第5話 私と彼の決意 (2)
この世に生を受けてから二十五年、初めての恋人とのデートだ。正直に言うと、浮かれている。
店を閉めてから慌てて二階へ上がり、用意していた服に着替える。普段着ている服は動きやすさ重視のもので、お世辞にもオシャレとは言い難いようなものばかりであった。だが、恋人とのデートならば流石にそのような服ではなく、オシャレをして少しでも好く見てもらいたいと思うのが女心というものだ。
とはいえ、支度に時間をかけて待たせるのは悪いので、服を着替えるだけで済ませて髪は下ろしたままだ。鏡の前で自分の姿を確認しているところで、にゃあと鳴き声が聞こえてそちらを見れば、足元に金色の毛並みをした猫、アデルバートがこちらを見上げていた。
アデルバートは、猫になっている昼間はこの二階の部屋で悠々と過ごすか、たまに一階に降りてきてアルベールや私に構えとねだったり、客に可愛がられたりしている。特に常連客のイレーネはこの猫を、私が彼女から名前を聞かれた時に困って殿下と呼んだことで、猫の王子様ねと大層可愛がっていた。なので、アデルバートの猫の時の名は『でんか』となった。間違ってはいまい。
にゃあと再び鳴いた猫がじっとこちらを見ているのに、なんとなく後ろめたさを感じる。解呪を試みたものの、アデルバートの呪いは解けなかった。時間をかけさえすれば、解くことは恐らくできるだろうが、彼には悠長にしていられる時間は無いのではないだろうか。
アフロート王国の王太子アデルバートが行方不明になってから既に四ヶ月経ち、王は病を患っている。アフロート王国とエールラン王国は、詳しくは知らないが昔から仲がとことん悪い上に今は問題が発生しており、エールラン王国では戦争になるとではないかと噂され、アフロート王国ではアデルバートの次位に王位継承権を持つ第二王子ギルバートは開戦派だ。考えれば考えるほど、悪い結果にしかならない。
その悪い結果にならないようにするためにも、アデルバートには呪いを解いて戻ってもらわなければならない。
アデルバートの呪いを解く方法は、私が地道に解呪を試みる以外に一つ、考えられる方法がある。しかし、それを実行するにはアルベールを説得する必要があるだろう。私が思いつくのだから、彼も見当がついているだろう。それを言い出さないのはきっと、拒否しているからだ。アデルバートも、彼は魔法使いではないが、恐らくはそれを一つの手段として考えはついているだろうから、私に頼むだなんて言ってきたのだろう。
「でんか、留守を頼みますね。」
そう言うと、猫はまたにゃあと鳴いた。その方法を試すか否かは話し合いが必要だろうが、せめて今はアルベールとの時間を大切にしたい。
窓の外を見れば、この時期珍しい晴れ間の空だ。だから、デートにと誘ってきたのかもしれない。猫をひと撫でして階段を降りると、こちらに気づいたアルベールが微笑みかけてきた。白いシャツとボルドーのズボン、黒のブーツがこれでもかというほど似合っていて、洗練されている気がする。朝からその装いだったことは知っていたので、私は胸元にフリルがある白のブラウスと薄手のアイボリーのカーディガン、ワインレッドのロングスカートと色合いを少し合わせてみた。浮かれていることは認める。
「ああトモエ、本当に、とてもよくお似合いです。その色合いはもしや、あわせてくださいましたか。」
「ありがとうございます。…あの、ダメでした…?」
「いいえ、まさか。」
アルベールは近づいてくると、軽く抱きしめて額に口付けてきた。そのまま嬉しそうに笑ってこちらを見つめてくるので、なんだかこそばゆい気持ちになる。
「…トモエは本当に可愛い。他の男の目に触れさせたくありません。」
彼はそう言いながら小さく笑い、赤い目を細めて私を見つめる。それに何故かゾクリとしたのだが、瞬きをしてもう一度彼を見た時には、その雰囲気は無くなっていた。にゃあと鳴き声が聞こえて、二人揃ってそちらを見れば、いつの間にか降りてきていた猫がこちらを見ている。毎回ここぞというタイミングで現れるこの猫は、本当に偶然なのだろうか。
