第2話 私と彼が望むこと (1)
アルベールは小屋の外で月を眺めていた。月明りの下、その美貌故に神秘的で儚げにも見えるその姿に、思わず見惚れてしまう。こちらに気付いたアルベールが穏やかに微笑んだのをみてドキリとして、誤魔化すように隣に立った。
「…アルベールは呪いが解けたらどうするんですか?」
思ったことをそのまま聞いてみると、アルベールは困ったように眉尻を下げた。
呪いがある故に、彼の行動は制限されている。その呪いを解くことまでが私に出来る最大限の事だと思っていたので、この問いはただの好奇心であった。口止めの呪いが解けたのなら己の身に起こったこと、それを起こした人物を告訴することも出来るだろうし、生体反応と位置把握の呪いが解けたのなら遠い場所へ一人逃げることも出来るだろう。今は私のそばにいなければならないという制限があるが、完全に呪いが解けたのならアルベールは本当に自由になれる。その時に、彼がどう行動するのかが気になった。
「色々と、考えてはいるのですが…まだはっきりとは決まっておりません。」
「そうですか…」
「選択肢の一つとして、してみたいという夢はございます。」
それはなんだろうと彼に視線で問いかけてみると、アルベールは小さく笑って答えてくれる。
「世界を旅してみたいのです。祖国アフロートやこのエールランには無いものが、世界には多くあると伺っております。儘ならぬ身であった頃には行けなかった、そんな場所をこの目で見てみたいと、存じます。」
「わあ、いいですねそれ。」
アフロート王国やエールラン王国は、この広い世界の一部でしかないのだ。彼の口からその夢を聞いて、この二年間生きて居場所を得ることに必死で忘れていた自分の夢も思い出す。
お金を貯めて、老後は世界一周旅行にでも行きたい、その頃には結婚して子供も大きくなっているはずだから、夫婦で仲良く行けたらな、と。残念ながら、二十代前半に恋人ができて後半には結婚して子供を、なんていう私の人生計画はこの世界に迷い込んでしまったことで丸潰れてしまった。
だが、世界一周旅行は頑張ればこの世界でもできるのではないだろうか。車も飛行機もないけれどかわりに魔法があって、しかも私には膨大な魔力がある。立派な魔女になれた頃にはきっとゼロに近い戦闘能力もそれなりにはなるはずだ。
そんなことを考えていると、アルベールがこちらをじっと見ているのに気づいた。なんだろうかと視線を向けると、彼は笑って言葉を紡ぐ。
「…トモエ、もし…、」
「え?」
だが何かを言っているがうまく聞き取れなかった。ただ彼の優しげで美しい微笑みに、目を離せずにいる。アルベールがこちらに手を伸ばして、私の手に手を重ねる。そして彼の問いかけに答えを返そうと私は口を開き、
「…夢…、…」
目を開いて映った光景が自分の部屋の天井で、今まで見ていたものが夢だったということにはすぐに気づいた。リアルな夢だった。だが、目が覚めた直後ははっきり覚えていたのに、時間が経てば経つほどにその記憶が薄れていく。アルベールが出てきたこと、彼と何かを話していたことは覚えているのだが、その内容は一体なんだったのか。
(まあ、夢だしいいか…)
思い出せそうで出せないもどかしさはあるものの、仕方がないと諦めてベッドからモゾモゾと抜け出した。身支度を素早く済ませて、朝食の準備をしなければならない。
アルベールを匿うことになって、早三ヶ月。最初の頃はまさかの異性との同居にかなり戸惑っていた。特に風呂、この魔女の小屋には風呂場なんてものはなかったので小屋の外に露天風呂を作ったのだが、それはこの魔女の小屋には人間はそうそう辿り着けないという前提で作っていたものだ。なので風呂に入っている時は決して外に出ない等、彼には行動に制限をかけてしまったりと色々あったが、なんだかんだで二人の生活は随分と慣れて、落ち着いてきたものだ。
