第3話 私と彼と不思議な猫 (5)
「トモエ、こちらを向いてくださいませんか?」
「無理、今は無理です…」
「では、何時までも待ちましょう。」
アルベールは魔法使いらしく、口にした事は必ず実行する。待つと言えば私が振り返るまでずっと待っているだろう。イレーネは、彼は鈍くないだろうと言っていた。ならば、今私がどんな心境なのか大体察しているのだろうに、わかっていて言っているのだ。
「…嫌でしたか?」
「そんなことは…っ」
声音が少し悲しそうに聞こえて振り返った。しかし振り返れば、そこには悲しいどころか笑顔のアルベールがいる。目が合って、また顔が熱くなって両手で覆い俯くと、小さく笑い声が聞こえた。指の隙間から覗き見ると、批難めいて見えたのかアルベールは少しだけ困ったように眉尻を下げる。それに小さく唸ると、アルベールはしれっと甘い言葉を吐いた。
「可愛い方だと思いまして。」
好きな相手にそんなことを言われて、嬉しくならないわけがないではないか。こんなにも彼の言葉に一喜一憂させられるなんて、少し悔しい。
「トモエ」
私の名を呼ぶ声が、熱を含んでいるような気がした。これは今、気持ちが高ぶっているからそう聞こえるだけなのだろうか。恐る恐る顔を覆う手を離すと、真っ直ぐにこちらを見つめるアルベールの赤い目が目に映る。
「私は貴女を愛しています。」
はっきりと告げられた言葉に、絶句する。愛、と。顔が熱いなんてものでは無い、鼓動が早すぎて死んでしまうのではないかとすら錯覚する。
「愛…」
「はい。」
「っそんな、いつ…」
「そうですね…ああ、貴女が初めて私を必要だと仰られた時。あの時にきっと私は恋に落ちたのでしょう。」
アルベールはそう言って、うっとりとした様子で微笑みを浮かべた。平常心であればその微笑みを、綺麗だなあなんて思いながら見つめてしまっていただろうが、今は頭の中がそれどころではない。
そんなことを言っただろうかと思い返せば、何度も言っていたような気がする。実際、本当に必要だと思っているから、何度も口にした。よくもそんな大胆なことを言っていたものだ。
「あの日、あの時、貴女は私自身が本当に望むものが何なのかを気づかせてくださり、同時に与えてくださった。」
「それは…たまたま私だった、だけかもしれないですし…」
「可能性だけを述べるなら、無数の可能性の中の一つが貴女であったのかもしれません。」
可能性をあっさりとアルベールは認めた。自分で言ったことなのに、勝手だが認められて少し残念に思ってしまった。だが、次に紡がれた言葉にそれはあっさりと覆されることになる。
「しかし、私にとってはそのような無数の可能性等、無価値です。私にとっては、それが貴女だったという事実だけ。そしてそれが、どれほどの喜びを私に与えてくださったことか…!」
平常であれば何時でも穏やかな声音のアルベールが、少しだけ語気を荒くしている。彼が口にする言葉は何時でも全て真実なのだということは理解していたのだが、ここまで強く言葉にされれば疑う余地もない。
アルベールは魔法使いだ。魔法使いは決して嘘をつかない。何故ならば、彼らは言葉が力を持つことを知っており、己の魔力と言霊で魔法という奇跡を起こすことが出来るのだと身をもって体現しているからだ。
「どうかトモエ、私に貴女の言葉をいただけませんか。」
アルベールも私も魔法使いだからこそ、彼は言葉を欲しているのだろう。魔法使い達が力を持つと確信している、言葉を。
今更、何を迷うことがあるのだろうか。私は彼を好きで、彼は強烈に私への愛を示している。だというのに、まだ私は不安で言葉を出せないでいた。
「…私なんかじゃ、不釣り合いでは…」
「何故、そのように思われるのでしょうか?」
「それは…」
そう聞かれれば、明確に答えられない。わかっている、ただ自分に自信が無いだけだ。魔女、いや魔法使いとしても未熟、女としての魅力もあまりないと思うし、その上、私はこの世界の人間ですらない。何一つ誇れるものがなくて、彼が心を傾けるに値すると到底思えない。
「…他に素敵な女の人の方がお似合いじゃないか、とか…いえ、嫌ですけど…」
「貴女以外に興味はございません。私が望むのは、貴女だけですから。…しかし、嫌だと思っていただけるのですね。」
「ああっ!いやその…」
うっかりこぼした言葉にアルベールが満面の笑みを浮かべるものだから、後悔できないではないか。
「…その、私はこの世界の人間ですらなくて!」
