第5話 私と彼の決意 (11) (アルベール)
無防備に自分の腕の中で寝息をたてるトモエに、口元が弛んだ。とんでもない目に遭わせてしまい、平和で治安の良い国で暮らしていたという彼女にはとても恐ろしかったことだろう。
(全て、私が招いてしまったこと。)
兄のギルバートの元から逃げ出し、この黒の森に逃げ込んで、黒の魔女に助けを求めようとした。だが、そこには魔女はおらず、その弟子と名乗るトモエがいて、私は彼女を巻き込んだ。その時は、それが私にとっては最善であったのだ。
彼女の助けがあって、私は兄を欺くことが出来た。後は呪いを完全に解く事が出来れば、ただひたすら遠くへ逃げれば良い。大いに彼女に感謝しながらその時はその様に思っていたのだが、彼女と話しているうちに考えが変わってしまった。
どこか遠くへ、それが彼女のそばにと変わってしまった事に、自分でも戸惑った。一時の気の迷いかと思ったのだが、共に過ごしている内に、その思いは強くなるばかり。諦めなければならないと口では言いながら、本当はまるでその気は無かったのだと思う。
外の世界へ出て得ることのできた自由に、私は舞い上がって正しい判断が出来ていなかったのだろう。万が一にも、兄の手が隣国まで及べばと確かに恐れていたのに、数ヶ月間の幸福な時間に溺れてその危機感は薄れ、気が緩んでいた。彼女に望まれ、頼られることで己の力を過信していたのもあるだろう。何が起こったとしても、必ず守り通せるのだと。
しかし、私はいくら魔力を持っていようとも、世間知らずで詰めの甘い、浅はかな男である事は変わらなかった。なんでも出来るのだと自惚れて、その実、最も大切な彼女を危険な目に遭わせるという愚行をおかした。自分の問題を自分一人で片付けることも出来ないのに、欲深く彼女を望んだ結果がこれだ。
(けれども、私は貴女を手放せない…)
だが、今更私を捨て置いてほしいとは言えない、言うつもりもない。最早、私はトモエを手放せなくなってしまっていて、彼女も私を望んでいると示してくれている。彼女を巻き込みたくないと思っても、初めに渋る彼女の手を引いたのは私であるし、今の私一人の力では現状をどうにも出来ない。怯え、恐れながらも、己の手を汚すことになっても、私と共にあることを望んでくれるトモエに、私はどうしようもなく愚かだったと自覚させられる。そして、それに喜びを覚える自分にも。
いっそ、この黒の森に二人こもってしまえば良いのではないかとも思った。この黒の森は、魔女に匹敵する魔力がなければ永遠に彷徨う。その魔女に匹敵するほどの魔力を持っているのは、唯一トモエだけであり、私は彼女の魔力には遠く及ばない。私が持っている魔力量ですら、この森を自由に歩き回れるほどのものでは無いのだ。
魔力量ではなく、ただ私は特別だから、この森を歩けるだけだ。だから、私から魔力を奪うことでしか魔力を得ることが出来ない兄では、決してたどり着けない。兄におびやかされることも無く、彼女を他の人間の目に触れさせずに、たった二人でこの森に生きる。
(…血は争えぬ、ということなのでしょうか)
だがそれは、彼女の自由を奪う事となる。こんな考えを魅力的に思えた自分にゾッとした。母と私を閉じ込めた父、いや、あの男と血が繋がっているのだと自覚させられて、己の身が呪わしく思えた。
あの男にとって、私の存在は戯れにつくらせた愛玩だ。それも、制御できる人間が死んでしまっては手に負えなくなり、色々な名目をたてて秘匿し、己の過ちを目に入れぬように遠ざけられた。ならばいっそ殺してしまえばよかったものをと思うが、どうやら己が愛し、執着した女と似た顔を、また殺すことになるのは流石に躊躇われたらしい。
(私にとって、己の顔こそが呪いなのでしょうね。)
けれども、その呪いは解かれた。私のこの顔を、母に似た顔ではなく、私の一部として好きだと言ってくれた、トモエによって。
(…やはり私には、トモエから離れるという選択肢は無い。)
だが、現状を一人ではどうにも出来ない。もっと前に、ギルバートを始末すべきであった。その機会は一度あったというのに、実行出来なかった自分の心の弱さを今になって後悔する。嘆いたところで仕方がないのは分かっているが、あの時に戻れるものならば戻りたい。
もう、その機会を得ることは難しいだろう。私の生存が、アデルバートに知られている以上は。ならば、どうすればよいのか。
