第4話 私と彼と王子様 (10)
「実は、アルバートには時間を制限されていてな。」
「えっ」
「あと十秒で…ほら、出てきた。」
アデルバートの視線の先をみれば、部屋からアルベールが出てきているのが見えた。きっちり時間を測って出てきたらしい、なんと几帳面なことだろうか。
「魔女の弟子殿も、なかなか厄介な男に捕まったな。」
「え…」
「兄上、もうよろしいでしょうか。」
「…そんな目でみてくれるな。」
ちらりとアルベールを見れば、その綺麗な顔の眉間に深い皺がよっていた。私が真夜中に異性と二人きりになっていたという事実が不快にさせている一因になっているだろうが、こんなにも表情を暗くしているのは、他にも理由がありそうだ。
「…あの、時間に限りがありますし、呪いを解けるか試してみてもいいですか…?」
「それは有難い!魔女の弟子殿、是非お願いしたい。」
「…今更ですが、トモエと呼んでもらった方が」
「そう呼ばせていただきたいが、アルバートがさらに不機嫌になりそうだ。」
アデルバートはそれをわかった上なのだろうか、そんな冗談を言って笑った。笑っているのはアデルバートだけで、不機嫌なアルベールとの間に挟まれた私は、いたたまれない気持ちでおろおろと二人を交互に見るだけだ。アルベールはそんなこちらの様子に気づいてか、少し申し訳なさそうな表情を浮かべてから小さく微笑みかけてくれたので、それにほっと胸を撫で下ろす。
「呪いには必ず呪印があって、解呪するためにはそれに触れないといけないのですが…」
「先程、服を着ていただく際に呪印を確認いたしました。」
「どこでした?」
「背中ですが、少し…驚くことになるかもしれません。」
アルベールがそこまで言うのだから、その呪印はアルベールのものと比べ物にならないほどのものなのだろうか。アデルバートには椅子に逆に座ってもらい、その背を見れるように、席を立って近づく。アルベールが白いシャツを脱ぐように指示したところで、アデルバートは不服そうな声を漏らした。
「やはり脱ぐのではないか…」
「…背中以外は見せないでいただきたい。」
実兄のそんな声は無視して、私の両目を後ろから片手で覆ってきたアルベールは、やはり過保護だと思う。
「アルバート殿下、あの…大丈夫ですよ。」
「…解呪に必要であると、理解しております。我慢はいたしますが、極力見ないでいただけますでしょうか。」
なかなか無茶なことを言ってくれる。異性の裸を見てきゃあきゃあ騒ぐ年齢ではないのだが、と言っても、アルベールが納得するとは思えなかったのでそのまま黙り込んだ。目を覆われているので自然と瞼を閉じていたのだが、ばさりと服が脱ぎ捨てられるような音が聞こえ、瞼を上げた。脱いだぞとアデルバートの声が聞こえると、両目を覆っていた手が離れていく。
背中に流された、ゆるく巻かれている長いプラチナブロンドの下に見え隠れする、真っ黒な痕が呪印だろう。背中の半ばまで届く髪が邪魔だろうと気づいたアデルバートが、片手でそれをひとまとめにして前に流した事で呪印の全てが露わになり、アルベールの言った通りにとても驚くことになった。
「…これは…」
背中の上半分殆どが、黒で塗り潰したかのようになっている。あれ程の苦痛が伴う恐ろしい呪いに相応しい呪印だろう。アルベールの呪いを解くのにも手こずっている私が簡単に解けるようなものでは無いということが察せられる程、強烈な悪意が含まれている。
「…どうだろうか、魔女の弟子殿。」
「えっ、あっ…、失礼しますね。」
言葉を失っていた私は、かけられたアデルバートの声で我に返り、その背に触れた。触れただけでもこちらに押し寄せてくるような呪いの力にうっとなるが、目を閉じて集中する。この日までにできる限り自分の魔力を高め、うまく扱えるようにはしてきた。それを信じて、この呪いに抗うしかない。
気を抜けば、こちらまでこの呪いの悪意に曝されそうだ。複雑に絡み合った糸を、一本一本丁寧に解くように、その悪意を解いていく。もっと手こずるかと思っていたが、今までの努力の成果なのか、思ったよりは手こずっていない。それでも、アルベールの呪いとは比べ物にならないほど凄まじい労力を必要としていて、少し解ける度に、どっと体に疲労が溜まっていくのを感じた。
「…トモエ、…トモエ。」
アルベールの声と、体を小さく揺さぶられたことで意識が引き戻される。無心になって呪いを解いていて気づかなかったが、どれだけの時間が経っていたのだろうか。気がつけば全身が汗びっしょりで、自分の膨大なはずの魔力をかなりの量を消費していることに気づく。同時に急に体の力が抜けて、後ろに倒れ込みそうになったところをアルベールに支えられた。
「っす、すみません…」
「…兄上は服を着てください。」
再び両目が覆われて、暗くなった視界と疲労困憊した体で、睡魔が襲ってきた。だが、ここで眠るわけにはいかないと身じろぐと、アルベールが後ろから抱き竦めてくる。人前で、しかも彼の兄の前でこの様に抱きしめられて、恥ずかしくて顔が赤くなった。見れば、服を着たアデルバートが苦笑いを浮かべてこちらを眺めていて、更に恥ずかしくなってくる。
「すまない、魔女の弟子殿。貴方には無理をさせてしまっている。」
「…いいえ、私が自分で選んでしていることですから…」
この呪いをかけた相手が、実の兄弟だとは。アデルバートの弟であり、アルベールの兄である第二王子ギルバート。アルベールにかけられた呪いと比べれば、アデルバートへ向けられている彼の悪意は、とても重い。王位に興味が無いというのが本当であれば、この悪意はアデルバート自身に向けられたものなのだろうか。
「…すみません、やっぱり簡単に解けるってことは無かったみたいです。」
アデルバートの呪印は未だ消え去っていない。彼は再び猫になって、あの苦痛を味わうことになるのだ。そう思うと自分の力不足が申し訳なくて暗くなってしまうが、対してアデルバートは明るい笑顔を浮かべた。
「呪いの主がわかったこと、すぐには解けないということがわかっただけでも、十分な収穫だ。…ありがとう、魔女の弟子殿。」
なんとかこの人を助けたいと思う。そう思っていると、不意に回されているアルベールの腕に少し力が入ったのを感じて見上げれば、彼が何故かこちらをじっと見ていた。怒っている訳では無いとは思うのだが、普段の彼らしからぬ雰囲気に少し不安になる。
「あー、私はそろそろ呪いが発動してしまうやもしれぬからな、部屋に戻っておこう。」
「っでも」
「いや、あんなものは女性に見せるべきではないだろう。」
以前のあの光景を思い出して、身を固くした。生きたまま体が崩れていくというのは、ほんの一部しか見ていないがあまりにも酷いものだった。
「毎回、途中で失神しているので、気にすることはないぞ。」
顔色を青くした私を見て、慌ててアデルバートは努めて明るい声でそう言ったが、なんのフォローになっていないような気がする。
「前回はアルバートが早いめに、荒業で意識をとばしてくれたからな。楽だった。」
何をしたのだろうか。アルベールをもう一度見上げてみるが、彼は何も言わない。そうしている間に、アデルバートはそのまま手をひらひらと振って、アルベールの部屋に入っていく。引き止めたところで、今の私が何か出来る訳ではなくて、自分の力不足にがっくりと肩を落とした。
「…トモエもお疲れでしょう。お休みください。」
アルベールにそう優しく微笑まれて、でも、と言いかけた言葉を飲み込む。今の私では、これ以上何も出来ないのだ。




