第二話 秀昭さん
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楽しい朝食が終わり、僕は今日一日の計画を見返す。
9:00 秀昭さんの部屋に朝食を届ける
9:30 仇岡さんをスケートリンクへ送る
10:30 亜我子さんとテニス
12:30 昼食
13:30 秀昭さんと将棋
15:30 仇岡さんを迎えに行く
16:30 亜我子さんの人生相談
18:00 夕食
19:00 カラオケ大会 (寿恵子さん欠席予定)
21:00 消灯
22:00 寿恵子さんを台所から連行
……よし。今日も一日頑張るか。
父さんが残したこのフォーヴ園を、絶対になくしたくない。
利用者は減っている。
赤字も続いている。
銀行からの電話も増えた。
それでも。
ここを失ったら、
あの人たちの夢まで消えてしまう。
そんな気がしていた。
まずは秀昭さんの部屋に行くか。僕はドアをノックした。
「秀昭さん、入ります」
静かにドアを開けて入る。壁際には本棚が並び、机の上には数冊の将棋雑誌と大量の紙片やノート、使い込まれたノートパソコンが置かれている。
「……来たか」
嗄れた声が僕を出迎える。ぶっきらぼうだが、不思議と悪い気はしない。僕はテーブルに少し冷めた朝食を置き、腰を下ろした。
「毎日色々すまんな」
秀昭さんは骨ばった腕で布団を押し、ゆっくりと上体を起こす。
「いえ、仕事ですから……」
冗談めかして言ってみる。
「……そうか」
秀昭さんは少し考え込むように目を伏せた。やがて静かに頷くと、机の上のノートパソコンを開いた。
将棋ソフト「EternalDream」が映すのは見慣れた光景だった。先手は盤石な角換わりの陣形を組んでいるのに対し、後手玉は三段まで進出している。何度見ても奇妙な光景だ。しかし、AIは圧倒的に後手有利を示している。
「ついに……」
「ああ」
画面を見つめる秀昭さんの目が、僅かに震えている。
そんな表情を見たのは初めてだった。
「完成したんですか……?」
鼓動が思わず荒くなる。
ところが。
「……否」
「は……?」
「その研究は、儂のものではない。七十七年前だったか……儂と、ある男が始めた研究じゃ」
秀昭さんは画面から目を離さない。
「馬鹿な男じゃった」
「……友達、ですか?」
「知らん」
「は?」
「弟子でもない。師匠でもない。ライバルでもない」
秀昭さんは小さく鼻を鳴らした。
「強いて言うなら、悪友じゃな」
そう言うと、机の上に散乱した紙片の中から、一冊の古びた大学ノートを引き寄せた。
色褪せた表紙には、震えるような字でこう書かれている。
『王様は前に出る』
「えっ?」
「今でこそAIは後手有利を示しとる」
秀昭さんはノートパソコンを指差した。
「じゃが、当時は誰も信じなかった」
「それはそうですよ」
「そうじゃ」
秀昭さんはあっさり頷く。
「儂も信じとらんかった」
「信じてなかったんですか!?」
「うむ」
「じゃあなんで……!?」
「面白そうじゃったからじゃ」
初めて見る顔だった。
秀昭さんは、少年みたいに笑っていた。
「王様は最後まで逃げるばかりではつまらん、と真顔で言いよった」
「変な人ですね」
「変人じゃ」
「王将は戦うためにある、とも言っとった」
「負けたらどうするんです?」
「負ける」
「いや」
「負ける」
秀昭さんは静かに頷いた。
「研究費を全部焼酎に使いおった」
「最低じゃないですか」
「うむ」
「怒らなかったんですか?」
「怒った」
「当然です」
「じゃが翌日には盤を抱えてきてな、『秀昭!!焼酎で思いついた!!』と言いよった」
「意味が分からない」
「儂も分からんかった」
「じゃが」
そこで一度言葉が途切れる。
部屋の中に、パソコンのファンが回る小さな音だけが響いた。
「完成を見せてやりたかったのう」
秀昭さんはそう呟いた。
「……その人は?」
秀昭さんは目を細めた。
「間宮久夢」
「馬鹿じゃった」
「酒癖も悪かった」
「負けるくせに、たまに誰も読めん手を指しよった」
「じゃが」
「一度も、夢を捨てん男じゃった」
僕たちは押し黙ったままパソコン画面を見つめた。不思議と気まずくはなかった。
数分後、秀昭さんがおもむろに口を開く。
「EternalDream……俺が間宮の将棋を組み込んだAI……」
秀昭さんは軽く咳払いをした。
「儂が、じゃ」
「これで、電王戦を優勝し、必ず世界最強AIを倒す……!!」
薄暗い部屋の中、彼の目だけが爛々と光っていた。
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