26:刺客の影
中立都市ガレリア。
大陸の交易路が交差するこの街の、商業ギルド連盟の奥室には、重苦しい沈黙が満ちていた。
豪奢なビロードが敷かれた円卓の中央に、一本の無骨なレンチが転がっている。 鈍い銀色の光沢を放つ柄には、『交差する剣と歯車』の紋章が深く刻印されていた。
「……もう一度計れ。私の目が腐ったのかもしれん」
商業ギルド本部の査察官が、擦れた声で命じた。
傍らに控えていた老職人――職人ギルドで数多の業物を鑑定してきた男が、煤けた指先で精密な真鍮製のノギスを握り直す。
カチ、と金属が滑る微かな音が静寂を割った。
「……変わりません。十本すべて、顎の開きは一厘の狂いもなく同一。重さに至っては、ポンド以下のドラム単位まで完全に一致しております」
老職人の額から一粒の冷汗が落ち、レンチの金属肌で弾けた。
「これは名品などという生やさしい代物ではない……。一人の天才が一生を捧げて打った一点物なら、鼻で笑って捨て置けた。だが、これは違う。職人の手癖も、鋼の個性に由来する歪みすら存在しない『均一な複製』だ。……こんなものが市場に溢れれば、修行に十年を捧げる我々の弟子たちは路頭に迷う」
査察官の細い目が、憎悪を込めてレンチを睨みつける。
既存の職人ギルドは技術を秘匿し、限られた熟練者が高値で製品を囲い込むことで権威を保ってきた。
だが、最果ての廃棄都市で産声を上げたその製品は、彼らが築き上げた参入障壁を、根本から叩き壊そうとしていた。
「バルドだな。あの死に体だった街を根城にする、自称『救済組織』……。芽のうちに刈り取らねばならん。技術を奪い、炉を破砕し、代表の首を晒せ。幸い、あそこはまだどの国家の法も届かぬ無法地帯だ」
査察官が軽く指を鳴らすと、部屋の隅の暗がりがわずかに揺れた。
音もなく姿を現したのは、漆黒の装束に身を包んだ男。ギルドが裏で飼い慣らす、闇の処理屋だった。
***
一方、バルド。 夕闇が迫る執務室で、俺はモルディスが持ち帰った報告書をセリアーナとともに精査していた。
「……想像以上に早い反応だな」
俺が呟くと、セリアーナは不快そうに帳簿の端を指で弾いた。
「不当な中抜きで膨れ上がった巨大ギルドにとって、私たちの規格品は自らの存在を否定する毒薬ですから。モルディスの報告によれば、昨日からガレリアの市場でネクサスの刻印が入った工具が買い占められているそうです。技術の盗用か、あるいは証拠隠滅でしょう」
「市場の摩擦が熱を持てば、次は物理的な暴力へ波及する。……既定のプロセスだな」
俺は窓の外、広場で最終訓練を行っている警備部隊へと視線を向けた。
レギナの雷鳴のような怒声が、風に乗ってここまで届いてくる。
「セリアーナ、防衛コストの特別枠を計上しておけ。……レギナ、入ってくれ」
扉が開くと同時に、長槍を携えたレギナが滑るように足を踏み込んできた。
そのアメジストの瞳は、すでに戦場の冷たさを帯びている。
「呼ばずとも分かっている、代表。……さっきから北の防壁の外で鳥が鳴き止まない。風向きも妙だ。嗅ぎ慣れたネズミの臭いが漂っている」
「商業ギルドの刺客だ。狙いはヴィンの設計図とアルキメデスの炉、そして俺たちの口封じだろうな」
俺が立ち上がってコートを羽織ると、レギナは冷ややかに唇を歪めた。
「あの素人どもに、本物の命のやり取りというものを教えてやる絶好の機会だ。……私の首を狙う方が、魔物と対峙するより幾分マシだったと後悔させてやる」
「殺す必要はない。生け捕りにしろ。商業ギルド連盟と『正式な交渉』を始めるための、有力な手札にする」
俺の指示にレギナは不服そうに鼻を鳴らしたが、すぐに短く頷いた。
***
深夜。
バルドの街を囲む外壁は魔導ランプの光を絞り、深い暗闇の中に没していた。
警備隊のガルムは冷たい槍の柄を握り締め、レギナに叩き込まれた「死角を消す歩哨陣形」を維持しながら、壁の上を巡回していた。 隣を歩くレオの耳が、ピクリと揺れる。
「……ガルム。あっちの廃材置き場。風もないのに布が擦れてる」
レオの囁きに、ガルムの背筋を冷たい汗が伝った。
以前の彼ならパニックを起こして大声を上げるか、気づかずに背後から喉を割かれていただろう。だが今、彼の脳裏には鬼教官の教えが刻み込まれていた。
(慌てるな。無言で合図を送り、敵を自ら誘い込ませろ)
ガルムは懐の魔導信号機のスイッチを無音で押した。
暗闇の中から、影のように跳び越えてくる三つの人影。
彼らは足音一つ立てずに外壁を破り、ネクサスの工房エリアへと滑り込んだ。熟練の隠密たちだった。
だが、彼らが着地したその場所は、俺が計算し、ヴィンがトラップを仕掛け、レギナが配置を練り上げた完璧な『捕獲檻)』だった。
「――愚か者が。自ら檻に飛び込んでくるとはな」
暗闇の奥、積まれた耐火レンガの影から、レギナの低い声が響いた。
直後、四方から投光器級の強烈な魔導光が照射され、隠密たちの漆黒の装束を鮮明に浮かび上がらせた。
「……ッ、伏兵か!?」
隠密たちが短剣を抜き放つ。
だがその瞬間にはすでに、レギナの長槍が風を切り裂き、彼らの膝関節を正確に打ち砕いていた。
ネクサスという巨大な機構が、初めて外部の敵を噛み砕くために動き出した。
バルドの静かな夜が、金属の触れ合う鋭い響きによって塗り替えられていく。




