第3話 私と彼と不思議な猫 (2)
それから何人かのお客が来てアルベールが接客してくれたのだが、午前中とはうってかわって、彼の機嫌はとても良さそうだった。哀愁を帯びる表情もどこか色っぽさがあって綺麗だと思っていたが、やはり笑っている表情の方が好きだ。
(…いやいや、何を考えてるの私。)
本当にアルベールは美人だ。美しいプラチナブロンドの髪に、珍しい切れ長の真紅の目、すっと通った鼻筋にきめ細やかな白い肌。常に微笑みを絶やさない表情、高くもなく低くもない声は特に呪文を詠唱する時がとても綺麗で、物腰は柔らかくて接しやすい。手足も長く、普段から鍛錬を重ねている成果あって体も引き締まっている。剣も魔法も使えてとにかく強い。それっぽい格好をさせれば、きっと物語に出てくるような騎士様や王子様になれそうだ。モヤっとしてしまうが、女の子達が夢中になるのも無理はない。私も見慣れてきたとはいえ、たまにドキリとする。
(…いやいやいやいや。)
軽く頭をふって考えを霧散させると、店じまいを知らせる鐘の音が聞こえてきた。朝から降っていた雨は小雨程度になっているが、もう客も来ないだろう。営業中の看板を下げて、店の扉を閉めた。
「…そういえばあのお客さん、今日は来てないですね。」
「カミラ殿でしょうか。」
「…カミラさんっていうんですね。」
カミラという名だったのかと初めて知る。彼女はアルベールが目的でここに来ていたようなものなので、店主の私にはまるで興味がなく、話もアルベールにのみに語りかけることが多かった。常連客の名前を知っているのだが、彼女の名前を知らなかったのは、そういう事だ。アルベールが彼女の名を知っていたという事に驚き、またなんとも言えないモヤモヤした気持ちが湧き上がる。
「申し訳ございません、あの方はもうここにはいらっしゃらないでしょう。」
「えっ、アルベールが謝る必要はないですよ。元々、うちの商品には興味なかったみたいですし…」
アルベールがいなくとも、なにかうちの商品を気に入ってもらえてたならよかったのだが、そうはならなかったというだけだ。アルベールが彼女に言い寄られることを拒絶して、その結果、彼女が来なくなったとしても彼には何の非も無い。
アルベールが彼女と何を話したのかはすごく気になるのだが、ただの同居人と言うだけの関係で聞けるような立場ではない。軽く唇を噛んで聞いてしまいそうになるのを抑えていると、アルベールはにっこりと笑った。
「あの方には、私には心に決めた方がいるとお伝えしましたから。」
「えっ?!」
アルベールにそんな人がいるだなんて、初耳だ。考えてみれば、彼はアフロート王国の貴族の子息、しかも話を聞いた限りでは、父親は相当の権力を持っていると思われる。三年前、彼が囚われる前は十八歳、婚約者や恋人がいてもおかしくない。貴族社会は詳しくはないが、そんな話はよく聞くのだから。
(アルベールには、心に決めた人がいる…)
その事実はとても、私の心に重くのしかかってきた。そんな存在がいるのなら、呪いが解けたならきっとその人の元に行ってしまうのだろう。
「そう、だったんだ、ですか…」
動揺しすぎて変な喋り方になってしまった。何か言おうとしたのだが、結局何も口にできず、ぱくぱくと開いては閉じて俯いた。胸がきゅっと締め付けられるような感覚がして、片手で胸を抑える。
前々からたまに感じる、このザラザラとしたような不快な気持ち。薄々分かっていたのだ、これは嫉妬だ。そんなまさかとずっと目をそらしていたが、ここまではっきりと感じてしまえば認めざるを得ない。
「…あの、トモエ。何か勘違いなされているのでは…」
「え?」
「私には婚約者や恋人がいたことはございません。」
「ええ?!何で、考えていることが分かって…」