アルベールは家事に協力的だ。元々貴族で家事なんて経験などなかったのだろう、初めの頃は何も出来なかったものの、教えればすぐに習得したので、今ではほぼ完璧にこなしてくれる。…料理以外は。
料理の腕だけは何故か上がらなかった。包丁の扱いは上手いので具材をきることは私よりも上手いかもしれないのだが、そこから先はどうしても駄目だった。なので毎日の食事の準備は私が担当だ。私が作らなければ食べるものに困ってしまうのだ。
身支度を済ませて朝食の準備をすると、手ぬぐいを持って小屋の外に出た。朝の清々しい森の空気を肺いっぱいに吸い込んで、軽く伸びをする。深呼吸を何度かした後、庭へと向かうとそこにはアルベールがいて、彼は無心に剣の鍛錬をしていた。私が庭へ来たのに気づくと剣を収め、微笑みを浮かべて挨拶をくれる。
「トモエ、おはようございます。」
「…おはようです。」
アルベールの朝は早い。彼との生活をはじめて一度も先に起きることが出来た日がなく、私が起きる頃にはこうして剣の鍛錬をしていて、私が朝食に呼びに来るとそれを終えるというのが日課になっているようだ。何度か彼が剣を振るう機会があったが、その腕前は大したものだと思う。魔法使いとしても、その膨大な魔力とそれに引けを取らぬ知識と扱いの上手さは素晴らしいものだ。
剣も使えて魔法も使えて家事もできる、その上眉目秀麗。料理の腕だけは残念ではあるが。
「私の顔に、なにかついておりますか?」
「あぁすみません、…アルベールが夢にでてきたので、つい。」
不躾にジロジロと見てしまっていたようだ。慌てて謝ると、アルベールは何故か少し嬉しそうに笑っていた。
小屋から持ってきた手ぬぐいを差し出すと、アルベールはそれを受け取って軽く汗を拭く。その姿さえ絵になるなとぼんやり眺めていると、もどりましょうかと促されたので共に小屋の中に入った。
食事の席に着いて、今日の予定を確認し合う。アルベールはアルトという名で私の店で働いてもらうことになっていた。彼が店に立ってくれた事で、主に女性の客層が増えて薬以外の商品の売れ行きも大変良くなった。店の商品は魔法で何らかの効果を付与されたものが殆どで、今までは私一人で全て作っていたのだが、大変優秀な魔法使いであるアルベールもその制作に協力してくれている。
もちろんこれ程の貢献をしてもらっているので、それにできるだけ見合う給料は渡している。本人は最初は断っていたが、労働はきちんと評価されその対価は支払われるべきだと熱弁したところ、受け取ってくれるようになった。
「今日は予定通りお店は午前中まで、午後からは色々と森に採りに行きたいので、また護衛をお願いしていいですか?」
「承知しました。」
店だけでなく、こうして黒の森での素材の採集活動にもついてきてもらっている。アルベールが共に来てくれるようになってから、格段に私の黒の森の中での行動範囲が広がった。アルベールはとても、本当にとても強いのだ。
最初の頃は、戦える彼が一緒にいれば強い魔物が出ても二人ならばなんとか対処して逃げるくらいはできるだろうと思っていた。だが実際彼を連れて魔物に遭遇してみると、私の記憶の中にとても強い分類に格納されていた魔物もあっさりと倒してしまった。アルベールは私の記憶の中で最上級に強いに分類され、油断は禁物ではあるが、彼が一緒にいるというだけでかなり安心出来る。
「いつも頼りにしていて、すみません。」
「いいえ、頼りにして頂けるのならば、これ以上なく光栄の至りに存じます。」
アルベールは本当に嬉しそうに笑っている。負担をかけてしまっていることに申し訳なく感じる反面、こうして嬉しそうな表情を見るとこちらも嬉しくなってしまって、つい甘えてしまう。私もアルベールに初めて出会った時に頼りにされて、内心どこかで喜んでいたのと同じようなものだろうか。
たった三ヶ月だというのに、アルベールがいるのが当たり前になっていた。呪いが解けたのなら、彼はここからいなくなる存在だと分かっていたのだが、今の生活には彼がいなければならないようになっている。




