第4話 私と彼と王子様 (5)
魔物に遭遇することも無くいつもの採集場所に辿り着き、手早く採集を終えた。いつもなら十分な量を確保出来次第、帰路に就くところなのだが、今日はこのまま森の深部へ向かっている。
以前に一度、黒の魔女と奥へ行ったことがあったが、その時は黒の魔女に恐れをなしていたのか、ほとんど魔物に遭遇しなかった。そこまで奥に行くつもりは無いが、記憶が正しければその道中で非常に強い魔力を擁していた魔石、いや岩があったはずだ。
もう一年以上も前の事で、一度きりだったため道など覚えていないが、その時に感じた魔力を思い出して、その場所を探りながら進んでいる。
「流石は黒の森の深部…なんと表現すればよいのか…黒の森独特の魔力の濃度が高いと言うべきでしょうか。」
アルベールは感心したようにそう言いながら、あたりを警戒しつつ隣を歩いていた。彼の言う通り、黒の森の魔力が小屋の周辺に比べれば随分と強くなっている。
「その分、魔物も強くなっていると思います。遭遇したら、その時は…」
対応はほぼアルベールに頼りきりになるだろう。どうしても攻撃系の魔法は苦手なのだ。
この世界は元の世界の、といってもあくまで私が住んでいた地域だが、そこに比べてとても死が近い。病に対しては衛生面で元の世界と比較すると良くはなく、傷なども回復魔法や魔法効果のある薬もあるが、それでもやはり元の世界の医療に比べると、魔女の薬といった特殊なものを除けば心許ない。治安も元の世界に比べれば悪く、殺傷事件もよくある。
そして何より大きいのが魔物という存在だ。元の世界では整備された町中に住んでいたので、害獣の脅威に怯えることはなかったが、ここではそんな害獣や魔物と呼ばれる存在に脅かされるのだ。
時代、地域によって価値観は変わる。故に、時には子供ですら武器をとることもあるこの世界で、異質なのは私だ。情けないが、魔物と遭遇すれば私は防戦一方、守って守って守り抜いて逃げるしかない。そんな様だから、逃走も難しく手間取ったし、アルベールが来てくれるまでは苦渋を舐めるばかりであった。
「頼りにしていただけるなら、この上なく光栄に存じます。」
だが、アルベールが武器を持って立ち向かうのだから、危険は彼一身に降り注ぐ。それがとてつもなく申し訳なく思うのだ。
「…私も何かしら攻撃系の魔法を使えればいいんですけど。」
小規模な爆発を起こす魔法なら、一応は使える。それを生物に向けたことは無いが、向けようと思えばきっと失敗するだろう。
「トモエは相手が魔物であっても、傷つけることを恐れているのでしょう?」
驚いて顔を見やると、アルベールはにっこりと笑っていた。元の世界では殺傷はいけないことだと幼少から教えこまれていたからか、躊躇いが生まれる。その躊躇いは攻撃系の魔法を成すためには致命的であり、成せたとしても、結局その躊躇いでまともに当てることも出来ない。彼の言う通りだが、まさかそれを悟られているとは思わなかった。
「私は貴女がそばに置いてくださった時から、ずっと貴女を見ていましたから。」
思わず熱を帯びた両頬を手で覆った。それに全く気づきもしなかった自分の鈍さに、今更自分であきれ果てる。
「苦手な分野は誰にでもございます。貴女は攻撃に特化した魔法は苦手であられるが、魔法障壁のような守りの魔法、転移や召喚といった空間の制御を得意とされる。」
「な、成程…」
私の事のはずなのだが、アルベールに指摘されて気づく。本当に色々と見られていたようだ。何か変なことをしていなければ良いのだが。
「冷蔵庫、でしたか…あれに使われている魔法障壁の緻密さは素晴らしいものですね。」
「そうなんですか…」
あれはそもそも本来の使い方からかけ離れているし、ただ食への欲望で改良を重ねただけなのだが、欲というのは素晴らしい動力源になるのだなとしみじみ思う。食い意地が張っているようで少し恥ずかしい。話をそらそうとすると、丁度都合よく強い魔力の塊を薄らと感じる。慌ててそちらを見て、次にアルベールに視線を向けると、言葉を発する前に彼も同じように感じ取っていたのか、小さく頷いた。
アルベールが率先して草木をかき分けて道を作ってくれ、それに感謝しながら後ろに続いた。前を進むアルベールの背は、男女の差があるのだから当然なのだが、随分と大きな背中だと思う。
