第3話 私と彼と不思議な猫 (4)
言い訳はする。あれは小学生の頃だろうか、子供らしい可愛い恋をしたことがあった。相手は仲の良い男の子で、よく一緒に遊んだものだ。とてもその子のことが好きで、相手もおそらくは好意を持っていてくれたと思うのだが、二人で遊んでいた時に同じ学校の男の子達にとてもからかわれたのだ。その時、照れ隠しだったのかもしれないが、相手の男の子に好きじゃないと大勢の前で言われてしまって、大いにこじらせてしまった自覚は、ある。
その後、多少複雑な家庭の事情があって、学生時代はバイトに明け暮れていた日々だった為、同世代の異性との付き合いはあまりなかった。もしかしたらと思うようなことはあったかもしれないが、その度にそんなはずがあるものかと否定していたと思う。そして今も。
「でも、そんなまさか、そんなことがあるわけが…」
「まあ!トモエは往生際が悪いわね。でもどちらにしても、私はその紅茶を一杯飲んで落ち着いたら、戻ることをおすすめするわ!」
イレーネがいつの間にか頼んでいた紅茶がテーブルの上に置かれる。アルベールともここで一緒に紅茶を飲んだことがあったなと思い出すと、再び顔に熱が帯びた。ちょっと考えただけでこれでは、まともに顔すら見れそうにない。一体どんな顔して戻ればいいのだ。
「あのねトモエ、その時にしかないチャンスもあるのよ。それを逃せば永遠に得られなくなることだってあるわ。」
イレーネの言葉に顔を上げると、彼女はどこか寂しそうに笑っていた。彼女にも、何かあったのかもしれない。
そうだ、この世の中、いつ何が起こるかわからない。私がこの世界に紛れ込んだ時も、なんてことのない、当然のようにあった日常の中での突然の出来事だった。ついさっきまで当たり前だったことが、突然失われることを身をもって経験したではないか。
アルベールがそばにいてくれる今が、このままずっと続くとは限らない。呪いが解ければ去っていく可能性はゼロではない。仮に、あくまでも仮に想いを寄せてくれていたとして、それが私が逃げたことで心変わってしまうという可能性だって、ゼロではない。
紅茶を一口口に含むと、芳醇な香りが広がる。高ぶった神経が鎮められていくようだ。
落ち着けば、今の状況は確かにまずいと思う。アルベールが言おうとしたことがなんであれ、逃げだしてしまったことは変わらない。私もアルベールも魔法使いだが、心が読める訳では無いのだ。ちゃんと話をしないと、伝わるものも伝わらない。勘違いしすれ違ってしまう前に、言葉をかわさねばならない。
「うん、…うん、私、戻るよ。」
「そう、よかったわ!トモエには上手くいってほしいの。応援しているわ!」
友人であるイレーネが応援してくれているのだ。まだ自覚したばかりのこの想いをすぐに終わらせたくない。諦めてしまえば本当に終わってしまう。
「恋人や婚約者がいた事はないって言っていたし、好きな人がいたとしても、まだ見込みがあるよね…振られたとしても、頑張るね…!」
「…どうしても振られる方なの?後ろ向きなの、前向きなの?」
イレーネは呆れたようにため息をつく。彼女がどう言ってもやはり、そんなはずがあるものか、と思ってしまうのだ。
「イレーネ、ごめんなさい。何か用があったんでしょう?」
「ううん、また改めて話すわ!今はアルトと仲直りしてね。幸運を祈るわ!」
イレーネがにっこりと笑う。何時見ても、彼女のこの笑顔は天使のようだ。ぐっと紅茶を飲み干し、深呼吸して席を立つと、ヒラヒラと手を振るイレーネに手を振り返して、店の外に出た。
すっかり忘れていたが、外は雨が降っていた。向かいなので走れば大丈夫かとさっと走って戻る。パッと見た時はそれ程の雨量ではなかったのだが、扉を開ける頃には思ったよりも肩と髪が濡れてしまっていた。
