第3話 私と彼と不思議な猫 (9)
「アルベール、今…」
「っ、いえ、今のは…その…」
私の言葉に、アルベールは何を口にしてしまったのかに気づいたのであろう、慌てたように言い繕おうとしたようだが、何も言えずに口を閉ざす。こんな様子のアルベールは初めてだ。
「う…」
だが、それも全裸の男の呻き声で中断させられる。そちらに自然と目がいったのだが、男が身じろいで仰向けに…なったという瞬間に、アルベールに目を塞がれた。
「見てはなりません。」
「みっ見てないです!」
ぎりぎり何も見ていない。慌てて全裸の男に背を向けるとアルベールは手を離してくれ、小屋の壁にかけられている外套を手に取った。それを男に渡すのかと思っていたのだが、アルベールは着ていたガウンを脱いで男に投げて掛ける。
「…そっち?」
思わず声に出してしまったが、アルベールは苦笑いするだけでさっとその外套を羽織ってしまった。外套にはフードがついていて、さらに口元を隠すための布がある。魔法を成立させるためには言葉が必要なので、口元の動きを隠すことで自分の動きを悟られないようにする為にあるものだ。それで口元を覆い、更にフードを目深に被って、ほとんど顔が見えなくなっている。
そうしているうちに、全裸の男が片手で顔を抑えながら、上体を起こした。緩く巻かれたプラチナブロンドが揺れて、肩から流れ落ちる。アルベールはその男と私の間に立ち塞がり、私はその後ろから男をのぞき込むようなかたちになった。そのまま男はしばらく呻いていたが、ゆっくりと顔を上げると、あの猫とおなじディープブルーの目がこちらの存在を認識する。歳は私よりは少し上だろうか、アルベールに引けを取らない美青年だ。
「…ここは…」
アルベールはおそらく何も答えないであろう、私が答えるしかない。アルベールの後ろからとなんとも情けない姿なのだが、答えるべく少しだけ身を乗り出す。
「ここは黒の森にある、魔女の小屋です。」
「…っ黒の森の?!ではっ」
「きゃあ!」
ばっと男が立ち上がったので、慌てて引っ込みアルベールの後ろに隠れると、アルベールは抜刀しかかった。断じて見ていない。
「…失礼。わざとではない。…剣を収めてくれないか。」
自分がどんな状況か理解しているのであろう。男は慌てて身なりを整えだしたようだ。隠れていて何をしているかは見えなかったが、アルベールが剣を納めたのでもう一度顔を覗かせる。見れば男はアルベールが着ていたガウンを腰にまいているという、締まりがなくてせっかくの美青年が台無しな格好になっていた。
男は流れを変える為に一つ咳払いした。しかし、やはり何とも締まらない格好だ。
「…貴方が黒の魔女だろうか。」
「違います。」
「では貴方々は一体?」
既視感ある問答だ。あの時は二人きりであり、相手はボロボロでも服をちゃんと着ていたが。
「…私は、黒の魔女の弟子です。魔女は不在の為、今は私がここを預かっています。」
「…この者は?」
「えっと、私の…」
アルベールは答えるつもりが無いらしく沈黙している為、男は彼を目で指して私に問いかけてきた。しかし、私とアルベールの関係性についてどう答えるのが正確だろうか、わからず答えに窮する。ここは魔女の小屋であり、決して嘘はつけない。だが、アルベールの事情を話す訳にもいかない。答えられるとすれば、彼が私の恋人だという事実くらいだろうが、それを口にするのは恥ずかしくて躊躇われる。そうこう考えている内に恥ずかしくなって、顔に熱が上がってきて、相手は何やら察したようだ。
「おっと、野暮な事をきいたようだ。」
「い、いえ、すみません…」
落ち着いて考えれば居候だとも言えただろうに、私は恋人になって浮かれ過ぎているのではないだろうか。恥ずかしくて顔を覆う。
「魔女の弟子殿。身勝手を承知の上で、貴方に力を貸していただきたい事がある。」
男はそう言ってじっとこちらを見つめてきた。先程までいた猫が呪いにより消えて、代わりにこの男が現れたのだ。大体の事情は容易に想像出来た。だが、簡単になんでも引き受けるつもりはない。私には出来ること、出来ないことがあるのだ。まずは判断のためにも、詳しく話を聞く必要がある。