「…うまく目当てのものをみつけられて、何事もなく終われたらいいんですけど。」
今のところ、魔物には遭遇していない。このまま遭遇することがない方がいいのだが、嫌な予感がしていた。
暫くそうして進んでいると、少し開けた場所にたどり着いた。嫌な予感に反して魔物の姿はなく、望んでいた魔力を擁する岩が鎮座している。丁度私の背丈ほどの高さで、両手をいっぱいにひろげたほどの幅はあるだろうか、立派な岩だ。
「…素晴らしいものですね。この様な物を拝見出来るとは…」
アルベールはしげしげとその岩を興味深そうに眺める。一度入れば二度と生きては出られないと言われる黒の森の、深部にあるのだ。気の遠くなる程の年月をかけて森の魔力を取り込んだだろうその岩は、薄らと光を帯びていて神秘的だ。
「少しだけ、もらって帰りましょう。」
あまり長居するのも危険だろう、今ここで魔力を吸収して倒れるわけにもいかないので、岩の一部を持って帰ることにした。呪文を詠唱して魔法を使い岩の一部を砕き、その握り拳ほどの石を拾い上げると、採集した薬の材料を収める籠とは別に用意した籠に、それを放り込む。
何事もなく採集できて良かったとほっとしたのもつかの間、ふと大きな魔力を感じて顔を上げた。岩があるその奥、薄暗い木々の合間にひっそりと、女がたっているのが見える。思わず悲鳴をあげそうになって両手で口を抑えると、それに気づいたアルベールが前に立った。
その女は足音も立てずにゆっくりと近づいてくる。薄暗くて女だということしか判別がつかなかったのだが、顔がはっきりと見えるほどに近くまで寄られて、絶句した。その女の顔に見覚えがあったからだ。アルベールも女のその顔を見て、少し驚いている。
黒い目と、ひとつに束ねた長い黒髪。三十代半ばと言ったところだろうか、面立ちは私によく似ている。似ていて当然だろう、目の前にいる女の姿は私の母だからだ。
「ダメじゃない巴、この先に進もうだなんて。」
母と同じ声でその女は警告してくる。この女が母ではない事は理解していたし、すでにその正体には予想がついていた。だが、その声にどうしても身体が竦む。
「本当にダメな子ね。…どうしてあんたなのかしら。あんたなんて私、いらなかったのに。」
昔に既に聞いたことのある言葉だし、この女が本物ではないことはわかっているのに、心が抉られるようだ。アルベールが剣の柄に手をかけたのを見て、慌ててその背に触れる。視線は女に向けたまま動きを止めたアルベールに、首を振って大丈夫だと告げた。
「…このまま去れば、それはこちらに危害を加えてこないです、から。」
少し声が震えてしまっていた自覚はあったが、抑えることは出来なかった。母の姿、母の声、母の言葉にどうしても、色々な感情が湧き上がる。この女は本物ではない。だが、本物ではないと分かっていても、視界に、耳に入れたくなかった。
既に目的は達した、後は去るだけだ。アルベールの腕を引けば、彼は大人しくそれに従ってくれる。女に背を向けて元来た道をもどり、一度だけ振り返れば、すでにその女の姿はなかった。
暫くは無言で歩いていたが、アルベールが私の手を握ってくれたのに安心して深く息を吐いた。随分と緊張していたらしく、全身に力が入っていたようで少し疲れているようだ。
「…あれ、魔物の一種らしくて…あの場にいる人間の、会いたくない人間の姿をとってくるんです。ああやって、奥に進ませないために。」
エイダと深部へ向かっていた時も、あれは出てきた。あの時はエイダの会いたくない人物の姿をとっていたが、エイダがあっさりとぶっ飛ばしてしまったので脅威に感じてはいなかった。だが、実際に自分の身でされると、随分と精神に悪いものだと実感する。
「…トモエ」
アルベールが突然手を引いてきて、驚いているうちにそのまますっぽりとその腕の中に抱き締められる。その体温に触れて、まるで魔法のように昂っていた精神が鎮められていくようだ。
自分で思ってる以上に気が立っていたらしく、アルベールに余計な気を使わせてしまったようだ。腕の中から見上げると、目が合った彼の赤い目が細められる。
「私は貴女がいてくれてよかった。貴女が必要なのです。」
アルベールは的確に、今私が欲している言葉をくれる。その優しさにじわりと視界が滲んだ。




