第4話 私と彼と王子様 (2)
アデルバートの異常な様子に駆け寄ろうとしたが、アルベールに手で制された。
「次に目が覚めた時に、色良い返事を頂けることを期待している。」
アデルバートはそう言って笑って見せたが、次の瞬間には膝から崩れ落ちた。くぐもったうめき声と同時に、ぐちゃっと何かが潰れるような嫌な音がして、見れば彼の右腕が地面に落ちていた。落ちた腕からは血が流れ、右腕は指先から分解されていくかのように崩れていき、肉片となったそれらは奇妙なことに消えていく。
何が起きたのかを理解するのには時間がかかった。気づけばそこに血溜まりが出来ていて、鼻腔が血の匂いで充満する。アデルバートの両足が、両腕が、文字通り消えていた。その身から流されてできた血溜まりすらもゆっくりと消えていく。
「…アルバート」
彼が名を呼んだだけで察したのか、アルベールが繋いだ私の手を引いた。それに我に返るも、足が鉛のように重く動かず、急いているのだろうアルベールに担ぎあげられたことで、漸くその場を離れることになった。
耳をつんざく、生々しい音が遠くなっていく。この呪いのどこが、甘いものか。猫になる呪いとだけ聞けば可愛らしいものに聞こえたが、目にしたものはそんな可愛らしいものではなかった。
アルベールは私を小屋の中に送り届けると、扉を閉めてアデルバートの元へと向かった。ぼんやりとそれを見送って、落ち着こうと小さな明かりを灯してからグラスに水を注ぐ。先程の光景が思い出され、嘔吐感に襲われて流しに胃の中のものを吐き出した。
魔女の小屋にかけられている呪いや、アルベールにかけられた呪いばかりを相手にしていたからか忘れていたが、呪いは他者の悪意そのものだとエイダが言っていたことを思い出す。ここまで露骨な悪意を目の当たりにしたのは、初めてだ。
術者以外が呪いを解くのなら、その悪意を上回る力が必要だが、私には力はあってもその扱いが上手くない。アルベールの推測を正しいとすれば、ひたすらに魔力を取り込み私の魔力をものにするのが一番の近道だろうか。
扉が開く音がしてそちらを見れば、それほど時間はたっていないが、アルベールが小屋へ戻ってきていた。腕に金色の毛並みを持った、猫を抱えて。
「殿下は…」
「…この通り」
アルベールの腕の中で眠っている猫の表情は、安らかなものだ。人間から猫へ変化する様はあれほど悲惨なものであったというのに、傷一つない。今が苦しんでいないのなら、よかった。
次に目が覚めたらとアデルバートは言っていたが、私の腹積もりは既に決まっていた。暫くは忘れられそうにもないあの光景を見せられては、断る気も起きない。もし、私にそう思わせるためにわざわざあれを見せられたのだとしたら、アデルバートにはしてやられたことになるが。
アデルバートに同情しているというのも理由ではあるが、何よりも今、目の前にいるアルベールが大きな理由だった。彼は腕の中に収まる猫を、少しだけ悲しげに眺めている。彼が慕う兄だからこそ、助けたいと強く思うのだ。
「…アルベール」
声をかけると、アルベールは微笑みを浮かべて顔を上げた。
「…その名で、呼んでいただけるのですね。」
「…呼んでいいのなら…」
貴族どころか王族だったと知ってしまえば、彼の二つ目の名を呼ぶことに少し抵抗がある。本当に私などが、その名を口にしていいのだろうか、と。
「…元々、二つ目の名で名乗ったのは、仕方がなくだったんでしょう…?」
「仰る通りです。それ以外に名乗る事のできる名が、あの時、無かったのは事実です。ですが今は、貴女にはその名を呼んでいただきたいのです。」
兄弟ですら知らない名前を呼ぶというのは、確かにとても特別な感じがする。ただ、先程の話を聞けばとても重いものではあるが。
「貴女以外に、記憶のある限り今まで一度もその名で呼ばれた事はなかったのですが…改めてその名の意味を知っていただいた上で、貴女に名で呼ばれるということは、とても嬉しいものですね。」