ばっと顔を上げて驚きに目を見開いた。頭の中を覗かれたような気分だ。少しほっとしてしまったのだが、心に決めた人がいるという事実が覆った訳では無い。魔法使いであるアルベールは、決して嘘は口にしないのだから。
「…トモエ」
「はいっ?」
「貴女には、はっきりと言葉にしなければと伝わらない様ですから…そろそろ、よろしいですか?」
「え、何がっ」
動揺しすぎて声が裏返り、恥ずかしくなって片手で口元を覆った。流石にここまでくると、自分の気持ちには気づいてしまっている。どこかでこの先のことを考えると、気づいてはならないと無理やり目を背けていた気持ちに。
だから、アルベールが今、私に伝えようとしているなにかがとても怖い。彼は私の気持ちには気づいていて、それの答えを口にしようとしているのではないか。それが拒絶や否定であればどうすればいいのだろう。そんなことを考えると、恐ろしくなって後ろに一歩下がったのだが、彼はその距離をゆっくりと詰めてくる。
「アルベール、ちょっと待っ」
「いいえ、待ちません。」
アルベールがこんなことを言ったのは初めてではないだろうか。多少強引なところは確かにあったのだが、言葉ではっきりと私の行動を抑制するようなことを言ったことは無かった。手を伸ばせば届くほどの距離になった所で、アルベールが立ち止まる。その表情はいつもより少し強ばっているように見えた。そして、彼は何かを言いかけて、何故か私の後ろを見て片手で頭を抑えた。思わずそれに後ろを振り返ると、閉めた店の扉の窓に人影が見えて、逃げるようにそれに向かう。
がちゃりと内に開く扉を開けると、イレーネの姿が目に映る。傘をさした彼女は、扉が開くとにっこりと微笑んだ。彼女がやってきたことで、アルベールとのやり取りが中断されたことにほっとしてしまう。
「遅くにゴメンね、どうしても話したいことがあって!…って、どうしたのトモエ?なんだか泣きそうな顔をしているわ。」
「え、いや、イレーネ…これは別に…」
そんなに分かるほど、泣きそうな顔をしていたのだろうか。彼女がそういうのだから、きっとアルベールにもそう見えていたのだろう。彼が表情を硬くしたのは、私のせいかもしれない。無理やり笑顔をうかべようとしたところで、ぎゅっとイレーネに手を掴まれる。
「…トモエ、ちょっと夕食を食べに行きましょう!二人で!」
「え?でも…」
「アルト、いいわよね?」
有無を言わせないようなイレーネの言葉に、アルベールは柔らかく笑んだ。それはいつもの笑みだ。
「…はい、店じまいは私にお任せ下さい。」
その声にどこか不機嫌そうな色を含んでいるような気がしたのは、私が意識しすぎているからだろうか。半ば強引にイレーネに手を引かれて、彼女の傘のしたに入れてもらう。扉を閉めた時に見えたのは、アルベールの背だけだった。どんな顔をしているのか、今何を考えているのかわからない。
イレーネが割って入ったことにほっとした。だが、本当によかったのだろうか。アルベールには自由であって欲しいといいながら、今、彼との会話を拒んだ。
アルベールが何を言いたかったのかわからない。私が逃げたことで、彼はその言葉を飲み込まざるを得なかった。拒絶されるのが怖いと、自分の身可愛さに、彼にはまた我慢を強いたのだ。
私は泣きそうな顔をしていたとイレーネは言った。アルベールが扉の向こうにイレーネの姿を見つけ、視線を向けたから、私は彼女がやってきたことを知った。そして逃げた…いや、逃がしてもらった。
(ああ、アルベールは本当に…)
ぎゅうっと胸が締め付けられる。アルベールのために何かをしたいと思うのに、私が大切にされているばかりのようだ。
「トモエ、大丈夫?」
「…うん、私は…大丈夫。」
はっきりと自覚してしまった。どうやら私は、アルベールに恋をしているようだ。




