第5話 私と彼の決意 (5)
目を開くと、見知らぬ部屋にいた。何も無い部屋に横たわっていて、起き上がるために腕を動かそうとするが、思うように動かない。なんとか上半身を起こすことは出来たが、どうやら腕は後ろ手にきつく縛られていて、両足も同じように拘束されているようだ。
なぜこんな状況になっているのかと、ぼんやりする頭を回転させて前後の記憶を引きずり出してみれば、王都で話しかけられた女に路地裏に引きずり込まれた後、何かの魔法をかけられて意識を手放したことを思い出す。
部屋には窓がひとつあったが、何枚かの板が釘で打ち付けられていて、外の様子を伺うことは出来ない。といっても、雑に打ち付けられているため板同士には合間があって、そこからは見える外は暗く、もう夜になっているだろうか。
(直ぐ帰るって言ったんだけどな…)
まさか、こんな事になるとは思わなかった。追手がこんな所にまでやってくるという可能性はあることを認識していたはずなのに。追われていたのはアルベールであって私自身ではなかったし、直接その場を見たことはなかったから、そこまで危機を感じていなかったのもあるかもしれない。
「お嬢さん、起きちゃったんだ。」
声が聞こえて慌てて振り返ると、部屋の角に最後に見た女が座っていた。間違いなく、私を誘拐した女だ。
「あなたは…」
「お嬢さん、すごい魔力持ちだね。これじゃあ私程度の魔法だと起きちゃうのも仕方が無いか。」
言われてはっとする。既に夜になってしまっているのなら、毎朝欠かさずに食べている魔力を隠す飴の効果は切れているだろう。私のような、異常な程の魔力を持っている人間はそういない。
「本当にすごい。あの男よりも持っているんじゃないかい?」
あの男というのは恐らくはアルベールのことを指している。彼もまた相当な魔力を擁していて、故に薄幸な人生を歩んできた者だ。ゆっくりと近づいてくる女に恐怖を覚えつつ身を固くすると、そんなに怯えないでと笑われたが、自分を誘拐した人間に恐怖を抱かないわけがないだろう。
「本当はあの男を捕まえられたら帰してあげる予定だったんだけど、その魔力…君も私達が探している人だったみたい。ごめんね?」
眉尻を下げてそう言う女の言葉の意味がわからなかった。この者達の目的は、逃げだしたアルベールを捕らえることだろう。何故、私まで探している人になるのだろうか。
私は黒の森で生活していて、主な活動拠点はエールラン王国の王都だ。アフロート王国側にも転移魔法の転送先を持ってはいるが、利用したのは数度だけで、当然この女も、この女を動かしている人間にもあったことがないし、私自身が向こうで有名になっている訳でもない。
この女を動かしているのは、アルベールを捕らえ、呪いをかけた人物だろう。だとすれば、彼の兄であるアフロート王国の第二王子ギルバートだ。
ギルバートはアルベールの魔力を奪いはしたが、その本当の目的はアルベール自身だったと聞く。そんな人物が何故、私を探す必要があるのか。私に価値をつけるとすれば、あるのはこの魔力だけだ。謎はますます深まるばかりで、無意識に眉間に皺を寄せていたが、女がこちらに手を伸ばしてきたことで一気に考えが霧散する。恐怖のあまり、目に涙が浮かんで悲鳴をあげそうになったが、そのおびえっぷりに女が面白そうに声を上げて笑った。
「ふふ、可愛いなあ。」
どれほど魔力を持っていようが、元々私は平和な国の一般国民だ。こんな武装した誘拐犯、怖いに決まっている。女は怯えきった私の頭を撫でてきたが、私が怯えるとわかってやっているだろう、嫌な女だ。
「でも、お嬢さんも魔法使いだって聞いているから、念の為に口は塞がせてもらうね。」
口の中に布を捩じ込まれて、更に上から布をまかれて後頭部で縛られる。この女は嬉々としてそれらを行ってくるので、かなり怖い。魔法使いが魔法を使うには、必ず言葉を使うと理解しているからの対応なのだろう。
