付けただ守られているのではなく、共に手を取り合って守りたいのだ。
朝食の準備を済ませ、でんかにもごはんをあげると、嬉しそうに鳴いた。それを見て小さく笑うと、洗ってある手ぬぐいを一枚手にして外に出る。
お互いに全てを受け入れ合うのは難しいだろうけど、可能な限り受け入れ、お互いを知って折り合いを付けていきたい。そのためにも、まずは会話が必要なのだ。私は何度でも、会話をしようと思う。
庭に出ると、アルベールは剣を片手に握りしめたまま、ぼんやりと黒の森を見つめていた。額に少し汗が滲んでいて、先程まで鍛錬していたのだろう。近づくと、剣を鞘に収めてこちらを振り返ったので、手拭いを差し出す。彼の赤い目が私を映して細められ、口元がゆるく笑みを描いた。
「何を考えていたんですか?」
そう問いかけると、アルベールは少し目をそらして、けれどもすぐに視線を戻す。言い難いことなのだろうが、話してくれる様だ。
「…私は、選択を間違えてばかりだと」
それ以上は言葉にならないようで、口を開いては閉じてを何度か繰り返して沈黙する。憂いを帯びた目が私をすり抜け、再び黒の森を捉えたのが見えて、言いようのない寂しさに少し俯いた。
「…私と出会ったことは、間違いでした?」
「いいえ、まさか!」
意地の悪い問いだとはわかってはいたが、そう問わずにはいられなかった。アルベールは被せるように即答した後、両手を取って包み込むように握りしめてくる。触れた肌から温もりを感じて、ほっとした。
「だったらきっと、間違いではなかったんだと思いますよ。私は、アルベールの選択が、私とあなたを結びつけるものになったのだと思うと、間違いだったとは思わないですから。…選択を、変えられてアルベールと出会わなくなってしまったら困ります。」
そう言うと、アルベールは驚いたような表情を浮かべたが、直ぐに少し照れたような笑顔を浮かべた。どうも、私はこの笑顔に弱いようで、つられてはにかむ。
「…トモエ」
「はい?」
「私も、貴女とずっと、共に生きたいと強く思っております。どうか、呪いが解けても貴女のそばにいることを、お許しください。」
「…許すだなんて、そんな…寧ろ、私がそう望んでいます。」
はじめは、呪いを解くための応急措置でそばにいる必要が生まれたからだった。しかし、いつの間にかそばにいることが当たり前になって、いないことの方が不安になった。想いを通じ合って恋人となり、それから正体を知って、怒涛の様に色々な出来事があったけれど、今更離れることなんて考えられない。
「…貴女はこんなにも、情けない私を受け入れてくださるのですね。」
「情けないなんて、思ったことはありません。アルベールはその時に出来ることをしてきたんだと思います。それが全て最善だった訳じゃあ、無いでしょうけど…」
アルベールは自力でこの魔女の小屋まで辿り着いて、魔女に助けを求めた。囚われていた場所からここまで逃げ出すのにも、相当勇気がいったことだろう。何も、立ち向かうことだけが勇気ではない。力がなければ、ただの無謀になる。
考えてみれば、軟禁されていたとはいえ、彼は王子様だ。この小屋で生活し始めた頃は殆ど何も出来なかった事からして、ここまで逃げて来るのに相当苦労したのではないだろうか。己の尊厳を守る為に必死で抗った彼を、どうして情けないと言えるだろうか。
「…それに、あの黒の魔女の弟子を味方につけたんですよ。全然情けなくないです、すごい事じゃないですか?」
冗談ぽく笑ってそう言うと、一歩近づいたアルベールに抱き寄せられた。白いシャツが視界を埋めて、朝のこと思い出して顔に熱が帯びる。
「あの、アルベール…」
「私は貴女を、何があっても離しません。どこまでも、貴女と共に。幸せも、苦しみも、…罪も全て、二人で、共に…」
罪も、と彼は言った。それは私がしようとしていた事を、相手に呪いをかけるという罪を含めているのだろうか。アルベールの腕の中から見上げると、彼は僅かに躊躇いながらも小さく頷いて、笑った。
「悔しいですが、私の魔力では呪いをかけることは難しい。ですが呪法は、私が組みましょう。」
実際に行うのは私になるだろうが、魔法や呪いの知識は、私よりもはるかにアルベールの方が高い。私が四苦八苦しながら呪いを組み上げるよりも、はるかに効率よく精度の高い呪いができるだろう。
「トモエが仰るように、目にものを見せてやりましょう。貴女と二人でならば、可能だと存じます。」
「…そうですね。…ふふ。」
腕を背に回すと、さらに強く抱きしめられた。このまま離さないで欲しい、離したくないと思う。
私は今、とても幸せを感じていた。私が愛する人、私を愛してくれる人と共にいられることが、こんなにも心満たされるものだったとは知らなかった。
だからこそ、後ろめたさを、罪悪感を感じながらも、私はこの幸せを守る為に罪を犯そうとしている。一人では重いだろうが、アルベールが一緒に背負ってくれるというのなら、その重みも受け止められる気がする。
腕が少し緩められて、不思議に思って顔を上げると、頬に手を添えられる。顔が近づいてそのまま唇が触れ、深くなる口付けを目を閉じて受け入れた。
毎日、魔力を貰うという名目で行われていたこれも漸く慣れてきた所なのだが、今日は少し違っていた。いつもよりも長く、さらに深く貪るようなそれに無意識に身を引こうとしてしまったのだが、腰をがっちりと抱かれ、頬に添えられていた手がいつの間にか後頭部を抱え込むように回されていて、それは叶わない。
今までになかった、少し強引な手腕にゾクリとする。唇が離された時には腰が抜けて、それでもがっちりと抱えられていたので、その胸にもたれ掛かるような状態になっていた。
「口付けだけならば、お倒れになることはなさそうですね。」
そう言って唇を舐めたアルベールに凄まじい色気を感じて、真っ赤になった。この状態を見てそれをいうのかと少し恨めしくなって、目を細めると、彼は少しだけ悪戯げに笑う。もう一度だけといった彼に少し眉を顰めると、次は軽めにしますからと言わる。それを拒否しない自分も自分なのだが。
アルベールが何かを噛むような動きを見せた後、もう一度口付けられる。それは少し血の味がして、酒を飲んで酔った時のようにクラリとした。
「…未だの様ですね。」
どうやら、彼の魔力にどれほど反応するのか測られたらしい。唾液よりも、血液の方が魔力が含まれるという。恐らく、口内を噛んで出血させたのだろう、あまり宜しくない方法だ。
「…怪我したみたいですから、後で魔女の秘薬を作りますよ。あのとびっきり効果のある薬を。」
「…あの薬は、遠慮させていただきたいですね…」
私が飲んで失神した、あの悪臭を放つ、この森にやって来て初めて飲んだ薬を思い出したのか、アルベールは眉尻を下げて笑った。




