22:警備部門設立
カンッ、カンッ、カァァァン!
旧坑道下層、第一階層。
水が引いたばかりのぬかるんだ泥の床に、重い金属のハンマーが巨大な木の杭を打ち込む音が連続して響いていた。
「おいガルム! 押さえる手が緩んでるぞ! ここの地盤は水を吸って緩いんだ。もっと根元をしっかり踏み固めろ!」
「うるせえ木こり! 俺だって必死なんだよ! 泥で足が滑って……うおっ!?」
元ゴロツキの巨漢ガルムが足を取られて泥の中に派手に転び、全身を真っ黒に染め上げた。
だが、すぐに泥を拭って這い上がり、再び太い丸太の支柱に肩を押し当てる。
彼らが組んでいるのは、さらに奥の暗闇へと続く通路を封鎖するための強固な木製バリケードだった。
「ヴィン! 照明の角度をもっと奥へ向けろ! 暗がりからいつアレが飛び出してくるか分からない!」
「分かってるよ! 今、魔喰石の配線を……よし、点いた!」
ヴィンデールが魔導ランプのスイッチを入れると、強烈な光がバリケードの向こう側――数十メートル先の暗闇を切り裂いた。
そこには、俺が『掃討作業』を行っていたおびただしい数の魔物の残骸が転がっている。
作業員たちの顔には明確な恐怖が張り付いていた。 無理もない。つい数週間前まで、ただその日暮らしのパンを求めてスラムを文字通り這いずり回っていた連中だ。
こんな死臭の漂う地底で、いつ魔物が襲いかかってくるか分からない恐怖と戦いながら作業させられているのだから。
神様は力仕事の現場に『安全規格』という概念を配り忘れたらしい。
だが、誰一人として逃げ出そうとする者はいなかった。
この壁の向こうに新たな魔喰石の鉱脈があり、それが自分たちの給金と、三度の温かい食事を保証する『ネクサス』の資産になることを、彼らは痛いほど理解しているからだ。
恐怖を上回るだけの『対価』が、彼らの足をこの泥の床に繋ぎ止めていた。
「……随分と手際が良くなったな」
俺はバリケードの数歩手前で長剣を肩に担いだまま、彼らの泥臭い土木作業を眺めていた。
一帯の魔物は先ほどの俺の作業で片付いたはずだが、暗闇の奥からはまだチリチリとした嫌な気配が絶え間なく漂ってくる。
水没を免れていたさらに下層の連中が、血の匂いに惹き寄せられて上がってこようとしているのだ。
「ノアの兄ちゃん! バリケード、あと少しで塞がるぜ!」
「ああ。だが、少し急いだ方がいいかもしれないな」
俺の言葉とほぼ同時だった。
バリケードの向こう側、魔導ランプの光が届くギリギリの暗がりの奥から、ズズンッ、と重々しい足音が響いた。
「な、なんだ……!?」
ガルムが丸太から手を離し、息を呑む。
現れたのは、先ほどの四つん両脚の魔物たちとは明らかに格の違う巨体だった。
泥と鉱石の欠片を甲殻のように身に纏った、体長三メートルを超える巨大な多脚蟲。
その顎門からは、岩すら溶かしそうな粘着性の胃液がポタポタと滴り落ちている。
「ひぃっ……! デカすぎる! バリケードごと潰されるぞ!」
「トマス! 杭から離れろ!」
パニックに陥りかける作業員たち。
俺は深くため息を一つ吐き出し、ゆっくりと彼らの前に進み出た。
「またアレ(魔法)を使うか。」
俺は長剣を構え、深く息を吸い込んだ。 再びあの演劇じみた恥ずかしい詠唱を口にするのは御免だったが、物理的な質量差を覆すには、出力の高い付与魔法で一刀両断するしかない。
俺が魔力を練り上げようとした、その瞬間だった。
「――ナメるなあああッ!!」
背後から、ガルムの怒声が響いた。
振り返ると、彼は泥まみれの太い腕で建築資材の丸太を抱え上げ、防壁の隙間から突進してくる巨大蟲の足元に向かって全力で突き出していた。
「トマス! 手伝え!!」
「言われなくても!!」
トマスが反対側から丸太を支え、地面のくぼみに末端を固定する。即席の槍衾。
ギギィィィィンッ!!
