↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
28/37

28:三・八二倍の請求書

「……相場の三倍でいい」

 

 夜明け前の冷気に俺の言葉が溶けるより早く、ピシリ、と背後で羽ペンが不機嫌な音を立てて止まった。


「三倍? 代表、その根拠のないどんぶり勘定は今すぐ撤回してください」

 

 振り返ると、財務長セリアーナのアメジストの瞳に冷徹な光が宿っていた。


 彼女は手元の帳簿をパタンと閉じ、寸分の狂いもなく言葉を叩きつけてくる。


「不法侵入に伴う外壁の修繕費。深夜招集による警備部隊への割増手当。そして何より、万一反射炉が破壊され操業停止に陥った場合の機会損失リスク。これらを『ネクサス防衛規定』に基づき算出した結果、適正な損害賠償額は相場の【三・八二倍】です」


「……細かいな」


「経理に細かくない人間は、ただの浪費家です」

 

 容赦ないセリアーナの追撃に、傍らで槍の血糊を拭っていたレギナも深く頷いた。


「財務長の言う通りだ。部下たちはこのネズミどものせいで、貴重な『計算された睡眠時間』を奪われた。明日の訓練効率低下という目に見えぬ損害を思えば、一厘の割引も許さん」

 

 数字の狂女と、規律の鬼。

 この二人が結託した時の突破力は、どんな魔法よりも恐ろしい。


「分かった。三・八二倍だ。一厘の狂いもない請求書をガレリアへ叩きつけてやれ」

 

 俺の苦笑混じりの指示に、セリアーナは満足げに羽ペンをインク壺へ浸した。

 

 ***

 

 数日後の昼下がり。

 ガレリアへ放たれた莫大な請求書は劇薬となり、即座に実力行使という形で跳ね返ってきた。


「ノアの兄ちゃん! 来たぜ! モルディスの言ってた『使者』ってやつだ!」

 

 物見櫓からレオが叫ぶ。

 

 バルドの正門――分厚い丸太と鉄の杭で組まれた防壁の向こう側に、土埃を巻き上げてひとつの軍勢が押し寄せていた。


 先頭を進むのは、金糸の刺繍が施された豪奢な馬車。

 だが問題はその周囲を固める連中だった。


 錆びた鉄の胸当てを鳴らし、巨大な戦斧や長剣を肩に担いだ五十人を超える荒くれ者たち。商業ギルド連盟が金で買い叩いた『武装傭兵団』だ。


 彼らが放つ血と酒と体臭の混ざった匂いが、風に乗って防壁の内側まで漂ってくる。


「……随分と物騒な『お使い』だな」


 俺は防壁の上に立ち、眼下に広がる物々しい軍勢を見下ろした。


 隣には分厚い本を抱えたセリアーナと、長槍を手に静かな殺気を放つレギナが控えている。


 馬車の扉が開き、絹の服を着込んだ高慢な男――商業ギルドの特命使者が護衛に守られて進み出た。彼は防壁の上の俺たちを見上げ、底意地の悪い笑みを浮かべる。


「無法者どもめ! 私が商業ギルド連盟本部より遣わされた特命使者だ。貴様らが送りつけてきたふざけた紙切れ、確かに受け取ったぞ!」


 使者はセリアーナが書き上げた羊皮紙をこれ見よがしに丸め、泥の中に投げ捨てた。


「我がギルドの誇り高き調査員を不当に監禁し、あろうことか身代金を要求するとは! 非認可組織の分際で、世界の秩序を愚弄する気か!」


「調査員? 深夜に黒装束で壁を乗り越え、刃物に毒を塗って歩き回る調査員など、どこの世界にいる」


 俺は正門を開けることなく、冷淡に言い放った。


「彼らが視察を望むなら、営業時間内にアポイントメントを取るべきだったな。……不法侵入者に対する適正な手続きだ。お前たちが身代金と呼ぶそれは、ただの事務手数料に過ぎない」


「詭弁を弄するなッ!」


 使者の怒声に応じ、背後の傭兵たちが一斉に武器を叩き合わせ、威嚇の雄叫びを上げた。


 その圧倒的な圧力に、防壁の下で待機しているガルムたち警備部隊の顔に一瞬の緊張が走る。


「いいか若造! 貴様らには二つの道しかない。ひとつ、捕虜の無条件返還と非認可ギルドの即時解体。そして違法技術を供出すること。……ふたつ目は、ここで我々が実力を行使し、貴様らの首をガレリアの広場に晒すことだ!」


 絶対的な権力による、蹂躙の予告。


 だが俺は微動だにしない。


 傍らのセリアーナへ視線を送ると、彼女は抱えていた分厚い本をゆっくりと開いた。


「代表の言葉が理解できないようなので、条文を読み上げます」


 セリアーナの澄んだ声が、傭兵たちの不気味な咆哮を切り裂いて響き渡る。


「『ネクサス領地内法律』第四条第二項。――当ギルドの承認なき武装集団の境界線への接近、ならびに業務妨害を目的とした威嚇行為は、ネクサスの資産に対する明確な破壊工作と見なす。これに対し、当ギルドは自衛のための『実力排除』を無警告で行う権利を有する」


 既存の国家や連盟の法ではない。


 俺とセリアーナが書き上げた、このバルドの敷地内でのみ適用される、完全なる独自の『法』。


「ハッ……! 法律だと!?」


 使者が嘲笑を浮かべた。


「ただのゴミ捨て場が独立国家の真似事とは笑わせる! そんな紙切れが我々に通用すると思うのか! ええい、門を叩き壊せ! 逆らう者は皆殺しにして調査員を奪還しろ!!」


 使者の号令とともに、五十人の傭兵が一斉にバリケードへと殺到する。


 自らの腕力に絶対の自信を持つ戦場の荒くれ者たち。

 薄っぺらな木の扉など、数回の斧の一撃で粉砕できると信じて疑っていなかった。


「……やれやれ。言葉が通じない獣を相手にするのは、経理の仕事ではありませんね」


 セリアーナがパタンと法律書を閉じ、一歩後ろへ下がる。


 俺は防壁の下でじっと命令を待つ男たちを見下ろし、隣のレギナへと視線を向けた。


「聞いたな、レギナ。彼らは俺たちの法律を拒絶した。……ならば、物理的な説得の出番だ」


「承知した、代表」


 レギナは長槍をくるりと回し、広場に控える警備部隊へ向けて戦場を貫くような甲高い笛の音を響かせた。


「総員、構え! これよりネクサス警備部門の『初陣』とする! 一ミリの隙も、一秒の遅れも許さん! 我々の防壁の硬さを、あの獣どもに教えてやれ!!」


「「「おうッ!!!」」」


 ガルムたちの野太い咆哮が、バルドの空気を震わせた。

 剣は抜かない。魔法の光も輝かない。

 ただ、徹底的に規律化された『労働者たちの盾』が、暴虐の波を迎え撃つために押し出されていく。

いつもご愛読ありがとうございます。

本エピソードより、毎週「火・水・金・日」の週4日投稿に変更いたします。


何卒宜しくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。