第5話 私と彼の決意 (10)
一度部屋に戻り、服を脱いで軽く身を清める。汚れてしまった服を見ると、天国から地獄に叩き落とされたような錯覚に陥る。眠れる気分ではないので新しく服を着ると、深く息を吐いてベッドに腰掛けた。
まだ夜明けまでは遠く、こうして一人でいると不安になる。ここは魔女の小屋だ、魔力を持たぬ者は決して辿り着けないし、私を脅かした女も今はもういない。安全面においては不安になることは無いはずだ。なのに、落ち着かなくて座っていられずに一人部屋の中をうろうろとしてしまっていたのだが、控えめに扉がノックされたことでハッとする。
扉を開けば、片手に金色の猫を抱えたアルベールが立っていた。彼も着替えたらしく、赤く染まったシャツではない、真白いシャツに身を包んでいたのにほっとする。
「…お休みにならないのですか?」
アルベールは私が寝間着ではない服に着替えていることに気づいたのだろう。だが、それはアルベールも同じことだ。
「…ちょっと、眠れそうにないので…アルベールも寝ないんですか?」
「私は念の為、起きております。ですので、安心してお休みください。」
アルベールは穏やかな笑みを浮かべながら私の頬を撫で、額に軽く口付けた。私が不安になっていることを察してくれているのだろう。その気遣いはとても有難いが、それでも不安が胸を占める。
「…あの、アルベール…」
「いかがなさいましたか?」
アルベールはこちらを安心させるように優しい笑みを浮かべながら、小さく首をかしげた。この表情の彼にはとても安心させられる。最近のアルベールは暗い表情や悲しい表情を浮かべることが多かったため、余計に。
「今日は、その…そばにいてもらえないですか?」
一人でいるのは怖い、とても不安になる。我儘だとは分かっているが、アルベールのそばにいるのが一番安心出来るのだ。そんな思いを込めてそう言ったのだが、アルベールが笑顔のままで固まってしまったのを見て、自分がとんでもない発言をしたことに気づいた。
「あ、えっと、その、そういう意味ではなく…」
異性に、いや恋人にこんな夜中に自室でそばにいてくれなんて、そういう意味に捉えられても文句は言えない。顔を赤くして必死に両手を振って否定すると、アルベールはくすりと笑って頬に触れてくる。その部分からさらに熱を持ったような錯覚がして、クラクラした。
「はい、存じております。」
彼はほんの少しだけ寂しそうに笑ったようにも見えた。必死に否定すれば、まるで拒絶しているように受け取られても仕方が無いだろう。なにかフォローすべきかと口を開きかけたが、さらに拗れるだけのような気がして思いとどまる。恋愛初心者の私は、どうにも上手く振る舞えないようだ。
「…今日はとても怖い思いをされたでしょう。お一人にしてしまい、配慮が足らず、申し訳ございません。」
「いえ…アルベールは私のことを、本当にたくさん気遣ってくれています。ありがとうございます。」
こうして寝ずの番をしてくれようとしていたのも、私のためなのだろう。いつでも、アルベールに守られている。それがとても有難く嬉しいと思うと同時に、少しもどかしい。
少しだけお待ちくださいと言って、アルベールは扉から離れた。様子を扉の隙間から覗くと、彼は自室から編みかごと柔らかな布で自作した猫のベッドを配置し、そこに抱えていた猫のでんかを寝かせる。彼の部屋は窓が壊れてしまっているので居間に連れてきたのだろう。でんかは大きく欠伸をした後、大人しく丸まって眠る様だ。
アルベールはそれを見届けてから、戻ってくる。そのままにっこりと笑ってこちらを見ながら、少し開いた扉をノックした。
「いれていただいてもよろしいでしょうか?」
「…はい、どうぞ。」
こうして部屋に招き入れたのは、これが初めてだ。以前に倒れた時に運んでもらい、付き添ってもらったことはあったが、それを含めてもこの部屋にアルベールがいるのは二回目。逆に、私がアルベールの部屋に入ったのも、先程の窓が壊されたときの一回しかない。
女の部屋といっても、こんな森の中にある部屋なのだからお察しだ。魔女から貰った書物や謎の道具などが多く、女性らしい飾り気はない。小さなテーブルと椅子がひとつあるだけで、招き入れたのはいいが、もてなせるような環境でなかったことに気づく。
「あー、ええっと…」
せめて椅子をもう一脚用意しておけばよかったと思うが、ないものは仕方がない。どうしようかと悩んでいると、アルベールは近くまでやって来て、少し屈んで耳元に顔を寄せてきた。