勢いよく突っ込んできた巨大蟲の腹部の甲殻に丸太の先端が激突し、凄まじい摩擦音を上げた。
丸太はメキメキと音を立ててひしゃげたが、蟲の突進力を見事に殺し、その巨体を一瞬だけ空中に浮かせた。
「……上等だ」
作業員たちが作った、たった一瞬の隙。
魔法に頼るまでもない。俺は地面を蹴って跳躍し、空中に浮いた巨大蟲の柔らかい顎の下――甲殻の継ぎ目へと無骨な長剣を深々と突き立てた。
ギィィ……ヤァァァァァァッ!!
断末魔の叫びとともに緑色の体液が噴き出す。
俺はそのまま剣を振り抜き、蟲の神経節を完全に切断した。 ズドォォンッ! という地響きとともに、巨大な骸が泥の中に沈黙する。
「……はぁっ、はぁっ……。や、やったのか……?」
丸太を握りしめたまま、ガルムがへたり込んだ。
トマスも膝をつき、荒い息を吐いている。
「ああ。よく止めたな、お前たち」
俺は蟲の体液を剣から振り払いながら、彼らを振り返った。
恐怖で震えながらも、自分たちの『職場』を守るために咄嗟に丸太で防衛線を張ったその判断力と度胸。
スラムのゴロツキが、明確な『組織の防衛者』としての牙を見せた瞬間だった。
「だ、だがよ……」
ガルムが崩れ落ちた巨大蟲の骸を見ながら呻く。
「こんなバケモノがうろついてる場所で、安全に魔喰石の採掘なんてできるのか? 今回はノア様がいてくれたから助かったが、もし俺たちだけの時にあんなのが出たら……」
現場の切実な不安。 俺は剣を鞘に納め、手元の懐中時計を取り出した。
時刻を確認し、脳内で冷徹にコストを計算する。
(俺がここで剣を振るう時間は、本来なら執務室でセリアーナの持ってくる帳簿と格闘し、次の事業計画を練るための時間だ。俺一人の武力に依存した防衛体制は、時給換算で完全に『赤字』……組織のトップがやる仕事じゃない)
経営トップが自ら現場の警備員を兼任するなど、組織の形として未熟すぎるのだ。
それに、これほど広大な第一階層の防衛線を、俺一人で二十四時間カバーすることなど物理的に不可能なのだから。
「……ノアの兄ちゃん?」
黙り込んだ俺を、レオが不安そうに見上げる。
俺は懐中時計をしまい、泥まみれで座り込むガルムとトマスを見下ろした。
「ガルム。お前、先月の給金で酒を何杯飲んだ?」
「へ? ええと……六杯は飲んだが……それがどうしたってんだよ」
「その太い腕を、ただ丸太を運ぶだけの肉体労働で終わらせるには惜しい。そう思っただけだ」
俺の言葉に、ガルムたちがきょとんとした顔をする。
俺は、背後で魔導ランプの調整をしているヴィンデールの方へ振り返った。
「ヴィン。今の魔導ポンプの出力と、新しく見つけた魔喰石の鉱脈を使えば、アルキメデスが打つ規格化部品に簡易的な魔導回路を組み込むことは可能か?」
「簡易的な回路? まあ、魔力を刃に纏わせる程度の量産型武器なら、アタシの設計とジジイの腕でなんとかなるけど……誰が使うんだい?」
俺は再びガルムとレオたちに向き直った。
彼らの肉体は、連日の労働と十分なカロリー摂取によって、スラム時代とは見違えるほどに引き締まり、力が漲っている。
「ただの労働者の枠はここまでだ」
俺は、ネクサスの未来の防衛線を担う彼らに向かって新たな事業計画を宣言した。
「これより、ネクサス内部に『警備部門』を正式に設立する。……お前たちには、俺が直接魔物との効率的な戦い方を叩き込んでやる。給金は今の二倍だ」
剣だけじゃ人は救えない。 ならば彼ら自身に剣を持たせ、自分たちの職場を自分たちで守れる『システム』を構築するまでだ。
(だが……素人に剣を持たせるだけでは暴走するか犬死にするだけだ。軍事組織として統率し、規格化された防衛陣形を叩き込める『本物の指揮官』が欠けているな……)
限界集落の労働者たちが、初めて『戦う従業員』へと進化する血と泥の訓練が始まろうとしていた。




