17:鉄を喰う胃袋
「右だ! もう少し右! お前らの目は節穴か!? そのレンガの隙間から熱が逃げたら、鉄じゃなくてお前らの間抜けな尻が焼けることになるんだぞ!」
旧大坑道の入り口付近に広がる作業場に、技術開発長ヴィンデールの甲高い怒号が響き渡っていた。
小柄な体は頭の先からブーツの底まで真っ黒な煤にまみれ、手には丸めた巨大な設計図面が握られている。
「おいおいお嬢ちゃん、俺の腰はかつてエルフの弓よりしなやかだって酒場の女将に褒められたもんだが、この石の塊をあと十個も運べば、バキッと真っ二つに折れちまうぜ」
元ゴロツキの巨漢ガルムが、肩に担いだ鈍色のレンガを下ろしながら大げさに顔をしかめた。
「エルフの弓だと? 笑わせるな! お前の腰なんざオークの腐った棍棒より脆いじゃないか。ほら、口を動かす暇があったら手を動かせ! モルタルが乾いちまう!」
隣で同じくレンガを積んでいた元木こりのトマスが、泥と灰を混ぜ合わせた接合材をコテで塗りつけながらガルムを鼻で笑う。
「ちくしょう、木こりのくせに石積みの腕ばかり上がりやがって。だがなトマス、もしこのレンガを足に落としてみろ。ドワーフの石頭より硬いってことを骨の髄まで味わうことになるぞ」
「安心しろ。お前のデカい足の甲に落とすくらいなら、先に俺のコテでお前の口を塞いでやる」
汗と泥にまみれた作業員たちの軽口が飛び交う中、巨大な建造物の基礎が徐々にその輪郭を現しつつあった。
俺は少し離れた岩肌に寄りかかり、手元の羊皮紙――セリアーナが作成した完璧なスケジュール表と、目の前の土木作業を照らし合わせていた。
「……耐火レンガの採掘ペースは予定通り。だが、モルタルの乾燥速度が坑道の湿気で想定より五パーセントほど遅れているな。換気用の魔導ファンを二基、こっちに回すべきか」
モルディスとの契約から数日。
彼がガレリアの街から大量の鉄屑を運んでくる前に、俺たちはそれを溶かすための『炉』を完成させなければならなかった。
ただの焚き火ではない。
サビだらけの剣や鎧をどろどろの液体に変え、再び均一な資材へと還元するための巨大な『反射炉(溶鉱炉)』だ。
「おい、ノア! そこで突っ立って数字ばかり眺めてないで、あいつらに言ってやってくれ! 魔法の炎をポンッと出せば鉄が溶けるなんて、お伽噺を信じてやがるんだ!」
ヴィンデールが図面を振り回しながら、俺の方へ駆け寄ってきた。
「まあ、無理もない。この世界の連中にとって、鉄を打つのは火の精霊の加護と魔法使いの火力頼みだからな」
俺が肩をすくめると、ヴィンデールは忌々しそうに地面を蹴った。
「精霊だの魔法だの、ヘドが出るよ! 鉄を溶かすのに必要なのは温度だ! そして温度を作るのは祈りじゃなくて密閉と反射の構造なんだよ!」
彼女はガルムたちの方を向き、声を張り上げた。
「よく聞け、脳みそまで筋肉の連中! 旧坑道の最深部から掘り出させたこの耐火レンガで作るドーム型の天井が、燃焼ガスと熱を炉の中に閉じ込め、鉄屑に叩きつけるんだ! 魔法なんて不確かなものに頼らずとも、石炭と空気の調整だけで鉄をドロドロのスープに変えてみせる!」
「ドロドロのスープねぇ。そいつは俺たちの胃袋にはちっとも優しくなさそうだ」
トマスが額の汗を拭いながら、呆れたようにため息をついた。
だが、その手は止まっていない。
彼らもまた、ヴィンデールの狂気じみた設計図がただの絵空事ではないことを、これまでのインフラ整備で嫌というほど思い知らされているからだ。
泥臭い手作業。 レンガを一つ一つ積み上げ、隙間をモルタルで埋め、風を送るためのフイゴの配管を繋ぐ。
魔法を使えば一瞬で終わるような工程を、彼らは自分たちの筋肉と汗で、物理的な質量として構築していく。
「……いい手際だ。だが、高負荷作業でカロリー消費が激しいな。レオ、アンナたちに指示して、今日の昼の配給には塩漬け肉のスープを多めに回せ。労働力の摩擦損失を防ぐ」
俺の言葉に、近くで指示を待っていた獣人の少年レオが「おうっ!」と元気よく返事をして、長屋の方へ走っていった。
やがて、坑道の暗がりに、黒々とそびえ立つ巨大な『腹』が完成した。
高さ十フィートを超えるドーム型の反射炉。
表面のモルタルはまだ生乾きだが、その圧倒的な質量と威圧感は、これから始まる『工業化』という名の怪物の産声を予感させるには十分だった。
「……ふぅ。とりあえず、外殻は完成だ。あとは火を入れてモルタルを完全に焼き固めるだけだよ」
ヴィンデールがゴーグルを額に押し上げ、真っ黒になった顔で誇らしげに笑う。
ガルムもトマスも疲労困憊で地面にへたり込んでいるが、自分たちが組み上げた巨大な炉を見上げるその目には、確かな達成感が宿っていた。
俺はゆっくりと歩み寄り、冷たい耐火レンガの表面に触れた。
ざらついた石の感触。
これが、バルドの特産品となる歯車やパイプ、引いては次なる魔導ポンプを生み出すための心臓部となる。
(炉はできた。だが、溶かした鉄を寸分の狂いもなく型に流し込み、規格化された部品へと仕上げる職人の腕が、まだこの街には欠けているな……)
俺は空っぽの、しかし貪欲に口を開けている炉の投入口を見上げた。
「上出来だ、ヴィン。これでどんな鉄屑だろうと残らず喰い尽くす胃袋はできた」 「当たり前さ! アタシの設計に狂いはないよ!」
俺はコートの襟を正し、静かに目を細めた。
「鉄を喰う巨大な胃袋は完成した。……あとは、モルディスが極上の餌を大量に運んでくるのを待つだけだ」
遠く、荒野の方角から吹き込む風が、微かに重い荷馬車の車輪が軋む音を運んできた。