トモエの言う呪いは、確かに最善のように思える。殺す訳では無いから、アデルバートとも取引しやすい。けれども、彼女のその手を煩わせることだけが、気がかりだった。
ならば私がと思うが、私の魔力ではギルバートに呪いをかけることは出来ない。魔力を持たぬギルバートは私からしか魔力を得られないが、逆に私の魔力ならば全て吸収してしまうのだ。そして、私の魔力を奪ったギルバートを上回る魔力を持つ、唯一呪いをかけることの出来る者は、トモエしかいない。
私と共にあることを望んでくれているとしても、本当にそんなことをさせてしまうのか。共に罪を負うと言って、私を選んでくれる喜びと、そのような選択をさせてしまった罪悪感とがせめぎ合う。けれども、私は覚悟を決めなければならない。
トモエが覚悟を決めて、私と共にありたいと言ってくれたそれを受け入れる覚悟を決めるか、それを振り払って彼女の元を離れる覚悟を決めるか。どちらを選ぶかなんて、最初から決まっている。
(あとは、覚悟…)
不意に、腕の中で眠っていたトモエが少し身じろいだ。無意識に少し引き寄せてしまったようで、起こしてしまっただろうかとその顔を覗きこんだが、瞼はおりたままで少しだけ口に笑みを浮かべていた。いい夢でも見ているのだろうかとじっと見つめていると、口が僅かに動いて声を漏らす。
「…アデルバート殿下…」
「…」
自分でも、思い切り顔が引きつったのがわかった。彼女が起きていなくて、よかった。
けれども、あんまりではないだろうか。寝言で私の名前を呼ぶのなら可愛いと思うが、ほかの男、選りに選って兄の名前を呼ぶとは。
「…かわいい…」
これもまた寝言のようだ。だが、あれが可愛いわけがない。この森や私が軟禁されていた離宮ではあのような様子だが、数度、共に公の場に出るために外に出た際の顔や雰囲気は全く違う。色々な顔を持ち合わせ、腹に何を抱えているのかのわからないあの兄が、可愛いわけが無い。
兄の名前と、可愛いという寝言で猫の姿の兄の夢を見ていると、好意的に解釈しよう。それでも、不満だが。兄などこのままずっと猫であればいいと恨めしく思うが、そうもいかない。
アフロート王国の王、あの男が病床に伏せている今、アデルバートの呪いを解いて戻さなければならないのは、わかっている。
あの男にとっては、大層なお気に入りの非常に優秀な後継がいればよくて、気に入らないが扱いやすい予備は、本当に万が一の為の備えだ。行方不明が確実な死亡確認になるまで、決して予備を認めようとはしないだろう。若しくは、己の命が潰えるか。
後継、兄のアデルバートはあの男をよく理解している。己があの男のお気に入りだということはもちろんのこと、予備も愛玩もあの男から冷遇されていることも、よくよく理解している。それらを利用して上手く立ち回っていることは、幼い頃から理解してきた。
何せ、秘匿とされる私に会いにきて、何も咎められなかったのは兄、アデルバートだけだ。使用人でも私が少し話しかけた、私に好意的に振舞った者は、次の日にはいなくなっていた。ギルバートも私に、…こうなってからわかった事だが、母に似た私の顔が見たかっただけだろう、やってくる事はあったが、非常に少なかった。あの男からは冷遇されているのだから、仕方がない。
私の望みを、私が飢えていることを兄は理解していたのだろう。だから、兄はよく私の元にやってきては、色々なものを与えてくれた。いずれは兄が、あの男が持て余す私を飼わなけなければならないのだから、餌付けされていたようなものだ。
兄の全てが優しさだとは思わない、兄はあの男の後継なのだから。それでも、飢えた私は兄から与えられるもので一時の安らぎを覚えていて、会えることはとても楽しみであった。
トモエが言うように、私は兄であるアデルバートを慕っているのだろう。だから、呪いが解けて欲しいという気持ちは確かにある。…先程、それが少し揺らいだのも確かだが。
ギルバートの目にトモエが映ることは避けたい。しかし、どの程度なのかは知らないし興味もないのだが、王が病に伏せているという以上、長い時間をかけて呪いを解くというわけにもいかないのは理解している。
反対だと言っても、それに代わる何かを私は用意出来ない。己の無力さを悔しく思う。
トモエは選び、自分が出来ること、出来ないことを正しく切り分けて、覚悟を決めている。ならば私も彼女を倣って、自分が出来ること、出来ないことを正しく切り分けて、それらを受け入れ覚悟を決めなければならない。




