第3話 私と彼と不思議な猫 (1)
アルベールは小屋の外で月を眺めていた。既視感を覚える光景に、これは以前にも見た事のある夢だと、私は夢を見ているのだと、不思議とそんな認識があった。
「アルベールは呪いが解けたらどうするんですか?」
目の前にいるアルベールの姿と、私が口にした言葉は、以前と全く同じものだ。
「色々と、考えてはいたのですが…」
アルベールの答えも以前と同じく、と思ったのだが違和感を感じる。本当に以前と同じだろうか。その言葉の続きをじっと待っていると、彼は困ったように肩を竦めて笑う。これは以前とは違う反応だ。
「ただ遠くに…私の事を誰も知らぬ、遠くへ逃れることが出来れば…しかし…」
世界を旅してみたいと、アルベールはいっていた。それは言葉通りの意味もあったのだろうが、今彼が口にしたことが本当の意味だったのだろう。誰も知らない、それは私も含まれている。呪いが解ければ彼は晴れて自由の身であり、私のそばにいる必要はなくなるのだから。
「…今もそう、思っています?」
「…はい。」
「…それは少し、寂しいな…」
ぽろっとこぼした本音に、慌てて両手で口を塞いだ。夢なのだからなかったことにして欲しかったのに、アルベールの耳にはしっかり届いてしまっていたようで、驚いたような目をしていた。
違うと言いかけたが、何が違うというのか。自分で自分の言葉がわからなくなってそのまま声を出せずにいると、彼は驚いたような表情から一転してどこか嬉しそうな表情を浮かべる。
「今のは本心でしょうか?」
また反射的に違うと言いかけるが、両手で塞いでいたため声にならなかった。塞いでいてよかったのかもしれない、私は嘘をつくところだった。魔法使いは嘘を口にしてはならないのだから。
しかしここで素直に頷ける性格なら苦労はしない、それを答えることなく一歩後ろへ下がる。だが、意外だったのはアルベールだ。一歩下がった私に三歩詰め寄ったのだ。突然近くなった距離にびくりと体を震わせる。彼の赤い目がじっとこちらを捉えていて、その目にゾクリとした。
これは夢だ、夢なのだ。そう何度も頭の中で復唱していると、更に一歩近づかれたので慌てて両手を静止のために前に突き出したのだが、その手を取られて思わず目を見開く。驚いている間に更に引き寄せられて抱きしめられ、心臓が飛び出そうになった。
「…これが夢だというのが口惜しい。」
夢の中のアルベールも、夢だという事を認識しているらしい。いや、そんなことよりもこの体勢だ、何故こんなことになっているのだろうか。
これは夢だ。夢なのだ。夢ということは私が望んでいることなのか。アルベールは優しいが、それを勘違いしてはいけない。そう思うのに、恥ずかしくてたまらないがこの状況を喜んでいる自分がいる。
(恥ずかしくて死にそう!早く起きて!)