「トモエ、おかえりなさい。」
扉の鍵を閉めていると声をかけられて、振り返るとアルベールがいた。この世界ではただいま、おかえりなさいなんて言葉のやり取りはしない。アルベールは故郷の習慣を忘れられない私に合わせてくれているのだ。
「たっ…ただいま、です。」
「…食事されていないのですか?随分と早いお帰りの様ですが。」
「はい、紅茶を飲んできただけで…その…」
イレーネとのやり取りを思い出して、顔が熱くなって俯く。彼の想い人が自分かも、だなんて自惚れもいいところだ。そう思うのに、もしかしてと淡い期待が浮かんで胸が高鳴る。
俯いたままそれ以上言葉を出せないでいると、足音がしてアルベールが近づいてきているのがわかった。床に彼の足先が見えて、小さくなにか呪文を詠唱しているのが耳に届く。直ぐにそれを終えたアルベールが魔法を発動させると、ふわっと暖かい空気に包まれた。
「風邪を召されぬよう、ご自愛ください。」
上からふってきた優しげな声に顔を上げると、アルベールの赤い目と目が合う。その美しくて、とても穏やかで優しげな表情に見とれてしまった。きっと私は間抜けな顔をしていたのだろう、我に返り熱くなった両頬を両手で覆う。どくどくと心臓が高鳴っていた。
「アルベール、その、私、ええと、…っ」
まずは途中で逃げたすような真似をした先程のことを謝りたい。しかし、それよりも聞きたい、私をどう思っているのかを。知るのが怖い気持ちもあるのに知りたいという欲が謝罪よりも勝って、なんて自分勝手なのだろうと自制しようとする。ただ見られているだけだと言うのに胸が高鳴って、そんな自分が恥ずかしくて仕方がない。
言いたいこと、言うべきことがぐちゃぐちゃになって言葉が出てこない。もういい大人だと言うのに、どうしてこんなにもうまく振る舞えないのだろうか。
「…その反応ですと、」
アルベールがそこで一旦言葉を区切って、笑った。その笑顔が今までとは少し違ってゾクリとする。表情はいつもと変わらないはずなのだが、何かが違う。何が違うのかはわからないが、どこか色っぽさがあるような、そんな様子に胸がさらに高鳴る。
「…で、出直してきます…」
その言葉の続きを聞く前に、慌てて逃げようと体を反転させて扉を開こうとするが、鍵がかかってた為開かれることはなかった。自分で鍵をかけたことをすっかり忘れていた。大体、ここで逃げ出せば先程と同じではないか。鍵をかけていてよかったと言うべきなのだろうか、逃げ出したい気持ちをぐっと堪える。
そこで突然、その把手を握る手を後ろからアルベールの手に抑えられた。思わずビクリと体を震わせる。心臓が飛び出るかと思った。
「いけませんよ、トモエ。外は雨ですから。」
「っそうですね…」
雨は次第に強くなっているようだ。扉についた小さな窓を、雨粒が叩いている。
「トモエ」
耳元で聞こえる声に、背中がゾワゾワした。触れられている手が熱い気がする。触れられているだけでこれほど胸がドキドキするものだっただろうか。毎日最低二回は手に触れることがあるのに、今更。
「…気づかれました?」
「な、何が」
「私が、貴女をお慕いしていることを」
そんなはずがない、と思っていたのだが。どうやらイレーネが言う通り、私はとても鈍かったようだ。たった一言、その言葉に全身の血が沸き立ったようにさえ感じた。耳まで熱くなって、鼓動が驚くほど早くなる。
「先程と反応が違って安心いたしました。伝わっていないだけかとは思っておりましたが、気づいた上で嫌がられているのかとも思いましたから。」
やはり先程の私の行動は大変よくなかったらしい。アルベールがどんな表情をしているのかは背を向けているのでわからないが、声音は嬉しそうだった。




