5:一番星
旧大坑道の入り口は、男たちの荒い息遣いと、泥水の跳ねる音に支配されていた。
「ペース落ちてんぞ! 腕振れ! 次のバケツ回せ!」
元ゴロツキのガルムが、額に泥をこびりつかせながら怒号を飛ばす。
彼を起点に、数十人の作業員たちが一列に並び、坑道の奥から溢れ出す冷たい泥水をバケツリレーで外の排水溝へ掻き出していた。
作業開始から三日が経過している。
ノアの約束通り「温かい三度の飯」が支給されているとはいえ、長年スラムで栄養失調状態だった彼らの体力は限界に近づいていた。
手にマメを作り、腰をさすりながら、それでも這いつくばるようにバケツを回し続けている。
「……ノア様、こいつぁ流石にキツいですな」
現場監督のバーツが、義手で汗を拭いながら歩み寄ってきた。
「皆、飯のおかげで気力は保ってますが、泥水が湧くペースに掻き出しが追いついてやせん。このままじゃ、奥の採掘層にたどり着く前に過労で倒れる奴が出ますぜ」
「だろうな。だが、キャパシティを見極めるのもデータとして重要だ。……それに、バケツリレーは今日で終わりだ」
俺の言葉にバーツが怪訝な顔をした時、坑道の外からガラガラと重い台車を引く音が聞こえてきた。
「どけ! どきな! アタシの一番星のお通りだ!」
甲高い声とともに現れたのは、ドワーフの少女ヴィンデールだった。
顔は油と煤で真っ黒、目の下には深い隈ができ、ボサボサの髪には金属片が絡んでいる。徹夜続きなのは一目瞭然だ。
だが、その瞳だけは狂気を孕んだようなギラギラとした光を放っていた。
彼女が引いてきた台車に乗っていたのは、不格好な鉄の塊だった。
真鍮のシリンダー、大小の歯車、太いゴム管が複雑に絡み合ったそれは、まるで内臓を剥き出しにした巨大な鋼鉄の獣のようにも見える。
「ノアの兄ちゃん! ヴィンが『できた』って、工房からこれを引きずって……!」
荷押しを手伝わされていたレオが、ぜえぜえと息を切らしながらへたり込んだ。
「ご苦労だったな。ヴィン、バッテリーの出力調整は?」
「完璧さ。アンタの指定した『一定の魔力放出』の炉、アタシの計算通りに組み上げてやったよ!」
ヴィンはニヤリと笑い、懐から一つの石を取り出した。
先日拾った『魔喰石』だ。
だが、黒く澱んでいた石は、今は磨き上げられた水晶のように澄み渡り、内部で青白い魔力の光が一定の周期で脈打っている。
「……なんだい、そりゃあ。ただの鉄くずの山にしか見えねえが」
バケツリレーの手を止めたガルムたちが、怪訝な顔で集まってくる。
「ただの鉄くずかどうか、今から見せてやるよ! おいソコのデカブツ、この管の先を、水が一番深く溜まってるところに突っ込みな!」
ヴィンの指示で、ガルムが太いゴム管の先端を坑道の泥水の中へ投げ入れた。
もう一方の排出口は、外の太い水路へ向けられる。
「よく見とけ。これがアタシたちの……『魔導機関』だ!」
ヴィンが、台車の中心にある炉の窪みに、青白く光る魔喰石のバッテリーをカチリと嵌め込んだ。
直後——キィン! という高周波の音とともに、炉の内部に青白い火が灯る。
魔力が熱へと変換され、シリンダー内の水が一気に沸騰する。
シュゥゥゥッ! という猛烈な蒸気の噴出音が坑道に響き渡り、止まっていた巨大な歯車が重々しい音を立てて回転を始めた。
ガコンッ! ガコンッ! ズギュゥゥゥン!
鉄と鉄が噛み合い、ピストンが猛烈な速度で上下運動を開始する。
大地を震わせるような駆動音に、作業員たちが悲鳴を上げて後ずさった。
「ヒィッ!? な、なんだこのバケモノは!?」
「動いてる……!? 魔法使いもいねえのに、なんで鉄が勝手に動くんだ!」
彼らがパニックになりかけた次の瞬間。
ドバァァァァァァァァッ!!
排出口の管から、信じられない勢いで真っ黒な泥水が吐き出され始めた。
その水量は、ガルムたち数十人がかりで回していたバケツリレーの実に百倍近い。 鉄砲水のような勢いで水路に泥水が叩きつけられ、水しぶきが坑道の天井まで跳ね上がる。
「な……っ……」
バーツの口から、葉巻がポロリと落ちた。
ガルムは持っていたバケツを取り落とし、膝から崩れ落ちた。
他の作業員たちも、ただ口を半開きにして、凄まじい勢いで排水を続ける鉄の塊を見つめている。
今まで彼らが骨身を削り、泥だらけになって掻き出していた水が、スイッチ一つで見る間に引いていく。
坑道を満たしていた地下水の水位が、目に見えて下がっていくのが分かった。
「……ははっ、すげえ! アタシの計算通りだ! 本当に止まらない……魔喰石の出
力が安定してる! 動く、動き続けるぞ!!」
ヴィンが顔をくしゃくしゃにし、機械に抱きつきながら歓喜の声を上げた。
「……ああ。大成功だ、ヴィン。お前の天才的な設計と、魔喰石の特性が完璧に噛み合った」
俺は台車に歩み寄り、凄まじい熱と音を放つ『ネクサス製第一号魔導ポンプ』の金属板を軽く叩いた。
静まり返った坑道の中で、機関の駆動音と猛烈な排水の音だけが響き渡る。 俺は呆然と座り込んでいるガルムたちを振り返った。
「これがお前たちの『新しい腕』だ。……今日から、水を汲むような単純作業に筋肉を使う必要はない。お前たちには、もっと価値のある仕事をしてもらう」
人間の肉体の限界を、仕組みと技術で突破する。
俺が作りたかった『ネクサス』の真の姿が、今、産声を上げた瞬間だった。
猛烈な勢いで吐き出され続ける水路を見つめながら、俺は次の盤面に思考を巡らせていた。
これだけの水量が手に入ったのだ。
ならば次にやるべきことは一つしかない。
(ただ流し捨てればただの廃液だが、貯留し精製すれば、この死んだ街の完全な上水道と農場を支える生命線になる……)
「おい、ガルム。バケツは捨てろ。次は中央広場に、巨大な『貯水槽』を作るぞ」