そう強く念じた瞬間、意識がふっと遠のいた。目を閉じて開くと、薄暗い自分の部屋の天井が映る。夢を見ていたらしい。その内容は覚えていないが、ただ一言だけ、覚えていることがある。
「恥ずかしくて…死にそう…」
誰に聞かれるわけでもなくその言葉は宙に溶けて、ただ窓を叩く雨音だけが静かに響いていた。
その日、アルベールは朝から様子がおかしかった。外は雨であったためいつもの鍛錬は中止していて、そんな時は小屋の中で瞑想していたり、小屋の中に残されていた魔法関連の本を読んでいたりするのだが、そのどれもせずにただ座ってぼうっとしていた。時折吐き出すため息には哀愁が漂っている。話しかければいつものように笑顔で答えてくれるのだが、それ以外は先の通り。体調が悪いのかと休むように言ったが、体は大丈夫だとしか返ってこず。
店でも同じ様子だ。相変わらず女性客がほう、となるような柔らかい笑顔で接客しているのだが、客の姿が店内から無くなると、その表情が憂いを帯びる。彼だってなにも年中何時でも機嫌がいい訳ではないだろう、怒ることも悲しむことも、落ち込むこともある。だが、こんなにも顕著なのは初めてだ。
「あの、アルベール?」
「…いかがなさいましたか?」
昼前、客の姿が無くなった頃を見計らって声をかける。すると、彼はいつもの通り笑顔を浮かべて答えてくれるが、やはり声に覇気がなかった。
「どちらかというと、私がそれを聞きたい方で…何かあったんですか…?」
隠しきれていないのは重々に自覚があるのだろう。アルベールはバツが悪そうに視線を逸らし、小さくため息をついた。
「ご心配をおかけいたしました。…その、気になさらないでください。」
気を使ってくれているのかもしれないが、拒絶のようにも取れる言葉に悲しくなる。表情に出てしまっていたのか、アルベールが少し慌てたように、トモエ、と私の名前を呼んだ。
「…心配くらいさせてください。」
そう言うと、アルベールが目を丸くする。その少し後に何故か口元を片手で抑えたので、不思議に視線を向けると、アルベールは少し困ったように笑った。
「アルベール?」
「いえ、…不謹慎ですが、トモエが私を気にかけて下さることが、嬉しくて。」
「当たり前じゃないですか。…話せないことなんですか?」
アルベールは我慢強い方だと思う。彼の受けてきた境遇からも、普段のうまく表情を取り繕う様から見ても。だから、こんなにも簡単に分かってしまうほどに相当落ち込んでいるのならば、なんとか力になりたい。心配でじっと見つめていると、彼は首を小さく振って、観念したといったように話をしてくれた。
「少し、夢見が悪くて。その…欲を出してしまって、手にしたものを失う夢を。まるで、私には何も掴むことなどできないのだと、思い知らされたような気になってしまい、少し気落ちしておりました。」
「…そんな…夢ですから…」
「…私達のような魔力持ちがみる夢は、所詮夢と言いきってしまえないものもございます。」
「え…そ、そうなんですか…?」
アルベールは私達のようなと言ったということは、私が見る夢もなにか意味を持っていたりするのだろうか。ということは、今日見た夢にも何かあったのかもしれない。
「…トモエも何か、悪い夢を?」
「いえ、悪い夢とは思わなかったんですけど…」
私が見た夢について少し不安になっていると、アルベールがすぐに気づいたようだ。私はそんなにわかりやすいのだろうか。
「内容は覚えてないんですけど、すごく恥ずかしくて夜明け前に目が覚めちゃったんですよ…って、私の話じゃなくて…」
「…え?」
つい自分の夢を話してしまったが、それに何故かアルベールが驚いたようだ。珍しくぽかんと口を開けている。
「…アルベール?」
「…まさか…しかし以前にも…」
なにか考えこんでしまったようで、腕を組んで思考に沈みこんでいる。こうなると話しかけても反応が薄くなってしまうので黙って待っていると、暫くしてアルベールは考えがまとまったのか、問いかけてきた。
「トモエ、まさかとは思うのですが…私はその夢に出てきました?」
「…覚えていない…うーん…けど言われてみればそんな気も…」
すると、アルベールは先程までの憂いを帯びた表情から一転して、何故か嬉しそうな表情を浮かべた。
「そうですか…貴女はただ、お目覚めになられたのですね。」
「え、ええ?」
「そうですか…ああ、そうか…」
安堵して胸に手を当てている。何故かはわからないが、私が見た夢がなにか関係しているようだ。内容を覚えていないことが残念だ。
「貴女にとっては、悪い夢ではなかったのですね?」
「多分、そんな風には思わなかったはずです…」
「そうですか。トモエ、ありがとうございます。私の夢も、悪い夢ではなかったようです。」
アルベールはにっこりと笑っている。全く理解出来ていないのだが、彼の悩みは解決したようだ。それが何故なのか私にはわからないのが少し悔しいが、アルベールが悲しんでいないのならよかった。




