第4話 私と彼と王子様 (4)
迎えた採集に向かう日、この時期は雨が多いのだが、都合よく晴れていた。普段は雨ならば日を改めるのだが、今回は採集以外の目的もあったため雨天決行を覚悟していたので、拍子抜けだ。青い空と白い雲が浮かぶ空模様は、暫く続きそうである。
猫のアデルバートはアルベールの部屋でお留守番だ。目を離すのは心配であったが、黒の森に連れていく方が心配のため、そうなった。アデルバートが人間の姿に戻れるのは真夜中だという事で、就寝時はいつ戻ってもいいように、アルベールが部屋で寝かせている。私も交互に部屋で預かろうと提案して、少し考えてくださいねと怒られたのは苦い思い出だ。表情はいつもの笑顔だったが目が笑っていなかったので、多分怒っていたはずだ。任せきりになって申し訳ないと言う気持ちが先行したが、よく考えれば、真夜中に全裸の男が部屋に現れたら困る。迂闊だった。
「あれ程の呪いを私が解けるのかな…」
思い出しただけでもゾッとする呪いだ。猫と人間の姿を行き来するだけで、想像もできないような苦痛を強いられているだろう。何度アデルバートはあれを経験したのだろうか。
「貴女なら解けると、私は存じます。現に、貴女が毎晩解呪を試みて下さっているおかげで、私の呪いは少しずつですが綻び始めていますから。」
「…そうなんですか?」
アルベールの呪いはアデルバートとは違って、目に見えてわかるものでは無いから、実感が無い。呪いの向き先をねじ曲げたので、私がアルベールの健康状態と位置情報を常に把握という状態になっているが、それは三ヶ月前から変わりなく、口止めについてはその名の通り、口止めされていることを話せないから話すことがなかったので、今どうなっているのかもよく分かっていない。アルベールは少し考えこんだ様子を見せた後、口を開く。
「…アフロートの第三王子の噂、お聞きになったことはおありでしょうか?」
アルベールの口から第三王子の話題が出てきたのに驚いた。一昨日の事を思い出せば、確かに自分で名乗りはできなかったが名前に反応していたし、今も言葉に詰まった様子もない。それが自分のことではなく、他人事のようであれば話が出来るということなのだろうか。
「噂…色々と聞いたことは…」
「例えばどのようなものでしょうか。」
「…第三王子はまるで天使の様に美しく、しかし今にも消え入りそうに儚げな王子だ、とか。」
「…ふっ」
アルベールは口元に手を当てて笑いを堪えたようだが、たまらず吹き出したように声を漏らした。健康的に動き回る本人からすれば、こんな噂は滑稽に聞こえるのかもしれない。
「…随分と美化された噂なのですね。」
「…儚さはともかく、美しいというのは私も思うし、…その…好き、ですよ。」
私はアルベールを初めて見た時、今まで見てきた誰よりも美しいと思った。だが、美醜関係なく、彼は自分の容姿を嫌っている節がある。そう簡単に彼の価値観を覆せるとは思わないが、少なくとも私は、彼が嫌う容姿も彼自身の一部として好きだということを伝えたかった。アルベールは目を丸くしていたが、暫くして穏やかな笑みを浮かべる。
「…私は噂の王子等よりも、貴女の方が美しいかと。」
「っ、それは目が悪いんです…」
自分の容姿は十人並みだと、理解している。この辺りでは珍しい風貌なので、人によっては多少は美化されることもあるかもしれないが、特筆して綺麗だと言えるようなものではない。
「…他にも色々噂がありますよ。」
アルベールの褒め殺しが始まる前に、噂へ話を戻す。彼はくすりと笑ったが、それ以上は何かを言ってくることはなく、こちらの話を待っているようだ。
死んだ第三王子。死者だからこそというべきなのか、多くの噂がある。大体は根も葉もないような噂ばかりだが。
「第三王子はお生まれになる際、輝いていた、とか…」
「王子は発光なされるのですか。私はしませんが。」
「第三王子は実は王子ではなく王女だった、とか…」
「面白い噂があるのですね。私は男ですが。」
「…第三王子は空を飛べる、とか…」
「…その様な噂がまであるのですね。私は、……飛べますね。」
「えっ」
根も葉もないような噂だと思い込んでいたが、その中にも真実があったとは。驚いてアルベールに目を向ければ、少し困ったように笑っている。
「魔法使いですから…とはいっても、空を飛び回れるほどではございません。」