「眠れないようですから、添い寝いたしましょうか。」
「はっ…えっ!」
突然の申し出に真っ赤になって狼狽えていると、その隙にさっと抱き上げられて、あっさりベッドに寝かされてしまった。本当にその隣にアルベールが横になり、軽く抱き寄せていたので、さらに顔が赤くなる。元々、シングルサイズのベッドに二人並んでいるのだから、当然狭いので密着していた。
「いけませんよ、トモエ。直ぐに拒否しなければ。」
「う、ええ…」
「男は付け入る隙を狙っているのものです。」
そんな隙だらけのつもりは無いのだが、いつの間にかこのような状況に持っていかれてしまっていた。いくら鈍いと言われた私でも、夜中に同じベッドで男女が横になっているのは問題だというのはわかっている。一応は、恋人なので問題はないのかもしれないが。
「トモエ…」
アルベールの胸に顔を埋めると、頭に頬ずりされる。甘い声で名前を呼ばれて、全身の血が沸騰するのではないかと思うくらいに体が熱くなった。
いつまでもこうしていたいと思うのと同時に、だからこそ今きっちりと話をしなければならないと改めて思う。アデルバートが言った通り、これからもこうして二人で生きていきたいと思うのならばこそ。
胸に埋めていた顔を上げて、アルベールの赤い目を見据える。すると、ほんの少しだけ、彼はそれに戸惑ったようにその目を揺らした。
「アルベール、話したいことがあるんですが…」
そう言うと、アルベールの抱き締めてくる腕の力が少しだけ強くなった。何を話そうとしているのか、予想がついているのだろう。先程、アルベールがあの女を追いかけるまでに話していた、アデルバートの呪いについて。それは正解ではあるが、不十分でもある。
「…お休みになりませんか。」
「…まだ。」
アルベールにとっては避けたい話なのだろうが、そうはいかない。じっとその赤い目を見つめるが、アルベールは目をそらしはしなかった。
「私は、ギルバートに呪いをかけようと思っています。すみません、本当は…黙ってやろうとしていたんです。」
アルベールはその目を大きく見開く。流石に予想外だったのだろう、酷くうろたえたようで腕に少し力が入り、少し苦しい。
「…貴女が、そのようなことをする必要はございません。…いえ、なりません。そのようなこと…!貴女はなにもなさらなくて良いのです、全て私が…っ」
ふと、アデルバートの言葉を思い出す。勝手をする男だと、彼は言った。お互いに黙って行動を起こそうとしていたことを、彼は察していたのだろう。だから、私に話をした方がいいと、上手く扱ってやってほしいと言ってきたのだろうか。
「…アルベールも、私に黙って何かしようとしていたでしょう?」
それにアルベールは黙り込む。否定をしないというのは、この小屋の中では肯定になる。
ギルバートがアルベールに執着したまま生きている限り、平穏は望めないと思う。この黒の森に二人引きこもれば手は届かないだろうが、それは到底自由とはいえない。私は、アルベールに自由であってほしいと願っているのだ。
そして、出来ればその自由の上で、共に生きていきたい。だから、私はギルバートのその執着を取り除こうと、呪いをかける事を選択した。それは決していい方法とは言えないが、抗わなければこの世界では生きていけないのだと思って。
アルベールが何を選択したのかはわからない。私を助けに来てくれた時の氷のような表情を思い出せば、あれも彼の一面なのだろう、酷く恐ろしい選択を選んだ可能性も高い。
反対されようとも、呪いをかけて憂いを断てば、それはアルベールの為にもなると思っていた。けれども、それは違うなと今は思う。私は勝手をしようとしたが、それはただの押しつけだ。勝手をしていれば、きっとアルベールは自分を責めるだろう。アルベールも同じで、私はただ庇われ守られることは望んでいないし、知らぬ間に全ての罪を彼が負ったのだと知れば、己の無力を嘆き、責めていた。
「…アルベール、私はあなたとずっと、一緒にいたいんです。どこまでも、一緒に。」
「…トモエ?」
「私、善人じゃないんです。怒ったり憎んだりもしちゃうんです。だから…一緒に、目にものを見せてやりませんか?」
アルベールは少し泣きそうな顔になって、ぐっと私の頭を彼の胸に引き寄せてきた。もぞもぞと両腕動かしてその背に回すと、さらに抱きしめる力が強くなる。
返事は未だ、返ってこなかった。




