第3話 私と彼と不思議な猫 (10)
アルベールと初めて出会った際、私はひとつ彼に質問した事がある。アフロートで話題の王子様か、と。
アフロートには三人の王子がいるが、当時、どの王子も国民の中では話題の人であった。三人の中でも特に話題であったのは、王太子である行方不明となっていたアデルバート第一王子。その王太子がこのまま見つからなければ次の王位の最有力候補となるギルバート第二王子も、それに伴って話題であった。
そして、二人の王子に比べれば知名度は低いが、死しても未だに人々の話題に上がるアルバート第三王子。公の場に滅多と現れず病死し、それ故かその美貌が語られている。本人にはいい迷惑なのだろうが、第三王子の存在はいい噂の種だったのだろう、色々な噂のある王子だ。
アルベールはこの問いに、アデルバート殿下では無いと答えた。よく考えれば、これはほかの二人の王子である可能性は否定していない。だが、だからといって既に公式では死者となっていた、噂の儚くも美しい第三王子だなんて想像もしないだろう。アルベールに美しさを感じても、儚さなど感じなかった。
(…死んだとされている第三王子と、呪われた第一王子…)
アルベールが己を卑怯だと言った理由は、これだったのだろう。平穏を求める私にとっては、死んだとされている第三王子が生きているだなんてきな臭い話は、受け入れ難いだろうと思われていたのだ。確かに、もしそれを出会ったばかりの頃に知っていたなら、私は関わることを拒否したかもしれない。
「…トモエ」
アルベールが名前を呼んでくる。彼は己の正体を知った、私の反応を気にしているのだろう。
アルベールが死んだはずの第三王子だったということは、彼がこのようなめにあっている理由は、思った以上にとても厄介なことに巻き込まれているからなのだと思う。何せ、行方不明になっていた第一王子まで呪われて出てきたのだ。
私は出来た人間ではない。強い人間でもない。我が身が可愛い。だからきっと、以前の私なら裸足で逃げ出していた。
私もアルベールも魔法使いだ。ならば確かな言葉を返すことが、望ましいのだろう。だが、何を言えばいいのかがわからず、ただアルベールに抱きしめた。驚いた様子ではあったが、アルベールはそんな私を抱き返してくれる。
アルベールがこのことを黙っていたのは彼の故意ではないが、確かに卑怯な形になった。アルベールがどれほど厄介で面倒なことに巻き込まれているとしても、今の私は彼から離れたくないと思っている。平穏な日々を過ごしたいという気持ちは勿論あるが、それはアルベールと共に、だ。
腕の中から見上げると、フードで隠れていたアルベールの赤い目と目が合う。じっと探るように見つめてくるその目を、そらさずに見つめ返した。何を言えばいいのか分からなかったのだが、こうしていると自然と言葉が浮かびあがってくる。
「あなたの正体が王子だったとしても…もう、私はあなたがいないと、ダメみたいなんです…」
歳も性別も立場も、元々住んでいた世界すら違う私とアルベールだが、互いの望みは同じだった。誰かに必要とされたいと望み、その相手をお互いとして見つけ、そして少なくとも私は、今は誰かではなくアルベールに必要とされたいと強く願っている。もう他の誰かでは、ダメなのだ。
そう言えばアルベールは、笑った。少し照れたように、とても嬉しそうに。この表情は見たことがある。
髪がかかるほどに顔が近づいて、そこで止まった。今日の事を思い出したのであろう自制するように己の唇を噛んだアルベールに、爪先立って唇を重ねる。驚いて身を引いた彼に少しむっとして見上げると、アルベールは困ったような表情を浮かべた。
「…私だって、これくらいしたいと思うこともあります。」
こちらの体を気遣ってくれているのは分かってはいるが、恋人なのだ、キスしたいと思ってもおかしくないだろう。触れるだけのキスで物足りないのだが、そう感じても別に悪くないだろう、…恋人なのだから。
