第5話 私と彼の決意 (6)
そもそも、私を誘拐した理由は、目の前にいるアルベールを誘き寄せて捕らえることだったはずだろうに、この女は私を連れて逃げようとしている。予定していた計画が頓挫した上に相棒も死んだそうだし、今は勝ち目なしと判断したのだろうが、目標を前にして逃げるならば最初からしなければいいではないかと恨み言を言いたくなる。
アルベールは返り血で血まみれ、女を見る目はとてつもなく冷たい。彼自身の魔力が怒り狂ってるかのように荒ぶっているのは感じとれて、とても恐ろしい。自分に向けられたものではないとは分かっていても、血の気が引くような思いだ。
だが、この状況はチャンスなのではないだろうか。女の意識は殆どアルベールに向けられているし、魔法使いは口さえ塞いでいれば無力化できると、猿轡をされた私を脅威と思っていないはずだ。私一人では、例え隙をついたところで太刀打ちできないが、今ならアルベールがいる。
アルベールから視線を外さず、ジリジリ後退する女の腕の中で自分の魔力を操り、気づかれぬよう腕と足を縛る縄を切り落とした。この時ばかりは魔女の魔法を習っていてよかったと、心から思う。なにか様子がおかしいと思ったのか、女が少し視線をこちらに落としたその瞬間に、女が持つ針をへき折って、一気に溜め込んだ魔力を放出させて女を吹き飛ばした。
「な…っ」
驚いた声を漏らした女は、私を手放して数度床を転がったものの、すぐさま立て直して腰にさした剣を引き抜いた。私も衝撃でそのまま床に倒れ込み、咄嗟に両手をついたことで手のひらを傷つけて顔を顰める。それと同時に、アルベールが私の元に駆け寄って、背にかばうように立った。もしこれが一人なら、同じように成功したとしてもあっさりと捕まっていたことだろう。
後ろから金属音が二回、響いた。アルベールは私の後ろに立っているし、ならばこの音はなんだろうと振り返れば、女ともう一人、アルベールと同じ髪色をした男が剣を交わらせていた。目を見開いてその姿を確かめると、男はアデルバートであった。
今、アルベールは帯剣していなかったことに気づく。女はアデルバートの剣を受け止めたようだが、不意をつかれたのか無理な体勢であったようで、押し負けて腕を斬られた。女はそのまま剣を手放してしまい、床に落ちた剣をアデルバートは蹴り飛ばす。それが床を滑りながらこちらにとんできて身を竦めたが、アルベールが既のところで魔法障壁を発生させ、止めた。危ない。
女はアデルバートに蹴り倒され、そのまま取り押さえられて呻いている。それを、アルベールは冷ややかな目で見下ろしていた。
「選りに選って、この方に知られてしまったようですよ。」
女はアルベールの言葉に無理やり顔を上げて、アデルバートの姿を認めると驚愕に目を見開いた。ギルバート第二王子の手のものであり、アルバート第三王子を追いかけ回していただけあって、彼が何者なのかは流石に一目でわかったらしい。女から何故、と掠れた声が漏れたと思ったら、口の中に何かを突っ込まれた上で塞がれていた。そのまま腕を、足を拘束されていく。女とは逆に、私は猿轡をアルベールに解いてもらって、口の中のものを全部吐き出した。
「同じ者に呪われた兄弟が手を取り合うのは、何も不思議な事ではなかろう?ああ、其方がいてくれて助かった。もう一人の男は私の顔を見るなり、自ら命を絶ってしまってなあ。」
アデルバートの笑顔に女の顔がみるみる青ざめていく。女は貴重な情報源、みすみす死なせはしないようだ。だが、何故かアルベールはそれに暗い表情を浮かべている。
女が拘束されたことで、安堵に体の力が抜けた。抜け過ぎて、むしろ立てそうにない。アルベールが跪いて抱きしめてくれ、その体温に安心してボロボロと涙が溢れてきた。
怖かった。意気込んでみても、実際にこんな状況に陥ってみればこの体たらく。魔女の弟子といっても、私には本当に戦う力も、勇気さえもないのだと痛感する。
