第2話 私と彼が望むこと (8)
イレーネとは昼食を共にしながら他愛もない話をし、楽しい時間を過ごさせてもらった。そのままどこかに出かける予定の彼女とは店で別れ、私はアルベールになにか食べられるものを買って帰ろうと、メニュー表と睨めっこしていた。
三ヶ月もひとつ屋根の下で暮らしていると、アルベールの食べ物の好き嫌いなども分かってきていた。肉よりも魚が好き、なんでも食べるが実は人参が苦手、極端に辛いものは好きではない。そこから考えた結果、揚げた魚と野菜をパンではさんだものを買い、包んでもらって持ち帰ることにした。
「それはアルト君の為に?」
「あ、はい。今お店をお願いしていて、きっとお腹がすいているでしょうから。」
「そうかい、じゃあこれもおまけしといてあげるよ。」
「わあ、ありがとうございます!」
この店にはアルベールと一緒に来たことが何度もあって、顔と名前を覚えてもらっていた。そのおかげか、彼がよく頼むスイートポテトのような甘い芋を一緒に包んでもらう。アルベールが喜びそうだな、と思ってうっかりニヤついてしまった。
「また、二人で来な。」
「はい、是非。」
ニッカリと笑った店のおじさんにありがとうと感謝を告げて、帰り道を急いだ。店のことはアルベールに十分に任せられるので不安なことは何一つないのだが、何故か無性に早くこれを渡したい。喜んでくれるだろうか、あの笑顔を自分に向けてくれるだろうか、そう思っていると自然と足は早くなる。
「アルト、今戻りまし…た…」
早足で戻った店の中には、アルベールと女性客の姿があった。昨日も一昨日もその前も、彼と懇意になろうと足繁くやってくる彼女だ。アルベールが店の裏の扉を開けて店内に入った私に目を向けたので、彼に目を向けていた彼女もそれにつられて後ろを振り返り、こちらを見て顔を顰めた。彼女からすればアルベールとの時間を邪魔されたようなものなのだろう。
「あら、店主ですの?」
「…これは失礼しました。いらっしゃいませ。」
一応は私が店主ということは覚えてもらっていたようだ。大して興味が無さそうに声をかけられて、慌てて礼をする。まじまじと見たことは無かったのだが、改めてこうして見てみると、可愛いが気の強そうな印象を受ける美人さんだ。
「私、丁度お昼ですからこの方とお食事の時間を取らせていただけたらと思っているのですけど。」
ちらりとアルベールを見やればとても困った顔をしていた。いつものように断っていたのだろうが、彼女は引き下がらなかったようだ。どのような断り方をしたのかは分からないが、そこにタイミング悪く私が帰ってきたことで、私に許可を得てごりおそうとしているといったところだろうか。
「えー…アルトにはお願いしたいことがありまして…」
「ご自身は食事を取りに行かれたように見えますわ。だと言うのに食事も取らせずに働かせるだなんて、冷たい方ですのね。」
うっと言葉に詰まる。彼女の中で私はどうやら、敵として認定されたようだ。助け舟を出そうとしたのだが、失敗して攻撃をくらってしまった。相手からすれば恋路を邪魔する敵なのだろうが、どんな理由であっても冷たい方と言われてしまうとやはり悲しい。少し情けない顔をしてしまったが、すぐになんとか愛想笑いを浮かべる。
だがそこで、いつもは困ったようながらも笑みを絶やさずにいたアルベールの表情がなくなっているのに気づいた。こちらを向いてしまっている彼女はそれに気づいていないが、彼はとても怒っているのだろう。
「…トモエ、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「そう、ですね…はい、わかりました。」
その表情が見れたのは短い間だけだった。彼女が振り返った時にはアルベールにはいつもの穏やかな笑みが貼り付けられていたので、彼女は何も気づいていない。私も、見間違えだったのではないかと思ってしまう。
「お休みの時間が取れましたの?」
「…ええ、少しの間ご一緒いたします。」
「まあ、嬉しい。」
こちらからは彼女の表情は見えないが、声音が先ほど私に向けられた冷たいものとはうって変わって、明るく上機嫌だ。嬉しさが滲み出ているが、それとは反対に私の機嫌は急降下している。
アルベールが少し準備しますのでというと、外で待っていると彼女は店を出た。本当にアルベールだけが目的のようだ。
「…すみません、余計なことをしてしまったみたいで…」
「いいえ、私を助けてくださったのでしょう。」
「助けるどころか、断れない状況にしてしまったというか…」
また、ざらりとした感情が湧き上がる。アルベールが私以外の誰かの誘いを受けて、二人でどこかに行くというのは初めてだ。しかもそれが私のせいでこうなったと思うと、余計に苦い思いが浮かぶ。
「…その包み」
「え?あ、これ…アルベールにと思ったんですけど、いらなかったですね。」
アルベールにと買ってきたものだが、今から食事を取りに行くのなら不要だろう。自分で食べようにも、先程昼食をとったばかりなのでお腹は十分に膨れてしまっている。勿体ないことになってしまったなと俯く。
「…いいえ、帰ってきてからいただきます。ありがとうございます。」
「え、でも…」
戸惑う私の包みを持つ手を、覆うようにアルベールの手が重ねられた。驚いて顔を上げると、嬉しそうな彼と目が合う。
「私の為に、貴女が選んで買ってきてくださったのでしょう。私はそれが、とても嬉しい。」
こんな顔をしてそう言われてしまえば、何も断ることができない。先程までの陰鬱な気分はどこへ行ったのか、アルベールのその笑顔が伝染したように、いつの間にかはにかんでいた。
不思議だ。こんな、ちょっとしたことで一喜一憂するだなんて。
「…、お客様は大切ですけど。アルベールが嫌だと思ったなら、無理しなくていいですから…ね?」
今まで数々の誘いを断ってきた彼が、その誘いを受けることにしたのは、私が罵られたからではないかと思う。店の評判が悪くなるのを避けようとしてくれたのではないか、きっとそうだ。
「ええ、これを機会にもう少しはっきりとお断りしておきます。…少し、あの方には辟易としておりましたから。」
「…アルベールでもそんなことを思ったりするんですね。」
「貴女に好く思っていただいているのなら嬉しいですが、私は、それ程出来た人間ではないのです。」
アルベールはそう言って苦笑いを浮かべる。彼も人間だ、嬉しく思うこともあれば嫌に思うことだってあるだろう。いつもそれを笑顔で上手く覆い隠しているから、気づきにくいだけだ。
「貴女からのお誘いであれば、何処へでも喜んでお供するのですが。」
「…また、そんな…もう…」
なんと答えていいのかわからず、頬に熱が帯びるのを感じて隠すように俯いた。上でアルベールが小さく笑う声が聞こえて、きっとからかわれたのだと思う。
「…すぐに、もどりますから。」
そう言ってアルベールはゆっくりと手を離した。その手が離されたことを、何故か残念に思った。小さく礼をしてから店の外に出ていく彼を見送ると、包みを持つ手に力が入っていたのに気づいて慌てて緩める。
今出ていったばかりだというのに、早く帰ってきて欲しい。なんだか落ち着かない気分だった。一緒にいることがあまりにも普通になってしまっていたからか、アルベールがいないことが不安だった。
「…お客さん、こないかなぁ。」
こういう時に限って、客がいない。いや、いないからあのようなやり取りができたのだが。
窓の外を見ると、空には重い雲がどっかりとのしかかっている。
見送った時に本当は行かないでほしいと思ってしまったことには、そっと蓋をしておこう。




