第30話:木曜日、見えない入札者(シャドウ・プレイヤー)の正体
4週目の木曜日。私立聖蘭学園2年A組の教室は、朝から異常な静寂と、それ以上に異様な「通知音」に支配されていた。
一ノ瀬舞夜が、震える手でスマートフォンの画面を凝視する。共有資産管理アプリのメンバーリストに、規約上存在するはずのない「6人目」の名前が刻まれていたからだ。
【新規参加者:N】
【所持ポイント:測定不能】
「……誰よ、これ。……凪沙さん、あなたの仕業!?」
舞夜が叫ぶが、今週のディーラーである霧島凪沙は、虚空を見つめたまま力なく首を振った。
「……知らない。……勝手に入ってきた。……追い出せない。ふわふわしてる」
その時、5人のスマホが一斉に、激しい警告音と共に震動した。謎のプレイヤー『N』からの全体チャットだ。
『N:面白いゲームだね。……ルールを少し書き換えさせてもらうよ。今から一番早く、一条凪に「冷たい缶コーヒー」を届けた人に、ボーナスとして1000pt進呈する』
「「「「1000ポイント……!?」」」」
教室内が激震した。凪沙が制定した「一律1ptルール」を完全に無視した、圧倒的なまでの資本注入。
1835ptを持つ絶対王者・藍澤凛ですら、この一撃で自分の優位が揺らぐことを直感した。
「ふざけるな! 1000ptなんて、ボクが今週必死に守り抜いた貯金が……! おい、誰だ『N』ってのは!」
だが、文句を言っている暇はなかった。聖奈もほのかも、そして舞夜までもが、反射的に教室を飛び出していた。1000pt。それは、次回のオークションで凪を丸ごと「買い占める」ことができるほどの魔力を持った数字だった。
一方、教室。一条凪は、自分の席で静かにスマートフォンを操作していた。
彼の指先が、管理者権限をハックして作り出した偽のポイント発行ボタンを、冷淡にタップする。
(……みんな、やっぱり「数字」には勝てないんだね。僕がコーヒーが飲みたいって言う前に、もう自販機へ走ってる)
数分後。息を切らして一番に駆け戻ってきたのは、瀬戸ほのか(55pt)だった。
「せ、先輩ぃ! コーヒーですぅ! ブラックですぅ! 受け取ってくださいぃ!」
「あ、ありがとう、ほのかちゃん。喉が渇いてたんだ。……嬉しいよ」
凪が微笑んだ瞬間、ほのかのスマホが狂ったように震えた。
『【愛の証明】最速の献身:1000pt獲得。 送信者:N』
「……やった。……やったぁぁ! 1055ポイント! これで私も、富豪の仲間入りですぅぅ!」
ほのかが歓喜の涙を流す横で、聖奈と舞夜、そして凛が、憎悪と嫉妬の入り混じった目で彼女を睨みつける。
凪はその光景を、冷めた目で見つめていた。
(……次は、これならどうかな)
再び、チャットに通知が飛ぶ。
『N:次の指示だ。今から5分間、一条凪に「一切話しかけず、1メートル以内に近づかなかった」人に、5000pt進呈する』
再び、教室が凍りついた。
「……5000ポイント? ……5000って、告白(1億pt)以外なら何でも買える額じゃない……!」
聖奈が、自身の愛と欲望の間で激しく葛藤し、一歩、また一歩と凪から後退した。
凛も、舞夜も、凪を「資産」として守るために、凪から距離を置く。
凪の周りに、ぽっかりと空白の地帯が出来上がる。誰も彼を見ようとせず、誰も彼に触れようとしない。全員が、手元のスマホに表示される「秒数」と「5000」という数字の虜になっていた。
凪は、その静寂の中でポツリと独り言を漏らした。
「……やっぱり、みんなポイント(数字)の方が大事なんだね。……僕が寂しいって顔をしていても、誰も助けてくれないんだ」
「「「「……っ!!」」」」
4人の胸に、鋭いナイフが突き刺さる。
凪の悲しげな声。それは演技ではなく、彼がこの数週間、自分たちが築き上げたシステムの裏側で感じ続けてきた「疎外感」の正体だった。
だが、5000ptという数字の重圧が、彼女たちの足を地面に縫い付けたまま離さない。
放課後。
凪はゆっくりと立ち上がり、5人を教壇の前に集めた。
彼女たちは皆、得体の知れない「N」への恐怖と、凪を悲しませた罪悪感で、俯いたまま震えている。
「……みんな。楽しかったよ、この1ヶ月。……でも、もう飽きちゃった」
凪はそう言うと、自分のスマホの画面を全員に見えるように掲げた。
そこには、謎のプレイヤー『N(Nagi)』の管理画面。そして、彼女たちの「愛」を数値化してきた、あの無慈悲なアプリのメインサーバーへのアクセス権が表示されていた。
「な、凪くん……。あなた、いつから……」
聖奈の声が震える。
「最初から違和感はあったよ。……でも、確信したのは今週だ。……君たちが僕を『予約』したり『落札』したりしている様子、全部ログに残ってたよ。……僕の土曜日、1835ポイントもするんだね。光栄だよ、凛」
「凪、それは違うんだ! ボクたちはただ、お前を守りたくて……!」
「数字で管理することが、守ることなの?」
凪の指が、画面上の赤いボタン――『全データ削除・サーバー解体』――の上に重なった。
「……さよなら、一条凪・運用スケジュール。……これからは、僕が僕の時間を決めるよ」
――デリート。
その瞬間、5人のスマホから全てのデータが消滅した。
1835ptも、447ptも、ほのかが手に入れたばかりの1055ptも。これまで彼女たちが「凪への愛」だと信じて積み上げてきた全ての数値が、ただの電子の屑となって消え去った。
真っ白になった画面を見つめ、5人は言葉を失った。
「……明日の金曜日。放課後、屋上に来て。……最後の『オークション』をしよう。……ポイントなんていらない。……君たちの、本当の気持ちだけ、持ってきてよ」
凪はそう言い残すと、一度も振り返ることなく教室を去った。
残された5人の手元には、もう何の価値も持たないスマートフォンの冷たい感触だけが残っていた。
---
■木曜日終了時の所持ポイント
全員:0pt(システム完全崩壊)




