第3話 私と彼と不思議な猫 (7)
いつの間にか眠っていたようだ。目を開けると、明るくなった自分の部屋が映る。いつもの違うのは、ベッドサイドに椅子をひいて、そこに座って本を読んでいるアルベールがいることだ。手に持った本に視線を落とし、静かに読みふけっている姿は絵になる。ねがえりをうってそちらに体を向けると、アルベールが本から目を離してこちらに柔らかく微笑んだ。
「お目覚めになられたのですか。体の調子はいかがですか?」
「…倒れる前より調子がいいくらいです。ずっとそばにいてくれたんですか?」
「私が、貴女から離れ難かったのです。」
朝食は頂きましたがといって、アルベールは頭を撫でてくる。その流れで髪を一房掬うと、彼はそこに唇を落とした。
「貴女をこのように苦しめるつもりはなかったのですが…」
アルベールは私が倒れたことに責任を感じているのだろう。アルベールの魔力を取り込んだ、つまり口移しで魔力を取り込んだことでああなったのだ。血液ほどではないにしても、唾液も立派な魔力を含む体液ということだ。まさかキスして倒れるなんて、普通は想像もしない。これは予想もできなかった不幸な事故のようなものであり、どちらかが悪いと言うものでもないはずだ。
「アルベールのせいでは、ないと思います。仕方がなかったことですし…私が異世界人だから…」
寧ろ申し訳ない。異世界人なんて厄介な人間でなければこんなことにならなかっただろう。そんな考えを察したのか、アルベールは小さく首を降る。
「貴女が世界を超え、この黒の森にいらっしゃったからこそ、私は貴女に出会う事が出来ました。」
以前アルベールが言っていたように、お互いの身に起こったことは決してよかったと言えるようなものでは無い。だが、それがなければこうして出会う事はなかったし、恋をすることだってなかっただろう。私が異世界にやってきたということは、アルベールと出会う上では必要不可欠なことであった。異世界人でなければ出会うことすらなかったのだから、それを悔やみたくない。
けれど、自分が異世界人でなければと、つい思ってしまう。キスだけでこれならその先なんて…と考えて、恥ずかしくなって首を振った。
恋とはこんなにも欲深くなるものなのだろうか。アルベールは私を気遣ってくれているのに、物足りなさを感じている。
なんとも言えずに目をそらすと、突然鈴の音が鳴った。慌てて飛び起きて部屋を出ると、アルベールもそんな私の様子に驚いたようだが、あとに続いて部屋を出てきた。
「トモエ?」
「…すみません、黒の森の奥に入ろうとする人間がいると、これが鳴るんです。」
水瓶を両手で掴むと、水面に森の光景が浮かぶ。それを見てアルベールも納得したようだ。おそらく、初めてアルベールが黒の森に入り込んだことを思い出しているのだろう。あの時はこれを使って、アルベールを助けもしたし、邪魔もしたものだ。
だが水面に映し出された光景には人の姿は無く、首を傾げる。
「…見当たりませんね。」
「アルベールのこともこれで見つけましたし…私の魔法じゃなくて、黒の魔女の魔法なので、誤作動なんてことはないと思うんですが…」
映す光景の位置をずらしてみるが、やはり人の姿は見つからない。見つける前に自ら立ち去ったのだろうかと思いながら、映す位置を上下左右にずらすと、不意に何かがアップで映し出されて、驚きに声をあげた。
危うく手をはなしかけたが、なんとか踏みとどまる。全体を映すため位置を後ろに下げれば、そこに映ったのは、猫だった。
珍しい、金色の毛並みで青い目をしている。ふわふわとした毛並みは撫でると気持ちよさそうだ。こんな森の中にいるのに小綺麗で、とても可愛い。
「…まさかこれ、この猫に反応したのかな…」