嬉しそうな表情でそう言われてしまえば、呼ばないという選択肢は浮かんでこなかった。アルベールが喜べば、私も嬉しくなる。それと同じように、彼が悲しめば、私も悲しくなる。彼の腕の中で居心地良さそうに眠る、猫になってしまったアデルバートを見ると、アルベールは眉尻を下げた。
「…トモエは、断ってもいいのですよ。」
「…どうして、そんなことを?」
以前にも同じ様な事を言われたのを思い出す。だが、元々、己のために黒の魔女の弟子である私を巻き込んだのは、アルベールだ。彼がこの森にやってきた時、彼とは面識がなかったし、彼の望みを叶える義理もなかった。だが、私に助けを求め、必要としてくれた彼を助けたいと思ったから、今こうしてアルベールがここにいる。あの時はまさか、こんなにきな臭い話だったとは思わなかったが。
「…貴女を巻き込みたくないと、危険な目にあわせたくないと、今更、思うのです。…全く、身勝手でしょう。」
本当に身勝手だ。最早、アルベールが何と言ったとしても、決して彼を見捨てたりはしないだろう。彼は、この世界の私に存在意義を与えてくれた人、共にいたいと、力になりたいとおもう大切な人なのだ。
「…今更、何を言ってもダメです。」
「トモエ…」
後悔していないと言えば、嘘になる。だが、後悔していても、もう一度あの日をやり直せるとしたら同じ選択をしたことだろう。でなければ、アルベールとこうしてここにいる今は無いのだから。
「兄上がこの様な目にあったのは、私の愚かな選択のせいなのです。」
「…選択?」
「ですが私は…後悔はしていても、その選択が有ればこそ貴女に出会えたのだと思うと…」
アルベールはそこで口を閉ざした。複雑な想いがあるのだろう。アデルバートがこの様な目にあっていたことは、アルベールにとっては青天の霹靂だったのだろう。
恐らくは、彼の呪いはアルベールの魔力を用いられたものだ。アデルバートの呪いが発動する前に彼が言っていた、これ程の魔法や呪いを扱える魔力を持った者はアルベール以外にいないというのは、そういうことなのだろう。アデルバートが行方不明になったのは四ヶ月前、アルベールが黒の森に逃げ込んだのは三ヶ月前だ。アルベールはまだその頃、囚われていた事になる。
「…アルベール、違います。」
「…え?」
「やる方が悪いんです。アルベールのせいじゃ、ないです。」
アルベールだって被害者だ。アデルバートの呪いはアルベールの魔力が使われているのかもしれないが、それは奪われたものだ。奪う方が悪いのだ。管理責任だとか、そんなものは知らない。アルベールのせいではないと強く思いながらじっと見つめると、アルベールは小さく笑った。
「そう、…でしょうか。」
「そうなんです。そうなんですよ。…だから、呪いを解いたら、相手に目にものを見せてやりましょう。」
そう言えば、アルベールはさらに笑った。そんなに変なことを言っただろうか。
「…はい、そう…ですね。そのためにも先ずは休みましょうか。」
「…真夜中ですしね。」
外は真っ暗だし、明かりを消してしまえばこの小屋だって真っ暗、いつもならこの時間は夢の中だ。部屋に戻ろうとしたところ、アルベールが扉の前まで送ってくれる。といっても、所詮狭い小屋の中の移動なのだから、目と鼻の先の距離なのだが。
「…トモエ」
部屋に入ろうとしたところで名前を呼ばれて振り返ると、そのまま抱きしめられた。いつの間にかアルベールが抱いていた猫は、足元に寝ている。王子様だというのに、杜撰な扱いだ。
「…アルベール?」
どうしたのかと名前を呼ぶと、唐突に口付けられた。突然のことに驚いたが、目を閉じるとそれは深いものになっていく。魔力を取り込んで倒れたこちらの体に気を使っていた彼の、その行動にただ驚いた。
唇が離れて、顔を赤くしている私にアルベールは微笑んでくる。
「おやすみなさい、トモエ。」
「おっ…おやすみなさい…」
慌てて部屋に駆け込んで扉を閉め、倒れ込む前にベッドに転がる。暫くして、酔っ払ったように頭がふわふわしてきた。先程のアデルバートのあの光景を思い出して、眠れなかったらどうしよう、夢に出てきたらどうしようと思っていたのだが、これならその心配もなさそうだ。…アルベールはそれが狙いだったのかもしれない。