それに、確かに倒れるのは困りものだが、アルベールの魔力を取り込んで徐々にならしていけば、ほかの魔力を取り込むよりも効率よく私の魔力を慣らしていくことができる。そうすれば倒れるということもなくなるはずだ。
だが、アルベールは腕を離して口元を抑えながら、後ろに下がった。その反応に不安になり、それが表情に出ていたのかアルベールは慌てたように首を振る。
「…その気持ちはとても嬉しく存じます。私も同じ気持ちです。ですが、…いえ、またこの話は後程。」
「…えっと…?」
「色々とあるのだろう。許してやってくれ。」
最後の言葉は向かい合うアルベールとは逆、私の後ろから聞こえてきてビクリと身体を震わせた。振り返れば、小屋の中にいるはずだと思っていたアデルバートが、少し離れた場所に立っている。
「っ何時からそちらにいらっしゃって…」
「割と初めの方からだ、立ち聞きするつもりはあった。はは。」
悪びれもなく言い切ったアデルバートに、思わず両手で顔を覆った。顔が熱くて、耳まで熱い。あんな所を見られていただなんて、あんなことを言ったのを聞かれていたなんて。恥ずかしすぎて、穴があったら入りたい。
「私の存在はこちらの者には気づかれてはいたのでな。聞かれても良いと判断したのかと思っていた。」
アルベールがアデルバートと私の間に立ったので、その後に隠れる。初めの方から聞いていたというのならば、アデルバートはこの外套で顔を覆った男の正体を聞いていたということだろうか。恐る恐るアデルバートの様子を覗き見ると、彼は外套のフードで覆われたアルベールの顔をじっと見ている。
アデルバートの視線に根負けしたように、アルベールは顔を隠すフードを脱いだ。アデルバートと同じ色の、プラチナブロンドの髪が揺れる。死んだはずの王子とその兄は、ただ無言で赤い目と青い目で互いを映しあった。
アデルバート第一王子は、アルバート第三王子の死をひどく悲しんだと聞く。仲は良かったのだろう。滅多に現れなかった第三王子が公の場に出てきた時は、必ずそばに第一王子がいたそうだ。
人々はそれを美しき兄弟愛として語っていた。アルベールの話を聞いた限りでも、少なくともアルベールは彼を慕っていたはずだ。
沈黙を破ったのはアルベールだ。外套を脱いで、アデルバートに投げ渡す。
「…着てください、兄上。いつまでも彼女にそんな格好を見せないでいただきたい。」
感動の再会になるには、アデルバートの格好がつかなかったようだ。苦笑いしたアデルバートは受け取った外套を羽織り、前をしっかりとしめる。一国の王子が全裸に外套とは不格好ではあるが、全裸より幾分かはマシであろう。
「ああ、…本当にアルバート、生きていたのだな。」
アデルバートはそう言って破顔した。純粋にアルベールとの再会を、本当に喜んでいるように見える。だが、それに対してアルベールの表情は暗かった。
「…兄上、私は」
「みなまで言うな。今は再会を喜ばせてくれ。」
何かを言おうとしたアルベールを遮って、アデルバートはアルベールとの距離を詰める。それにアルベールが身を硬くしたのだが、それを気にすることなく、アデルバートは彼を抱きしめた。驚きに目を見開いたアルベールはしばらく茫然としていたが、ややあってその兄と同じように腕を回す。再会の抱擁を交わしたアルベールは、漸くほんの少しだけ、笑んだ。
「…もうよろしいでしょうか、兄上。トモエが泣いてしまいそうなのです。」
「うっ…」
この再会のシーンに目をうるませてしまっていたのに気づかれていたようで、邪魔をしてしまったような気分だ。兄から離れたアルベールは私の元までやってくると、手を握ってくれる。そんな彼にアデルバートは苦笑いしながら、こちらを見た。
「魔女の弟子殿、今日の私には時間があまりない。話だけでも聞いていただけないだろうか。」
「は、はい…」
今日の、とはどういう意味だろうか。疑問が浮かんだのだが、時間が無いと言われた以上ここで問うのは憚られる。恐らくはこちらのその疑問が想像出来ているのだろうアデルバートは、少し自嘲めいて笑い、意味深げな視線を頭上に送る。見上げれば真っ暗な空が広がるだけであった。