「…兄上は察して控えてください。」
「…今、猫ですから…」
「ですが中身は兄上です。」
「意識、ないらしいですし…」
「…最近、それが信じ難いのですが…」
それについては同意する。アルベールは小さくため息をついて離してくれたが、体が離されたところでおなかがきゅうっと鳴った。なぜこんな時にと恥ずかしくなって顔を赤くしたのだが、アルベールは小さく笑っただけだ。
「お昼時ですし、先ずは食事にしましょうか。」
「…是非…」
店の扉を開けてもらって外に出て、鍵までかけてもらう。何から何までおまかせ状態だ。すっと腕を差し出されて一瞬思考が止まるが、直ぐに理解して手を添えた。街中でこうしてエスコートされているカップルを見たことはよくあったが、自分では初めての経験だ。
「以前、お客様から教えていただいたお店がございます。デザートが美味しいとの評判ですが、いかがでしょうか。」
「デザート…行きたいです。」
甘いものは好きだ。アルベールも甘いものは好きなはずだし、これは是非にと頷く。しかし、教えていただいた、というよりも誘われていたのではないだろうか。アルベールがアルトという名で店に出てくれるようになってから、どこから聞きつけたのか、女性客が増えた。彼を鑑賞目的でやってくる客もいれば、なんとかお近づきになろうとする客もちらほらいる。それに対してアルベールは、笑顔の鉄壁のガードで断り続けていた。彼は徹底的に断り続けているし、私を選んでくれたのだから不満に思うことはないが、多少は嫉妬してしまうのは致し方ない。
歩いていると視線を感じるのは勘違いではないだろう、お互いに視線を集めやすい容姿である。アルベールはその美しさ、私は異国の風貌故にだ。その容姿故に、こちらが知らなくても、こちらを認識している人間はいるだろう。
アルベールとはこうして一緒に街中を歩くことはあったのだが、こんなに距離が近かったことはない。だが、今は前と違って恋人なのだ、何も悪いことなどない。…のだが、心做しか女性からの視線が痛い気がする。
アルベールの顔をちらりと見上げれば、やはり惚れ惚れするような美しい横顔が目に映る。流石は自国で死んでもなお噂されるほどの王子だ。
「いかがなさいましたか、トモエ。」
「いえ…私が隣に立っていいのかなと…」
こちらを見ている人々は知らない事だが、元は止ん事無い身分な上に、この目を引く美しい容姿だ。ただ珍しいだけの容姿である私は、不釣り合いに見えるだろう。なにか突出して秀でていれば、多少は自分に自信が持てただろうなと考えたところで、私にはアルベールと並ぶ魔力があることを思い出した。が、一般の人間からすれば魔力なんてわかるわけがなく、やはり自信にはなりそうにない。
「面白いことを仰る。誰かの許可など必要ありません。あるとすれば私自身ですが…」
アルベールはこちらを見て、これ以上無いくらいに甘い笑顔を向けてきた。不意打ちのようなそれを直視して、胸が高鳴る。
「そうしますと、トモエ以外は私の隣に立てなくなってしまいますね。」
「え、えええ…」
私だけだと暗に言われて、嬉しいのと恥ずかしいので顔を赤くした。そのまま俯くとアルベールが笑ったのが分かる。
「可愛らしい顔を拝見できないのは残念ですが、他の男に見られたくはありませんから、そのままでいらしてください。」
「…うう…」
言われなくても、真っ赤になった顔を上げる勇気はない。この余裕そうな感じは、本当に経験がないのか疑いたくなるくらいだ。
「…アルトもいい顔してあんまりモテないでください…」
このままやられっぱなしも悔しいので、どうしようもないお願いをしてみたのだが、何故か逆に喜ばれたようで、嬉しそうに善処します、と返ってきてしまった。少し困らせてみたかったのだが、なかなか難しいようだ。