魔女の弟子である私は、言葉を使わずに魔法を使用することが出来る。それをこの女は知る由もないので、なんとか隙を見て魔法を使って逃げることは出来ないかと考えていた。だが、その考えは甘かったと自覚する。
この女、本当に怖いのだ。特に目が。黒縁眼鏡の下から覗く目は、私の一挙一動を見逃さない。笑って表情を変えないまま口の中に布をねじ込まれた時は、本当に恐ろしかった。まだ無傷のまま拘束されているだけで済んでいるが、下手になにか仕出かそうものなら、何をされるかわからない。
恐怖で自分の意思とは関係なく体が震え、涙が滲む。そんな私を見ると、この女は更に笑みを浮かべるのだ。加虐性愛でもあるのだろうか。
「可哀想に、あの男に関わったのが君の不運だね。」
女のその言葉に思わず睨む。確かに、この世界に迷い込んだことは私にとっては不運であったが、アルベールと出会ったことを不運だとは思わない。元の世界でも満たされなかった、私自身の存在価値を与えてくれたのは、アルベールだ。私にとっては何よりの幸運だ。
相手を下手に刺激すべきではないと分かっていたのに睨みつけてしまうなんて、やってしまったとすぐに目をそらして俯く。再び伸びてきた手が視界の端に映って、殴られるかとビクリと身体を震わせて、目をぎゅっと閉じた。しかし、その衝撃はいつまでたってもなく、代わりに思い切り顎を掴まれて、顔をあげさせられる。それは強い力で、痛みに目の端に涙がうかんだ。
「…あんな顔だけの男に誑かされて、可哀想に。」
この女はアルベールに対して個人的な恨みでもあるのだろうか、忌々しそうにそう吐き捨てた。強い力で固定されて、目をそらすことが出来ない。だが、そこで小さな音をたてられながら部屋の扉が開いたので、それに女が振り返る。女の目から外れて漸くどっと体の力が抜けて、深く息を吐いた。
「遅かったじゃ…」
だが、女がその音を立てた主に声をかけようとして、止まった。それが予想外の人間だったからだろう、なんだろうと気になって顔を上げた私にとっても、予想外だった。女の肩越しに見えたのは、アルベールだったのだ。
その美しい顔からは感情がごっそりと抜け落ちていて、血の通っていない人形のように、冷たくて恐ろしい。真っ白なシャツが真っ赤な鮮血でべっとりと濡れていて、シャツ自体は切られた跡などなく、それが返り血だということが分かる。
「彼は死にましたよ。自害しましたが、貴女はされないのですか。」
そう言い放ったアルベールの赤い目はとても冷たくて、ぶるりと震えた。
ぐっと首に腕が回されて、無理やり立たされた。首がしまって苦しくて、必死で足を地につける。なんとか足に体重をかけられるようになって、荒い息を繰り返しながら目だけで辺りを見回すと、部屋の中には私と私を拘束する女と、外に繋がる唯一の扉の前にアルベールが一人立っている。
「…どうやってここがわかったのかしら。明日おいでって書いておいたのに、気が早い男だね。」
「彼女には一分一秒でも早くお会いしたかったので。…貴女は、邪魔です。」
私にとっては、誘拐されてから今まで意識を失っていたので、大して時間が経ったように感じない。けれども、早くこの女から離れたくて、泣きそうになってアルベールを見た。アルベールはそんな私を見て安心させるように笑ったが、それに気が少し楽になったのも束の間、女にぐっと引き寄せられて痛みに顔を顰める。
「そこをどいてくれないかい?」
この女もそう簡単に私を解放してくれないだろう。喉の下に針のようなものをつきつけられて、生唾をのむ。
アルベールはそれに逆らわず、部屋の奥へ一歩後ろに下がった。恐怖で身を固くしていると、腹に腕が回されて後ろに引かれる。足を拘束されているので引きずられることになって、腹が圧迫されて苦しくて辛い。
女はアルベールに向き合ったまま、私を拘束しながら後ろに下がりつつ、扉へ向かった。




