第2話 私と彼が望むこと (7)
「ふぁ…」
王都に構えた店の中、今日は閑古鳥が鳴いているのをいいことに、魔女の本を片手に欠伸を噛み殺す。
昨日、小屋にたどり着いた時にはすっかり暗くなっており、もう少し遅ければ危なかったかもしれない。遅くなるとは思っていなかったので、下準備もまだだった夕食の支度を慌ててしようとしたところ、アルベールも手伝いを申し出てくれたので有難くお願いした。包丁の扱いは彼の方が上手いような気がして、少し悔しい。夕食をいつものように共にし、一息つけば呪いを解こうと試みるのが日課だった。
呪いを解くのは、無数に絡まった糸を解いていくようなものだ。一つでも大変なのだが、アルベールにかけられた呪いは三つもある。絡まった糸同士がさらに絡まりあっているようなもので、複雑すぎて頭が痛い。
呪いをかけた本人ならば容易く解くことが出来るのだが、他者が解くとなると難しい。誰が、どのような魔力と呪法を持って、という情報があれば解きやすいのだが、無いので力技だ。無理やり絡まった糸を引きちぎっているようなもので、引きちぎった結果、更に解くのが厄介になるということもある。
結局その日も、いつもよりやる気があったというのに大して呪いを解くことが出来ずに終わった。彼の境遇を思うと、やるせなかった。だからという理由だけでもないのだが、エイダが私の為に遺してくれた魔女の本を夜遅くまで読んでいたせいで、寝不足だ。
「随分とお疲れでいらっしゃる。」
「うっ…ちょっと夜更かしして…」
「…それは魔女の本でしょうか。」
アルベールが私の手にした本に視線を向ける。この本は本当に私のためだけに書かれた本らしく、彼が本を開くことは出来ないし、見ても真っ白に見えるらしい。そんな手の凝った本を簡単に書き残せる魔女に近づくことが、彼を助ける最短の道だと思う。私の魔力の扱いがもっと上達すれば、呪いを解くのも容易くなるだろう。
「トモエ、あまり根を詰めて体を壊さぬよう…何よりも貴女が一番大切ですから、ご自愛ください。」
「えっ、う…」
受け取り方によっては甘い言葉に聞こえなくもない。前々からアルベールはそんなことを言うことがあったが、糖度が増しているような気がする。深い意味はないのだろうが、恥ずかしくなって返答に困った。
「でも魔法使いとして力をつけたくて、…ほら、呪いを解くためにも。」
「私の為に貴女が身を砕いてくださるのは嬉しい。ですが、私にとっては貴女が健やかであられることの方が、嬉しいのです。」
「あ、あ、アルベール、なっ、なんでそんなっ…」
鏡を見なくても分かる、きっと今の私は真っ赤になっている。両頬の赤みを隠すように両手で包み戸惑いの目を向けるが、アルベールはにこりと笑うだけで動揺した様子はない。
「思っていることを包み隠さず口にしているだけですよ。」
「う…っ」
ひどく動揺しているのは私だけだった。なんとも答えることが出来ず、手にした魔女の本に視線を落とす。そこに助け舟と言わんばかりに店の扉が開き、お客が一人店内に入ってきた。
「こんにちは、トモエ!」
明るい声に顔を上げると、そこには常連客である美少女イレーネの姿があった。
「イレーネ、こんにちは。」
「アイリーン殿。こんにちは。」
「まあ、アルトもいたわね!こんにちは。」
店にやってくる女性の客の殆どはアルベールを見て頬を赤らめる者が多い中、イレーネは何故かアルベールに対してこのようにツンとした態度をとることが多い。嫌悪といった悪い感情ではないが、なんと言えばいいのだろうか、何か張り合っているような感じだろうか。以前アルベールにその話をしたところ、彼女はトモエが大好きですからね、と言われ、なんのことかさっぱりわからずに終わったのだが。
「あなたのように毎日一緒でなくとも、私がトモエの一番の友達なんだから!」
「はい、存じております。その一番を欲しいとは考えておりません。」
「あら、まあそうよね!」
だが、なんとなく今のやり取りを見てアルベールの言っていたことがようやく理解出来た気がする。
ツンとした態度ではあるが不仲では無い。どちらかといえば仲がいいように見える。イレーネの歯にものを着せぬ物言いはアルベールにとっては気が楽だそうで、確かに彼のイレーネへの態度は、彼の気を引こうとする女性客に接する態度と違い、随分と砕けていると思う。
二人が並べば美青年と美少女、お似合いと言える。
「…ん…?」
なんと表現すれば良いのだろうか、ざらりとしたものを撫ぜるような、そんな気持ちの悪さを感じる。なんだろうと首を傾げるが、それは一瞬だけの事だった。
「トモエ、もうすぐお昼だから一緒に食べない?」
イレーネの誘いを受けて、考えこもうとしていた意識を引き戻してアルベールを見やる。
彼が店を手伝ってくれるようになったことで、昼の少しの時間を休憩に出ることも出来るようになった。
普段は昼前の少しの時間を、アルベールに店を任せて二階で昼食の準備をし、食事を交互に取っている。以前は朝のうちに簡単に食べられるものを用意しておいて、客がいない間を見計らって店の中で食べていたのだが、場合によっては食べられないこともよくあった。やはり人手が増えるのは大きい。
「どうぞ、楽しんできてください。」
アルベールは微笑んで、快く引き受けてくれる。こうして友人と昼に食事を共にできるのも彼の存在のおかげだ。
「アルト、ありがとう。お願いします。」
「はい、お任せ下さい。」
戻ってきたらアルベールと交代で彼には昼休みを取ってもらうのだが、きっといつものように外には出ないだろう。何か美味しいものでも買って持ち帰ってこようと、イレーネと共に店を出た。
「アルトは、トモエのことならいい人ね!」
イレーネはそう言って、花が咲いたような笑顔を浮かべる。天使のように可愛いなと思いながら、それにふと気になったことを聞いてみる。
「イレーネも、アルトが好みなのですか?」
「え?!」
心外と言わんばかりに目を見開いて驚いた声をあげられた。その様子に逆にこちらも驚く。
「いいえ、全く、まったく!ないわ!」
「えっ…そ、そんなに否定するんですか…結構仲がいいように見えたんですけど…」
「確かに顔は綺麗だけど、好みじゃないもの。それに腹の中が見えない感じは好きじゃないわ!」
酷い言われ様に苦笑いを浮かべるが、何故か少し安心している私もいた。イレーネはそんな私の様子を見て、にっこりと笑う。
「トモエ、心配になったの?大丈夫よ、私は横恋慕するほと下衆では無いわ!」
「えっええ?!な、何を言ってるんですかイレーネ、違いますよ!?」
「あら、照れているの?トモエは可愛いわね!」
イレーネが言い出したとんでもない事を必死に否定するも、もはや彼女の中では確定事項なようで全く取り合ってくれる様子はない。それどころか、からかうような様子に思わず顔を覆った。
「すごく女の子同士の会話って感じがするわ!」
「…私はもう女の子と呼べる歳なんかでは…」
「何を言っているのトモエ!恋する乙女はいくつになっても女の子なのよ!」
なんだその持論は、と頭を抱えたくなる。だが表情をキラキラさせながらそう語るイレーネはとても可愛いし、彼女の言う女の子同士の会話は、彼女とより親しくなれた実感があって嬉しいとも思う。ただ不服なのは、その話のネタが私だということだけだ。
何だろうか、今まではこんなことは無かったはずなのに。転機があったとすれば昨日、アルベールの話を聞いた事だろうか。そこまで考えて、自分に思い当たる節があったことに驚いた。




