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第24話 黄色い光

――数が減らない。


一体倒すごとに、区画の奥の暗闇から這い出てくる。

檻は六段。

奥は明かりの届かない先まで続いている。

数えきれない檻に何が入っていたのかを、カイルは考えないことにした。

既に弾倉は二つ空だ。

もうすぐ三つ目も空になる。


アーネストは壁沿いを四十メートル往復していた。

三度、追いつかれかけた。三度とも、リラがそこにいた。

彼女は区画の端から端へ動き続けていた。


カイルの背後。

アーネストの背後。

檻の上。

床。


一つの体がそんなに何度も、そんなに遠くへ届くはずがなかった。

だが、届いていた。

カイルはいつからか彼女を目で追わなくなった。

追えないからではない。追う必要がないからだ。


来て欲しいときにそこに居ると分かっていた。

そのことを彼は後から思い出す。

自分が、何の疑いもなく、彼女がそこにいると信じていたことを。


「――中尉!!」


暗がりの奥から、アーネストの声が返ってきた。

区画の最奥。

空気が一段と重く澱んでいる。

饐えた油と、焼けた埃のにおい。

息を吸うたび、舌の裏に鉄を舐めたような苦みが張りついた。

彼の携行灯が壁の一点だけを切り取っている。

光の輪郭の外は、塗りつぶしたような闇だ。


部屋の中央に、天井まで届く円筒状の装置がそびえていた。

配管と太いケーブルが、床へ壁へと蜘蛛の巣のように這い、その根本だけが——まだ、低く唸っている。

腹の底に居座る、途切れない振動。床材を伝い、靴の裏から脛へと這い上がってくる。


「こっちです」


アーネストが照らしていたのは、その制御盤だった。

壁に半ば埋め込まれた、金属製の端末。


その表面が、細かく震えていた。

指を伸ばせば、痺れるような微動がそのまま伝わってくる。


「ありました!これです、ここから出てます!」


「――止めろ!」


「止め方が分かりません!」


「壊せ!」


「――壊すと、」


アーネストが迷った。

一瞬だった。

彼は天秤にかけたのだ。

これを壊せば記録も消えるかもしれない。

答えが消えるかもしれない。

彼はそれを持って帰るために、ここへ来た。


「――アーネスト!」


彼は、手にしていた携行端末を床に置いた。

冷えた床材に、金属の縁が硬い音を立てる。

それきり、両手が空いた。

壁の大半を覆う鉄の面。

その中央に、握りのついた中核ユニットある。

掴んだ。

掌に、氷のような冷たさが食い込んだ。

引いた。――抜けない。

鉄の角が皮膚へめり込み、汗ですべる。歯を食いしばる呼吸が荒く短くなる。

それでも、ユニットは軋みひとつ返さない。

彼の背後に感染者がいた。

濡れた喉の鳴る音。饐えた肉と、腐った甘みの混じったにおいが、背後から一気に押し寄せた。

舌の奥が、ぬめるような不快さでざらつく。


「――アーネスト!!」


抜けた。

機械の壊れる無機質な音の重なりが、掌の痛みごと引きずり出される。

配線がいくつも千切れて垂れ、垂れた線の先で、火花が一度だけ弾ける。

音が、止まった。

腹の底に居座っていた唸りが消えた。

振動を失った床が、ただ静かに冷たい。

耳の奥だけが、まだ鳴っていた。

その一瞬だけカイルは体が軽くなったと錯覚した。



振動が消えても、感染者は止まらなかった。

一体がアーネストの背に届く。


「――伏せろ!」


カイルは撃った。

個体の頭が砕けた。

ぬめった熱が飛沫になって散り、火薬の焦げくささに鉄錆びた血の匂いが混じる。

その体が勢いのまま、アーネストにぶつかった。

二人分の重さが床に落ちる。

金属の格子が、鈍く軋んで撓んだ。

記録媒体が、アーネストの手から離れた。


「――拾え!走れ!」


アーネストが這ってそれを掴んだ。

汗ですべる掌が、一度、硬い外殻を逃す。

立ち上がろうとして、滑って、また掴み直した。

膝が床の格子に食い込む鈍い痛み。

指の中で記録媒体の角が食い込む。


感染者は待たない。

だが、先ほどとは変わっていた。

カイルにはそれが分かった。

あの気味の悪い正確さが消えていた。

二体が同じ獲物へ飛びつき、互いにぶつかる。

一体は檻へ突っ込み、鉄格子に身体を挟んだまま暴れる。

誰も代わらない。

誰も埋めない。

群れが、群れではなくなっていた。


カイルは撃ちながら思った。

これが感染者だ。

俺が報告書に書いてきた感染者だ。

じゃあ、さっきまでのは――


「――中尉、後ろ!」


リラが既にそこにいた。

彼女の腕が一体を掴む。

投げた。

檻の三段目に鉄格子ごとめり込ませる。

ひしゃげた金属が耳障りな高音を引いた。


リラはその動きの終わりで着地した。

――そしてもう一歩。


カイルは、それを見た。

十分間。

彼女は一度も、無駄な動きをしなかった。

なにかおかしい。

カイルが違和感を口に出す前に、天井が鳴った。

空気が圧された。

鼓膜の内側を、見えない掌が押してくる。

それから、音に気づいた。

高い二音。

交互に区画の壁の四方から。

頭蓋の芯に刺さる逃げ場のない反響。


赤い光が、消えた。だが暗くならなかった。

代わりに黄色が点いた。点滅ではない。

連続し光が黄色に塗り潰す。

鉄格子も、床の血溜まりも、リラの頬も、ひとつの色に沈んだ。


『――封鎖シーケンス、開始』


天井のどこかから声が降ってきた。機械的な女の声。


『生物学的封じ込め手順、第一段階。全区画、換気を停止します』


音が、消えた。ずっと鳴っていた送風の音。

入った時から鳴っていて気づきもしなかった音。

それが、消えた。

途端に空気が動きを止め、鼻の奥で血と汗のにおいだけが濃くなる。

皮膚にまとわりつく生あたたかい淀み。


「――アーネスト、今のは何だ」


「――分かりません!」


『第二段階。区画間隔壁を閉鎖します』


通路の方で音がした。

重い金属が、上から落ちる音。

一つ、二つ、三つ。

床がそのたびに踏まれたように震え、靴の裏へ衝撃が這い上がる。

こちらへ、近づいてくる。


「――走れ!!」


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