「…すごい。私は試したことありますけど、無理でした。」
魔法を使えると聞いて、真っ先に憧れたのは空を飛ぶということだった。子供の頃に、鳥のように自由に飛び回ってみたいと思ったことはあるが、人間は鳥のように軽くもなければ翼もない。だが、魔法があるなら物語の魔法使いのように飛び回ることも可能なのではと、すぐさま挑戦した。
しかし、現実は厳しかった。ほんの少しだけ浮くことは出来たのだが、バランスを崩して無様に地面に叩きつけられたことがあって以来、試していない。ただ浮くだけでなく、浮いたあとの体をどのようにバランスをとるか等、細かな制御が必要になるのだ。その制御さえ何とかなれば私でも空を飛ぶということは出来るかもしれないが、そこに挑戦する前に痛みを覚えてしまったので、諦めてしまった。
「…少し、試されますか?飛ぶと言うより、浮くに近いですが。」
憧れるような視線になってしまったのに気づかれたのか、アルベールが魅力的な提案をしてくれた。採集に行かなければならないという想いよりも好奇心が上回って、二つ返事で頷く。するとアルベールは笑って両手を広げたので首をかしげると、そのまま近寄ってきて抱きすくめられた。
「しっかり掴まっていただけますか。」
驚いて硬直しているうちに腰にもがっちり腕が回されて、密着していた。抱きしめられるのは何度か経験しているが、こうも密着するのはまだ緊張する。心臓の音が伝わないか心配になりつつも、空を飛ぶことへの好奇心の方が強くて、言われるままアルベールの背に両手を回した。
「…これはいい口実ですね。」
「え?」
「いいえ、なんでもございません。では。」
アルベールが呪文を素早く唱える。その歌うような綺麗な声を聞いている内にふわりと体が浮き、地を踏む感覚が失われて思わず腕に力を込めた。
不思議な感覚だ。そのままゆるゆると上昇していき、木々の背をこえてまだ上昇する。そのうちに目の前はさえぎるものがなくなり、広大な光景が広がった。
眼下には黒の森、上は白い雲が浮かぶ青い空、目の前に広がるのは緑で染まる山並み、麓の太陽の光を浴びて輝く湖畔。遠くにポツポツと町も見える。
「アルベールっ、と、飛んでいますよ!」
「はい。」
「すごい、すごい…」
興奮のあまり、さらに腕に力を入れていたようで、ぎゅうぎゅうに抱きついていた。だが、これは興奮しても仕方が無いだろう、本当に空を飛んでいるのだ。気球や飛行機に乗っているわけでもなく、生身で。
「アルベールはすごい。」
「…そう、でしょうか。」
上を見あげれば、少しだけ照れたような表情を浮かべたアルベールと目が合った。時折見せるこの表情が、とても愛おしく感じる。綺麗だったり格好よかったりする中で、たまにこうして可愛いと思ってしまうのだが、言うと嫌がられてしまうだろうか。
「アルベール!噂は本当になってしまいましたね。」
「…え?」
「第三王子は空が飛べる、って。」
「…はは。」
少し悪戯げにそう言えば、アルベールは目を丸くしたあと、声をあげて笑った。呪いの影響なのかそれに答えることはなかったが、本当に可笑しそうに笑っている。そんなに面白いことを言ったか疑問だが、アルベールが楽しそうに笑って、幸せそうにしているのでまあいいかと思う。
「名残惜しいですが、あまり遅くなってはいけませんから、降りましょうか。」
「…そうですね、本来の目的を果たさないと…」
一頻り笑った後、そう言ったアルベールの言葉に頷く。魔石どころか、まだ薬の材料の採集すら終わっていないのだ。ずっとこうしていたい気もするが、ほんの少しでも空を飛ぶという夢を叶ってとても嬉しい。
地面に降り立つと、自分の体重が感じられた。すると何故か急に、この世界に立っているのだと実感する。
「トモエ」
不意に名前を呼ばれて見上げると、抱きしめあったまま額に口付けされた。唇が離れて見えたアルベールの表情は、とても穏やかなものだ。
「…貴女いてくれて、よかった。」
アルベールはその言葉がこちらを喜ばせるものだとよくよく理解しているようだ。私のこの世界での存在意義を満たしてくれる。
このまま何事もなく、こうして穏やかな日々を過ごすことが出来ればいいのに。だが、アデルバートの存在はそれが不可能だと告げているようだ。何かが起きてしまう、そんな気がする。
私とアルベールの平穏を掴み取るためにも、力が必要だ。