よくよく考えれば、異世界人だと言うことは大きな問題ではないだろうか。人間がこの世界でも元の世界と同じ、もしくは何か違っていたとしても姿形が同じだったために忘れていたが。
「…異世界人、ということでしょうか。」
かなり勇気を持って口にしたのだが、アルベールはさほど驚いた様子を見せなかった。寧ろ、異世界人という言葉がさも当然なものの様だ。
「…驚かないんですか?」
「少し驚いておりますが…初めの魔女も異世界人だったという話もございますし、魔女の弟子である貴女が異世界人だとしても、何ら不思議はございません。」
それは初めて聞いた話だ。エイダから魔女の話を聞いたのは、この世界に迷い込んでまだ間もない頃であったが、ただ魔力を膨大に持つ者であり、初めにそう呼ばれたものが女であったから魔女と呼ぶ、とだけしか聞いたことがない。
「いけませんよ、トモエ。」
「うっ」
意図してでは無いが、意識を他に向けようとしたところを制止されてしまった。先程は逃がしてくれたというのに、今は容赦がないようだ。背には鍵のかかった扉、目の前にはアルベール、逃げ場はない。
「貴女が異世界人だとしても、私の想いは変わません。」
そこでアルベールはくすりと笑った。
「例えばもし、貴女が実は男なのだと言われたとしても、変わりません。」
「それは、無いです…」
冗談めかしていたとしても、言葉に出している以上本心なのだろう。どんな私であっても想いを寄せてくれている。私は今、好きな相手にこれほどまでに求められて喜び、幸せを感じている。ただ与えられるだけではなく、同じように返したいと思う。
「私は…」
今までに自分の想いを、相手に伝えたことなんてなかった。だから、どう伝えればいいのかわからないし、口にするのがとても恥ずかしい。それでも、ここまで言葉をくれたアルベールに、伝えなければならないのだ。
「…アルベールが好きです…」
口に出せば本当に短い言葉だ。声も小さくて、この想いを伝えるには不十分だろう。それでも、アルベールは本当に、本当に嬉しそうに笑った。薄らと頬は朱をさしていて、彼も私と同じように高揚しているのだろうか。こんなに美しい人の、美しい笑顔を、今まで見たことがない。
「貴女を抱きしめてもよろしいでしょうか?」
「っどうぞ…」
思わず目をぎゅっと瞑ると、クスリと笑われた。そのままアルベールの両腕が伸びてきて、すっぽりとその腕の中に収まる。布越しに伝わる体温が、こんなにもあたたかいものだなんて知らなかった。
「…何分、初めて故に情けなくともご容赦ください。」
抱きしめる力加減をはかりかねているのだろうか、ゆるゆると力を込めては緩めてを繰り返している。彼が十八年と三年間どのように過ごしてきたのかは知らないが、恋人や婚約者がいたことが無かったとは言っていたので、本当に初めてなのだろう。余裕がある様に見えていたけれど、私ほどではないだろうがいっぱいいっぱいだったのかもしれない。そう思えば途端に愛しさがこみ上げてくる。両腕で恐る恐る抱きしめ返すと、アルベールの体が小さく揺れた。その後、彼は抱きしめる腕に少しだけ力を込める。私の顔が彼の胸元程の高さであったので、上を見上げるとこちらをじっと見つめる赤い目と目が合う。
「…本来であれば、私は貴女にお話ししておかなければならないことがございます。」
「…何をですか?」
「私自身のことです。ですが、私の意志とは関係なく貴女にお話しできないことを、お許しください。」
アルベールが自分の意思とは関係なく話せないといえば、呪いによって口止めされているということだ。こればかりはどうしようもないし、彼自身に非はない。小さく頷くと、彼は言葉を続ける。
「その事をお話しせずに、このような事を望むのは卑怯ではございますが…」
なぜ卑怯になるのだろうか。考えても、アルベールが話せないという彼自身の事が分からなければ、予想もつかない。だが、それがなんであっても、私が彼を好きだということは変わらないだろう。
「トモエ、私の恋人になってくださいませんか?」
恋人。想いを伝えあって、通じあったならそうなるのが自然だろうか。この二十五年間、恋人だなんて言葉と無縁だった私が、まさか異世界でこんなにも素敵な人に恋われ、恋うことになるなんて思いもしなかった。
「…はい…」
一言そう返して、顔を真っ赤にして胸に顔を埋める。アルベールはそんな私を、ただ抱きしめてくれた。
アルベールと出会うために、私はこの世界にやってきたのだ。今なら、そう思う。