人がいない以上、その可能性はある。だが、エイダに聞かされたのはあくまでも森の奥に入り込もうとする人間を追い返すため、人間の存在に反応するとしか聞いていないので、そこに猫がひっかかるのかは甚だ疑問だ。
どちらにしてもこんな愛らしい猫、恐ろしい魔物がうようよいる黒の森では、到底生き残れない。むしろよくここまで来れたものだ。なぜこの猫にこの魔法が反応したのかも気になるし、人間ではないが保護することにした。
水瓶に映った光景の位置を確認し、手を離す。水面に映った光景は途端に消えてしまったが、正確な位置情報は確認済みだ。指先に魔力を込めて光を集めると、床に魔法陣を描く。アルベールが興味深そうにじっと私の手元を見ているので少し緊張してしまうが、うまく描けたと思う。その陣の両端に両手をついて、力を込めた言葉を発する。
「おいで」
短くとも、力のある言葉だ。一言だけでも魔力を込めれば、魔法と成る。先ほど確認した位置情報を元に、あの猫を召喚しようとしているのだ。
「おいで」
目を閉じて、集中する。あとはただこちらに引き寄せるだけだ。魔力を己の手足かのように伸ばし、その存在を掴む。すると、魔法陣は眩い光を放ち、その光が収まるとそこには先程の猫が一匹佇んでいた。にゃあと鳴いた猫は人馴れしているようで、こちらを警戒しない。しゃがみこみ、おいでおいでと声をかけながら手を広げると、大人しく近寄ってくる。とても可愛い。
「…トモエは本当に、素晴らしい魔法使いであられる。」
猫を撫でていると、アルベールが感嘆したように言った。召喚の魔法は一般的な魔法使いでは扱うことが出来ないものだから、そう見えるだけだろう。
「アルベールのほうが、色々な知識と魔法を扱える魔法使いじゃないですか。」
「私が扱うものは、魔力さえあれば誰でも扱えるようなものばかりです。」
確かに、転移や召喚といった魔法は一般的な魔法使いが扱うものでは無い。だが、アルベール程の魔力の持ち主であれば、知識さえ習得すれば扱えそうである。
「…よければやってみますか?召喚。」
「…魔女の知識だと思われますが、私が知っても?」
「アルベールならいいと思います。」
そう言うと、アルベールは嬉しそうに笑った。魔法使いとして、やはり魔女の魔法には興味があったのだろう。
しかし、この召喚した猫は何故、黒の魔女の魔法にかかったのだろうか。大人しいのをいいことに抱き上げると、にゃあと鳴いた。
「…この子、アルベールの色ですね。」
毛色はアルベールのプラチナブロンドの髪と同じ色をしている。ロングヘアの毛並みはふわふわとしていて、撫でると気持ちがよい。見たところ、普通の猫に見える。ちなみにオスのようだ。
「…可愛い…」
思わず抱きしめたくなる愛らしさだ。喉をゴロゴロと鳴らしている猫をうっとりと見ていると、アルベールが隣にしゃがみこむんでくる。
「可愛いらしい。」
「可愛いですよね、この子…」
「いえ、貴女が。」
猫にメロメロになって油断していたところに一撃をくらって、ノックアウトだ。猫を抱いたまま真っ赤になってアルベールを見ると、彼はただ微笑んでいた。
「貴女は本当に可愛い。」
声音がとても甘い。頬に手が添えられて、顔が近づいたのを感じて目を閉じる。瞼にアルベールの唇が触れて、離れていったのを感じて目を開いた。
…物足りない、と思ってしまった。そんな私の心境を察した、という訳では無いだろうが、猫が不満げに鳴く。下ろしてやると、窓から差し込む日向を見つけて、そこをふてぶてしく陣取り欠伸をして丸まった。そんな様子を見て、アルベールと顔を見合わせる。何故黒の魔女の魔法に反応したかも気になるところであるし、猫も逃げも警戒せず我が物のように振舞っているので、暫くうちで預かる事にした。




