35:歪な人口動態
ドォォォォォォン……!
地響きとともに、ヴィンデールの工房から窓ガラスを震わせる爆発音が響いた。 続いて立ち上るのは、およそ自然界には存在し得ない、どぎつい発色をしたエメラルドグリーンの煙。
普通なら火事か事故を疑って救護班を走らせる状況だが、今のバルドでそんな無駄足を踏む者はいない。
「素晴らしい! 圧力が限界を超えて、不純物が一気に解離したぞ! 君の配管技術、震えるほど合理的だね、ヴィンデール君!」
「へっ、当たり前だよ! アタシの炉に火を入れさせて、ただの灰しか出さねえなんて真似はさせないよ、ヒョロガリ!」
煙の中から聞こえてくるのは、狂喜に満ちた二人の叫び声。
俺は執務室の窓から、煤けた煙突が緑色の吐息を漏らす様子を眺め、静かに息を吐いた。
「……代表。一応、確認させていただきます」
俺の背後。極北の吹雪よりも冷たい声が部屋を満たした。
財務長セリアーナだ。彼女の手元では、新調されたばかりの羽ペンが、まるで獲物の骨を噛み砕くかのような音を立てて帳簿の上を走っている。
「あのような、歩く公序良俗違反……いえ、言葉を喋る有害物質を、なぜバルドへ連れてきたのですか? 彼の滞在によって発生する潜在的な清掃コスト、および精神的苦痛による労働効率の低下を、代表はどう計算しておられるので?」
「全くです。先ほども訓練場の横を通りがかった際、『君の歩法は筋肉の連動として極めて非効率だ、一度解剖して繊維を確認させてほしい』などと戯言を。軍律違反としてその場で首を刎ねるのを堪えるのに、どれほどの自制心が必要だったか」
セリアーナに同調するように、壁際に立つレギナが長槍の石突を床に叩きつける。その瞳には、明確な排除の意思が宿っていた。
(……徹夜で数字の整合性を見て悦に浸っている女と、一日の睡眠時間を削ってまで槍の素振りを繰り返す女に、あの変態を笑う資格があるのか?)
俺は喉まで出かかった言葉を、熱いコーヒーと一緒に胃の奥へ流し込んだ。
この街の幹部は、揃いも揃って『何かの狂人』だ。
普通の人間に務まる職場ではない。
それは異常な環境にいた俺自身が一番よく理解している。
「感情はコストの無駄だ。イグナーツがもたらす『排煙の無害化』と『精錬効率の向上』がもたらす利益を考えれば、多少の奇行は維持費の範囲内だ」
俺は机に戻り、セリアーナがまとめた最新の住民・従業員台帳を広げた。
「それよりもセリアーナ、レギナ。装置の完成までに、俺たちが片付けるべき見えない負債が溜まっている」
俺の言葉に、二人の空気が一変した。
私怨を瞬時に切り捨て、組織の歯車へと戻る。
この切り替えの早さこそ、彼女たちがネクサスの支柱である所以だ。
「……了解しました。現在の集計データです」
セリアーナが指し示した羊皮紙には、残酷なまでに明確な数字が並んでいた。
「ネクサスの現在の従業員――すなわち、この街の直接的な人口は百五十人を超えました。当初の百十二名に、適性検査を経て雇用した三十八名。さらにイグナーツのような特務幹部。……ですが、その内訳は極めて歪です」
俺は提示された集計表を指でなぞる。
「男女比が、男八に対して女二。……重工業メインの弊害だな」
「ええ。魔喰石の採掘、鉄屑の運搬、そして土木工事。現状のバルドが必要としているのは何よりも『筋肉』ですから。必然的に、スラムから這い上がってきた頑健な男たちが優先される結果となりました」
レギナが厳しい顔で補足する。
「男ばかりの閉鎖環境は戦場と同じです。休日の娯楽もなく、発散されない血気は些細なきっかけで爆発する。最近、配給酒場での小競り合いが急増しています。部下たちが巡回を強化していますが、力による制圧だけでは限界があります」
人種比についても同様だ。人間が六割、獣人が三割、その他が一割。
亜人差別を撤廃しているネクサスには獣人が集まりやすいが、種族ごとに代謝率も、必要なカロリーも、生活様式も異なる。
差別などは不安と無知から生まれる不利益な病であり、これから新たな発展を目指すバルドにとっては一切の益を生まない。
レオのような子供から、ガルムのような巨漢まで。全員を同じ仕組みで管理しようとすれば、どこかに必ず摩擦が生じるのだ。
「筋肉に依存した重工業一本足打法では、この街は遠からず自壊する」
俺は思考を巡らせる。
「男の労働力は、怪我一つで無価値なコストに変わる。それを支える、より持続的な産業が必要だ。女性や体力の低い者でも安全に、かつ正確に外貨を稼げる仕事――軽工業の導入を急ぐ」
「……軽工業、ですか? 精密機器の組み立てや、紡績のような?」
セリアーナが眉を動かす。
「それだけじゃない。文字の読み書きと正確な計量ができる『事務官・文官層』の育成だ。今後の事業拡大で多国籍都市と渡り合うには、セリアーナ、お前のような数字の怪物をあと十人は揃えなければ、ネクサスの膨張する事務処理でパンクする」
俺たちが目指すのは、ただの鉱山キャンプではない。
国家の枠組みを超えた、自立した経済圏だ。
そのためには娯楽を供給するサービス区画、教育機関、そして多様な人材を受け入れるための住環境の整備。やるべきことが雪崩のように目の前に積み重なっていた。
「教育とインフラの多角化……。また莫大な予算が必要になりますね、代表」
セリアーナが、今度は「どうやって予算を絞り出すか」という隠しきれない歓喜を孕んだ瞳で俺を見つめる。
その時だった。
「出来た! 出来たぞ、マイ・ロード!!」
バンッ! と扉が爆風のような勢いで開き、顔を煤と紫色の不気味な粉末で真っ黒にしたイグナーツが飛び込んできた。
その手には、奇妙な多層式のフィルターが組み込まれた、小さな魔導機関の模型が握られている。
「イグナーツ! ノックという概念は存在しないのですか!」
セリアーナが即座に、殺気を込めた羽ペンを構える。
「貴様、その汚れた体で私の絨毯を一歩でも踏んでみろ。即座に強制労働刑だ」
レギナの長槍の穂先が、イグナーツの喉元一ミリの距離で静止する。
「ははっ、細かいことはいいじゃないか! 見てくれよ、これがバルドの空を変える『排煙浄化装置』の心臓部だ! 化学と蒸気の結婚、その初夜の成果だよ!」
白い歯を見せて笑うイグナーツ。
彼の狂気が、この歪な街に新たな風を吹き込もうとしていた。
「……いいだろう。その成果を、俺の帳簿に書き込んでみせろ」




