21:掃討作業
湿り気を帯びた重苦しい空気が、旧坑道の下層へと続く石段に立ち込めていた。
排水が完了したばかりの床はどろりとした黒い泥に覆われ、歩くたびに嫌な吸着音を立てている。
松明の明かりが届く範囲は限定的で、その光の境界線から先は、数十年にわたって蓄積された暗闇が胃袋のように口を開けていた。
「……ッ! 来やがった!」
俺の数歩後ろで槍を構えていたガルムが、低く短い悲鳴のような声を上げた。
暗闇の奥、ぬらぬらと光る壁の影から四つん這いの影が這い出してきた。
かつてこの坑道で死んだ工夫たちの成れの果てか、あるいは水没した環境に適応した魔物か。死臭を煮詰めたような悪臭を放ちながら、濁った赤い眼光がこちらを射抜く。
「下がってろ、ガルム。レオもだ」
俺は腰のベルトから一本の無骨な長剣を引き抜いた。
「ノアの兄ちゃん、一人で大丈夫なのかよ!? 数が多すぎるぜ!」
レオの震える声が響く。
確かに、闇の中から這い出してくる影は十や二十ではきかない。
水が引いたことで安住の地を奪われた連中が、侵入者である俺たちに牙を剥こうとしているのだ。
剣を構えた俺は、群がり来る魔物たちを見て、ひどく深いため息を吐いた。
この数を普通の剣術だけで一匹ずつ処理するのは、カロリーと時間の無駄だ。
手っ取り早く『面』で制圧するには、アレを使うしかない。
(……だから、魔法は嫌いなんだ)
俺は内心で毒づいた。
数字や歯車は嘘をつかない。だが魔法という奴は『個人の魔力波長』だの『イメージの力』だのという不確定な変数に頼りすぎる。
おまけに、出力を安定させるためにはそのイメージを固定するための『鍵』――無駄に大仰で演劇じみた詩的な言葉(詠唱)を口にしなければならないのだ。
古代の魔導士が詠唱の台本を書いた時、神様は言葉のセンスを配り忘れたに違いない。
俺はひたすら感情を殺し、つまらない在庫確認の帳簿を読み上げるような、ひどく平坦な声で口を開いた。
「――鈍きものよ、名を捨てよ。巡る星の理に還り、夜を裂け。蒼き静謐、その姿を顕せ」
ヒュゴォォォォ……ッ!
恥ずかしいセリフとは裏腹に、俺の足元の泥が魔力の余波で円形に吹き飛んだ。
周囲の空気が急激に冷え、無骨だった長剣の刀身に息を呑むほど神聖な蒼白い光が宿っていく。
「……ッ! なんだよその光、すげえ綺麗だ……!」
背後でレオが感嘆の声を漏らすが、俺の顔は渋面だった。
無駄に輝きすぎる。隠密性もなければ、光の演出に魔力を割く非効率さ。
だが、威力だけは折り紙付きだ。
最前列の一体が、泥を跳ね上げて跳躍した。
俺は一歩も引かず、最小限の動作で蒼く輝く剣を斜めに振り抜く。
手応えはない。 熱したナイフがバターを割くように、蒼白の刃は魔物の肉体と骨を分子レベルで素通りした。
空中で真っ二つになった影が俺の両脇を通り過ぎ、背後の壁にベチャリと不快な音を立ててぶつかる。
「……一匹。次は左の三体か」
俺は背後のガルムたちが息を呑む気配を感じながら、さらに深い闇へと足を踏み入れた。
俺が剣を振るうたびに美しい蒼光の軌跡が宙に描かれ、その光の帯に触れた魔物たちが次々と音もなく両断されていく。
無駄な叫びも、高揚感もない。
ただ淡々と。工場現場に溜まったゴミをホウキで吐き出すように。
詠唱の華やかさと、剣技の美しさ。それと完全に乖離した『ただの掃討作業』としての冷徹な連続処理。
「な、なんだよ……あの強さ……」
ガルムの掠れた声が聞こえる。
無理もない。彼らが知る戦いとは、泥にまみれて取っ組み合い、血と汗を流すものだ。こんな、息一つ乱さず光の軌跡で機械的に切断していく姿など、想像の範疇を超えているのだろう。
「ヴィン、魔導ランプをこっちへ! 死角を消せ。隠れている連中も一掃する」
「……あ、ああ! 分かったよ、ノア!」
我に返ったヴィンデールが、急造の強力な魔導ランプを起動させた。
強烈な光が坑道の隅々まで暴き出し、壁に張り付いていた残りの魔物たちが悲鳴のような咆哮を上げて怯む。
俺はその光の中に浮かび上がった最後の一群へと踏み込み、蒼光の刃を凪いだ。
一分と経たず、通路を埋めていた影たちは動かない肉塊へと成り果てた。
「……掃討作業、終了だ。無駄に疲れたな」
俺は剣の刀身に残る蒼い光の供給をパチンと断つと、ため息混じりに鞘に納めた。
演劇じみた詩を口にした恥ずかしさと、魔法による無駄なカロリー消費で、どっと疲れが押し寄せる。やはり機械と数字に任せている方が性に合っている。
「兄ちゃん……あんた、本当に人間なのかよ。ただの代表じゃねえだろ……」
レオが畏怖の混じった瞳で俺を見上げている。
「ただの過労気味な経営者だよ。代表自らが剣を振るって床掃除をするのは、タイムパフォーマンスとして最悪の破綻状態だ。……早く専任のセキュリティ部門を作らなければな」
俺は魔物の死骸には一瞥もくれず、剥き出しになった壁の岩肌に近づいた。
松明を近づけると、そこには排水されるまで隠されていた、鈍い紫色の結晶が脈打つように埋まっている。
「……間違いない。未採掘の魔喰石の鉱脈だ。しかも純度が上層のものより明らかに高い」
俺の言葉に、ヴィンデールが駆け寄り、岩肌に顔を近づけて声を上げた。
「本当だ! これだけの純度があれば、第二号ポンプの出力をあと二割は上げられるよ! それに、この奥の空間……湿度が安定している。キノコや魔導野菜の地下農場に最適だ!」
「ああ。ここを制圧したことで、ネクサスの資産価値は倍に跳ね上がる」
俺は手元の帳簿を取り出し、羽ペンを走らせた。
今しがた見せた剣技の余韻など一切ない。 武力など、今やこの資源(数字)を手に入れるための、ただの解錠器具でしかなかった。
「トマス、ガルム。怯えている暇はないぞ。すぐにバリケードを前進させろ。ここを拠点にして、さらに奥の第一階層全体を『職場』に変える」
俺の冷徹な命令。 圧倒的な武力によって安全を確保され、そして与えられた『職場』という名の希望。
彼らは一瞬顔を見合わせた後、力強く頷いて作業に取りかかり始めた。
俺は、さらに奥へと続く真っ暗な坑道を見つめた。
血と鉄と数字で組み上げる、巨大な経済戦争の最前線だ。




