8:地下に萌芽する太陽
急造の執務室に、暴力的なまでの黄金の輝きが満ちていた。
スラムの広場を見下ろす崩れかけの建物の二階。
立て付けの悪い木の机の上には、ゴルド商会から合法的な賠償金として巻き上げた五百枚の金貨が、小さな山を作っている。
「……信じられねえ。これだけの金があれば、スラムの連中全員、一年は遊んで暮らせますぜ」
片腕のバーツが、震える指先で金貨の山に触れようとしては引っ込める、という動作を繰り返していた。
無理もない。末端の労働者からすれば、一生かかっても拝めない大金だ。
「遊んで暮らす、か。それはずいぶんと魅力的な響きだな」
俺は窓辺にもたれかかりながら、広場で湯浴みをしてはしゃぐ作業員たちを見下ろした。
だが、視線を卓上の金貨に戻した瞬間、俺の思考は冷徹な事業者のそれへと切り替わる。
「だが、現金のまま手元に置くのは愚者のやることだ。死蔵された資金は腐る。……バーツ、これを今日中に全額使い切るぞ」
「は……っ!? ぜ、全額ですか!?」
バーツの義手がガシャンと音を立てた。
「ああ。金というのは、新たな価値を生み出すためのただの『血液』だ。循環が止まった瞬間に組織は死ぬ」
俺は金貨の山を二つの革袋に無造作に分け入れた。
英雄時代、国王から下賜された莫大な恩賞を前にしても俺の考えは同じだった。金は使うためにある。
それも、最も投資対効果の高いインフラへ。
「一つ目の袋、二百枚だ。これで、旧坑道の裏手に広がっている『西の荒れ地』の権利書を、役所からすべて買い上げてこい」
俺の指示に、バーツはポカンと口を開けた。
「西の荒れ地……? ノア様、あそこは昔の採掘で出た毒素と瓦礫が混ざってて、雑草一本生えねえ死の土地ですぜ。そんな場所を買ってどうするんですかい」
「今は死んでいるだけだ。理由は後で分かる。急げ、役人がゴルドの件で怯えている今なら、底値で買い叩けるはずだ」
「……へえ。分かりやした。あんたがそう言うなら、裏があるんでしょう」
バーツは重い革袋を小脇に抱え、足早に執務室を出て行った。
残った三百枚の金貨が入った革袋を手に、俺は執務室を出て広場の隅へと向かった。
そこには、バルドの街の商人ギルドから爪弾きにされ、荷馬車一つで商売をしている小太りの男——はぐれ商人が、胡散臭い笑みを浮かべて待っていた。
「やあやあ、英雄にして新進気鋭のギルドマスター殿。私のような流れ者をわざわざご指名とは、お目が高い。して、本日のご入用は?」
男は揉み手で擦り寄りながら、荷馬車の幌を少し開けた。
中には出所の怪しい骨董品や、型落ちの魔道具が並んでいる。
「そんなガラクタに用はない」
俺は彼の足元に、三百枚の金貨が詰まった袋をドサリと投げ落とした。
重い金属音に、商人の細い目がカッと見開かれる。
「この金で、お前が手配できる限りの『早生の麦の種』と、魔獣の骨粉を加工した『燐肥』を買い集めろ。既存の商人ギルドに察知されないよう、闇ルートで今夜中にここへ運び込め」
「……麦の種と、肥料ですか」
商人は顎を撫でながら、意味深な視線を俺に向けた。
「奇妙ですねえ。この辺りには、それらを撒くためのまともな農地など一握りも残っていないはずですが。……まあ良いでしょう。私どものようなはぐれ者は、金払いさえ良ければ客の意図など詮索いたしません。今夜の月が隠れる頃には、確実に」
金貨の袋を抱え込むと、商人はニヤリと笑って荷馬車を引いて去っていった。
(大手商人ギルドの監視網を潜り抜け、『土』の栄養と『種』の調達は終わった。あとは——)
俺が次に向かったのは、甲高い金属音と蒸気の噴出音が絶え間なく響く、ヴィンデールの工房だった。
扉を開けると、油と煤にまみれ、目の下に深い隈を作ったヴィンデールが、作業台に向かってハンマーを打ち振るっていた。
「ヴィン、生きているか」
「ああん? アタシの辞書に限界なんて言葉はねえんだよ! ポンプの次はなんだ、ノア! 新しい機関の設計か!?」
目をギラつかせる彼女に、俺は一枚の図面を差し出した。
「いや、もっと重要なものだ。お前に『太陽』を作ってもらいたい」
「……はあ?」
ハンマーを振り上げていたヴィンデールが、ピタリと固まる。
「太陽? アンタ、ついに頭が沸いたのかい」
「至って本気だ。旧坑道から掘り出した魔喰石を加工し、光と熱を持続的に放つ照明装置を作れ。波長は植物の光合成に最適化させる。数は最低でも五十基だ」
俺の要求を聞き、ヴィンデールは図面をひったくるように見つめた。
数秒の沈黙の後、彼女の瞳に狂気じみた技術者の火が灯る。
「……なるほどね。魔力を光と熱の波長に変換するルーンを刻んで、反射板で一定方向に増幅させる。できなくはない。できなくはないが……アンタ、本気で地下を真昼間みたいにする気かい?」
「ああ。地上の天候や季節に一切左右されない、完璧な育成環境を作り出す。資金と資材は惜しまない。三日で形にしろ」
「三日!? ……やってやるよ! アタシの腕を舐めるな!!」
ヴィンデールは再びゴーグルを下ろし、凄まじい集中力で作業台に向かい始めた。
***
夕刻。
バーツが買い上げてきた権利書を手に、俺は旧坑道の入り口裏手に広がる『西の荒れ地』に立っていた。
ひび割れた大地。転がる有毒な瓦礫。
生命の気配など微塵も感じられない、正真正銘の死の土地だ。
俺の後ろには、作業を終えたガルムたちが集まり、ひそひそと囁き合っていた。
「おい、ノア様はなんであんなゴミみたいな土地を買ったんだ?」
「さあな。種と肥料まで買い込んでたらしいぜ。まさか、あの石だらけの荒れ地を耕すつもりか?」
「無茶だろ。あそこは昔の鉱毒が染み付いてる。何百人かけて耕したって、麦の穂一つ育っちゃしねえよ」
彼らの疑問はもっともだ。
普通の人間ならこの荒れ地を見て絶望し、農作など諦めるだろう。 だが、俺が見ているレイヤーは違う。
(上(地上)が駄目なら、下(地下)を使えばいいだけの話だ……)
俺は権利書をコートの懐にしまい込み、不敵な笑みを浮かべた。
大量の地下水、魔導機関の排熱、魔喰石の人工太陽、そして早生の種。
すべてのピースが噛み合った時、この旧坑道の地下浅層空間は、天候も害虫も外部の干渉も存在しない、世界初の『完全閉鎖型地下植物工場』へと変貌する。
間もなく訪れるであろう、既存商人ギルドによる「経済封鎖」という名の兵糧攻め。それすらも、俺の計算の内だ。
「さあ、種蒔きの時間だ。……この街の常識を、根底から覆してやる」
冷たい夜風が、俺のコートを大きく揺らした。




