第29話:月曜日、凪の逆襲と「ふわふわ(無力化)」の掟
4週目の月曜日。私立聖蘭学園2年A組の教室は、かつてないほどの「無音」に支配されていた。
黒板の中央には、弱々しい筆致でたった一言だけ、こう書き残されている。
『……みんな、ねむい。……ふわふわにする。 執行責任者:霧島 凪沙』
その黒板の前で、第4代ディーラーに就任した霧島凪沙が、自席で船を漕いでいた。彼女の手元にある管理端末は、今朝、全校の共有資産管理メンバーに戦慄の通知をバラ撒いたばかりだ。
【第4回運用フェーズ:特殊ルール発動】
名称:『ふわふわ・無力化の掟』
内容:今週の全奉仕ポイントを一律「1pt」に固定。高単価な感謝、特別な贈り物による加点を一切禁止する。
ディーラーの意図:「……ポイント、重いから。……みんな、ふわふわしてればいい」
「……なっ、ふざけないでよ! 1ポイント!? 一律1ポイントって、どういうことよ!」
窓際で一ノ瀬舞夜が、残り10ptとなった自分の画面を見て絶叫した。
先週までのハイパーインフレはどこへやら。凪沙という天然のバグが管理権を握った瞬間、この経済圏は一気に「超デフレ」へと叩き落とされたのだ。
1835ptという圧倒的資本を持つ藍澤凛ですら、このルールには顔を引きつらせていた。
「おい、凪沙! 1ptしか稼げねーなら、ボクのこの1835ポイントはどうなるんだよ! 差を詰められないどころか、インフレも起きねーじゃねーか!」
「……凛ちゃん、うるさい。……ポイント、数字ばっかり。……凪くんは、数字じゃない」
凪沙は眠たげな瞳で凛を見つめ、再び机に伏せた。
管理者が「ポイントの価値」を否定し始めたことで、聖奈(63pt)やほのか(55pt)ら「持たざる者」たちもパニックに陥る。1ptずつしか稼げないのなら、金曜日のオークションまでに凛の背中を追うことは物理的に不可能だからだ。
そんな阿鼻叫喚の教室内へ、本日の「運用対象」である一条凪が入ってきた。
だが、今日の彼の瞳には、これまでの「お人好しな常識人」の輝きはなかった。
「おはよう、みんな。……今日も、忙しそうだね」
凪の冷ややかな一言。
聖奈が慌てて駆け寄る。「お、おはよう凪くん! 今日もネクタイを直してあげ――」
「いいよ、聖奈。自分でできるから。……それよりさ、聖奈。これから二人で購買に行かないか? 少し話したいことがあるんだ」
教室内が、再び凍りついた。
通常なら、凪からの自発的な「誘い」は、全ヒロインが死ぬ気で奪い合う超高額オークション枠だ。だが、今はまだ月曜日の朝。誰一人として「入札」も「落札」もしていない、完全なノーカウントの時間である。
(……え? ど、どうすればいいの? 今の凪くんの誘いを受けたら、私は『不当な独占』としてケツバットの対象になるわ……!)
聖奈は、凛が管理するバットを思い浮かべ、ガタガタと震えながら答えた。
「ご、ごめんなさい凪くん! 今はちょっと……委員会の仕事があって! 放課後……放課後の『予約』なら空いてるかもしれないけれど……!」
「……予約?」
凪の瞳が、鋭く細められた。
「そうか。聖奈も忙しいんだね。……じゃあ、舞夜はどう? 一緒に中庭でコーヒーでも――」
「わ、私も……今はその、お肌のゴールデンタイムの調整中(※大嘘)で! ごめんなさい、一条君!」
舞夜までもが、凪の誘いを断った。
愛ゆえにルールを守り、ルールを守るために愛を遠ざける。その矛盾が、ついに凪の「核心」を突いた。
「……分かった。みんな、やっぱり何かの『スケジュール』で動いてるんだね。僕が勝手に誘うと、君たちの計算が狂っちゃうんだ」
「凪、違うんだ! ボクたちはただ……」
「いいんだ、凛。……大体分かってきたよ。……みんなが僕に優しくしてくれる『順番』があることも、僕が知らないところで何かが『取引』されてることも」
凪はカバンを机に置くと、スマートフォンを取り出した。
その画面には、先週から独自に調べていた「学園内ローカルネットワーク」の通信ログが表示されている。彼は決して馬鹿ではない。ただ、信じていたかっただけなのだ。
「……凪沙ちゃん。君の今のルール、僕は嫌いじゃないよ。……でも、もう終わりだ」
凪は一人、教室を去った。
後を追おうとするほのか(55pt)は、凪の背中に向かって泣き叫んだ。
「先輩! 待ってくださいぃ! ほのか、もう1ポイントなんていりませんぅ! 先輩が笑ってくれないと、生きてる意味がないんですぅぅ!」
システムの崩壊。
ヒロインたちが凪を管理しようと作り上げた「ポイント経済」は、凪の自発的な意志というイレギュラーによって、完膚なきまでに瓦解し始めていた。
放課後。凪は図書室の隅で、手に入れたURLを叩いた。
ブラウザに表示されたのは、自分が「商品」として出品され、1000ptを超える高値で売買されている、おぞましくも滑稽なオークション画面だった。
「……へぇ。僕の土曜日、1835ポイントもするんだ。……すごいね、凛」
凪の指先が、管理アプリの「退会」ボタンに重なる。
しかし、彼はまだそれを押さなかった。
「……分かった。それなら僕も、君たちの『ルール』に参加させてもらうよ。……買い叩かれた分のツケは、きっちり払ってもらわないとね」
常識人、一条凪。
彼が「商品」であることをやめ、「ディーラー以上の支配者」として覚醒した瞬間だった。
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■月曜日終了時の所持ポイント
藍澤 凛:1835pt(凪に誘われず、獲得0)
霧島 凪沙:384pt(管理者)
支倉 聖奈:63pt(誘いを断り、絶望)
一ノ瀬 舞夜:10pt(誘いを断り、後悔)
瀬戸 ほのか:55pt(泣いただけ)