「お話は、うかがいます。その前に、この小屋の中では魔女の呪いにより決して嘘はつけません、とお伝えしておきます。」
「相分かった。私は貴方の力を借りようとしている身、元より何一つ偽るつもりは無い。」
言い淀むことなく、堂々と言った男の言葉は本心なのだろう。ならば、後は話を聞くだけだ。だが、どうしても気になって、アルベールの様子をうかがおうと後ろから彼を見上げるが、着ている外套のフードに邪魔されて何も見えない。先程、アルベールが呆然と口にした言葉がぐるぐると頭の中をまわる。あの言葉が本当ならば…いや、ここは魔女の小屋だ、嘘などつけない。今、彼の心中は穏やかでないだろう。
「私は、トモエです。先ずはあなたの名前を教えて貰えますか?」
問いかけると、男は丁寧に一礼した。全裸で腰に布をまいているだけの格好であっても、その動作は優雅なものだった。だが、次の瞬間男から発せられた言葉に、冷水を頭からかけられたような衝撃を受けることになった。
「私の名は、アデルバート。」
この男はなんと言っただろうか。その名はこの黒の森に隣する国、アフロート王国ではとても有名な名ではないだろうか。現実逃避しかかった頭を振って、もう一度その名を頭の中で復唱する。
アデルバート。今行方不明になって騒ぎとなっている第一王子の名がそんな名であった。
「……………アフロート王国第一王子、アデルバート殿下?」
「ああ、そうだ。光栄なことに、魔女の弟子殿にも名は知られているのだな。だが、この魔女の住まう森では人の世の身分など、無価値無意味なものであろう?」
笑ってあっさりと肯定されてしまった。違うと答えて貰えたのなら、よかったのだが。
この男の正体が王子であることは、私にとっては重要なことではない。そんなことよりも、この男が王子であるということで意味が変わってくるものがある。アルベールがこの男を見て口にした、あの言葉だ。
最初は聞き間違いかと思ったのだが、いい淀み言葉を返せなかった時の彼の様子、執拗までに顔を隠し声を発することをしない今の彼の様子からして、どうやら聞き間違いなどではなかったようだ。
「…アデルバート殿下。少しお時間いただいてもいいですか?」
「ああ。元々、私に拒否する権利などないと理解している。」
そこまで思ってもらわなくてもいいのだが、今はその方が都合がよいので黙っておく。申し訳ないが、今はアデルバートよりも気になって仕方が無いことがあるのだ。
アルベールの腕をとって引くと、彼は抵抗することなく大人しく私に従ってくれる。そのまま外に出て小屋から少し離れると、手を離して向かい合った。
目深に被ったフードと口元を覆う布で、彼の表情は全く見えない。だが、ここまで大人しく従ってくれているので、何を話すつもりなのかはわかっているのだろう。
「…私が貴女にお話しできなかった事に、気づいておられるのですね。」
アルベールは己の口元を覆う布を、指で下げてそう言った。彼は私に、呪いにより彼自身のことで話せないことがあると言った。私が気づいたのは、おそらくその事なのだ。
「これからの貴女の問いに、私はきっと、お答え出来ないでしょう。お許しください。」
アルベールはあの小屋の中で初めてアデルバートを見た時、兄上、と口にしたのだ。
アルベールは幼い頃から病弱であったとされ、十八年間軟禁されていたと言っていた。三年前に、何者かに囚われたとも言っていた。そして、アデルバート第一王子を兄と呼んだ。これらの事にうまく噛み合う人物が、一人いる。
「あなたは…アフロート王国の第三王子、アルバート殿下…なんですよね…?」
アルベールはやはり、何も答えなかった。その、答えられない、という事が全ての答えになる。
病弱であり、公の場に数度しか現れたことがなく、三年前に病死したとされている、美しくも儚いと王子いわれた、アフロート王国の第三王子アルバート。
アルベールが話せなかった事とは、己が死んだはずの第三王子であることだ。