体の自由を奪われ、力で押さえつけられるあの恐怖に体が震えた。アルベールはそんな私を優しく抱きしめて、時折額や頬、目元にキスしてくる。なんだかそれがくすぐったくて、温かくて、次第に心に巣食った恐怖が消えていった。
「トモエ、貴女をこのような目に遭わせてしまい、申し訳ございません。…ですが、それでも私は貴女を手放せぬのです。」
そう言って、アルベールは抱きしめる腕の力を少し強くした。私も、離れたくないと擦り寄る。こんな目にあっても、私はアルベールから離れるという選択肢など浮かんでこないのだ。寧ろ、彼が負い目に感じて私を手放そうとするのではないかという不安の方が大きい。決して離さないでほしいと、腕を回してしがみつく様に抱き返した。
暫くそうしていると、落ち着きを取り戻してきた。そうすると辺りにも目がいくようになって、ふと目に映るのはニヤニヤ笑ったアデルバートと、信じられないものを見ているような女の顔だ。恥ずかしくなって離れようとしたが、アルベールの腕はそれを許さない。
「…御二方、少し邪魔ですので、視界に入らない場所まで離れていただけませんか。」
「無茶を言うな。」
アデルバートは呆れたように息を吐いて、この場を離れようと言う。彼が人の姿をしているということは真夜中なのだろうが、その時間がいつ終わるかは分からないし、間違ってもこのような状況を他の人間に見られるわけにもいかない。
「…あの、私が転移の魔法を使います。」
誘拐された側だが、拘束した女を抱えて歩いているところを万一見られたら、逆にこちらが誘拐犯にしか見えない。指先に魔力を込めると光が灯り、その光で床に魔法陣を描く。王都の店のように魔法道具はなく即席の接続地点なので、大量の魔力が必要になるが、接続先の黒の森の位置情報はしっかり把握しているし、魔女に匹敵するほどの魔力を持っている私であれば、十分に魔力を用意出来る。この上なく疲れるが。
「では、私がこの者を運びます。」
「…あ、でも…手を…」
「…トモエと離れてしまいましたから、最早、私の位置は知られているでしょう。」
アルベールの位置や状態を把握するための呪いの向き先を私に向けたが、それは誘拐されたことで離れてしまった為に、本来の呪いをかけた主へ向かってしまっただろう。それに、この女達がアルベールをこのエールランの王都で見つけ出して事に及んだのだから、既に報告はされていてもおかしくはない。今更、隠れても無駄だということだ。
アルベールが女に目隠しをして、更に拘束系の魔法をかけてその体を担ぎあげた。だいぶ杜撰な扱いをしたようで、女が呻き声を漏らしていた。
私も立ち上がったものの、足が震えて歩き出せずにいた。あまりの貧弱な精神力に恥じ入る思いでいっぱいだったのだが、そんな私を見かねてか、アデルバートが抱き上げてくれたので更に申し訳なくなる。
「も、申し訳ないです…」
「アルバートでなく、私で我慢してくれ。」
「そんなそんな、不満なんて何も!恐れ多いです!」
「…代わっていただきたいものです。」
不満そうなアルベールの声が聞こえて、そちらをちらりと見れば、彼は兄を眉間に皺を寄せて見ていたが、あの女をアデルバートに近づけるのはあまりよろしくないだろう。一国の王子様達をこのように煩わせて、申し訳ない。
「噂には聞いたことはあるが、これが転移魔法か…魔女の弟子殿は素晴らしい魔法使いなのだな。」
魔法陣に入ると、黒の森の魔女の小屋へ一瞬で転移したことに、アデルバートは感嘆していた。どこへでも転移できる訳では無いですけどとだけ言って下ろしてもらうと、深く息を吸って、吐く。
アルベールは担いでいた女を、自分の部屋に転がしていた。しゃがみこんで女に何かを言っているようだが、ここからは聞こえない。暫くして部屋から出てくると、扉に魔法をかける。おそらく、逃げられぬように塞いだのだろう。安心出来る魔女の小屋なはずなのに、あの女が扉一枚挟んで存在していると思うと、恐ろしく思えた。
「…ギルバートめ。」
アデルバートは腕を組んで、小さく溜息をついた。




