第6話 死んだはずの女
襲撃から十日で、街の音は戻ってきた。
瓦礫を積んだ運搬車が坂を下り、車輪が石畳の目地を踏むたび、腹に響く低い震動が伝わってくる。
その脇で果物売りが声を張り上げ、雨に洗われた石畳から白い湯気が立ちのぼる。
崩れた外壁の跡には、もう新しい足場が組まれ、溶接の火花が青く弾けていた。
焦げた金属の匂いと、熟れた果実の甘い匂いとが、同じ風に混じって流れていく。
壊れたものと、壊れずに残ったものとが、同じ通りに並んで、朝の光を浴びていた。
リラの店にも、いつもの静けさが戻っていた。
カイルは任務の合間に、幾度か扉の鈴を鳴らした。
長くはいられない。
それでも、部品を一つ買って、短い言葉を交わして帰る――それだけの時間が、いつのまにか彼の一日の区切りになっていた。
「……相変わらず、忙しそうね」
「まあな。片づけが、まだ終わらない」
短いやり取りの合間に、以前はなかった間があった。
どちらも、それを埋めようとはしなかった。
工具が金属を擦る硬い音だけが、店の奥で規則的に続いている。
鈴が、勢いよく鳴った。
「お姉ちゃん!久しぶり!」
ルーだった。避難先から戻ったばかりらしい。
頬を上気させ、息を切らして、堰を切ったように話し始める。
親戚の家のこと、遠くで見た軍の輸送機のこと、途中で食べた甘い実が、舌が痺れるほど酸っぱかったこと。
「……無事だったの」
リラの声が、少しだけ和らいだ。
「うん!ちょっと怖かったけど、平気!」
ルーは言うだけ言うと、店の隅の、いつもの場所に腰を下ろした。
埃を払いもせず、当たり前の顔で。
その定位置に子供が収まるのを見て、リラの肩から、ほんの少し力が抜けた。
カイルは、少し離れてそれを眺めていた。
素っ気ないのに、追い払わない。
壊れかけの部品を無言で子供の手に握らせる、その手つき。
店先でしか知らなかった女の、見たことのない横顔だった。
「……あの子に、随分甘いんだな」
「……甘くない」
そっけない返事だったが、口の端が、僅かにほどけていた。
*
同じ頃、本部の一室で、レインは一枚の静止画を見つめていた。
窓のない部屋だった。
空調の低い唸りと、端末の冷却ファンの音だけが満ちている。画面の中には、襲撃の夜、瓦礫の上に一瞬だけ映り込んだ影。
フードで顔は潰れ、輪郭しか残っていない。
だが、その踏み込みの角度、体重の乗せ方――静止した画面の中で、それは人の動きの範疇を、僅かに超えていた。
机の上には、束ねられた記録が積まれていた。
あの区画の通行記録、監視の断片、目撃者の証言。
指先で紙を繰ると、乾いた音が続き、線はやがて一軒の店に収束した。
コロニーの外れの、何でも屋。
店主の身元を辿ろうとして、レインの指が止まった。
戸籍。出生記録。居住歴。
どれも、途中で途切れている。
消された、というより、初めから在らなかったかのように、綺麗に。
ここまで痕跡を残さない生き方ができる人間を、レインは職務の中で数えるほどしか見たことがなかった。そのどれもが、まともな相手ではなかった。
別の部下が、傭兵時代の古い戦闘記録を照合にかけていた。
七年前、バーンロック。
感染者の暴走に、傭兵団が巻き込まれた戦闘だ。
回収された記録映像は、断片的だった。
カメラは戦闘の途中までしか捉えておらず、そこで途切れている。
それでも、映っている範囲だけで十分だった。
無駄のない関節の極め方、体重の運び方――その癖が、あの夜の映像と、指紋のように重なった。
照合率の数値が並んだとき、部屋の誰も声を上げなかった。
ただ、椅子の軋む音だけが、ひとつ、ふたつ。
「……この記録、続きは」
「ありません。ここで、対象は戦死扱いになっています」
映像の最後、傭兵の女は、返り血と自らの血にまみれて立っていた。
致命傷と判断できる出血量。
以後、消息は途絶。
遺体は混乱の中で回収されず、記録の上で、彼女はそこで死んでいた。
「妙だな」
レインは呟いた。
「七年前と同じ動きができている」
そして、その古い記録には、思わぬ副産物が紐づいていた。
バーンロックの戦闘は、感染者絡みだった。
当時の規定に従い、戦死者の遺留物は、感染源調査のための検体として一律に保管されていた。
彼女が最後に着ていた、血染めの装備。
それが七年間、倉庫の奥で、誰の手にも触れられず、冷たく眠っていた。
決定的な一片は、そこから来た。
あの襲撃の後、感染者から一体の異様な残骸が回収されていた。
感染者のなれの果て――だが、他のどれとも違った。
腕があり得ない方向へ膨れ上がったまま固まり、関節は裂け、皮膚の下から黒く変じた組織が覗いている。
生まれかけて、生まれきる前に、自らの変化に潰れて果てた。
研究者たちはそう結論付けた。
報告書の隅に、あの正体不明の影がこの個体の傍にいた、と書き添えていた。
残骸に混じっていた、ごく微量の別種の体液。
個体自身のものでも、通常の感染者のものでもない、第三の何か。
それを、倉庫から引き出した七年前の血染めの装備と、照合にかけた。
結果を前にして、担当の研究員は、言葉を選ぶのに手間取った。
喉の奥で一度、唾を飲む音がした。
「……一致、です。変異体に付着していた体液と、七年前の戦死者の血液。同一人物のものです」
そして、と、研究員はもう一組のデータをモニターに並べた。
関与の疑われる、出どころの掴めない感染者の検体。
三つの波形が、重なる部分で、静かに脈打っている。
「そのうえで、この血液には、感染者の組成と共通する構造が見られます。断定はできません。……ですが、この変異体は、外から何かを注ぎ込まれて、それに耐えきれずに壊れたように見える。注ぎ込んだ側が――この血の持ち主だとしたら」
部屋の空気が変わったのを、レインは肌で感じた。
うなじの産毛が、僅かに逆立つ。
七年前に死んだはずの傭兵。
あの夜、影となって現れた店の女。
そして、感染者を生み出しかねない血。
三つが、一人の人間へ収束した瞬間だった。
腕の立つ正体不明の戦力、という括りが、そこで崩れ落ちる。
あの女は――星系をいくつも呑んできたあの災厄の、根に触れている。
「接触する」
レインは静かに言った。
「最優先で」




