第23話 命令変更
「転送します」
アーネストが言った。
「感度四十七なら通ります。索引だけなら、容量も知れてる。……艦に上げてしまえば、この記録媒体がどうなろうと、データは残る」
「やれ」
「――はい」
画面を叩いた。送信。
その瞬間。
ずっと鳴っていたあの機械の音。
低く連続した遠い唸り。
それが鳴りやんだのでもなく、大きくなったのでもない。
周期が、変わった。
腹の底で何かが押された。
「――何だ、今の」
カイルは銃を上げていた。
上げてから何に向けたらいいのか分からなかった。
「聞こえたか」
「……聞こえてません」
アーネストが、端末を握ったまま、動かない。
「聞こえてないんです。……でも、拾ってます」
彼が端末を回した。
波形が走っていた。
規則正しい。
「十七ヘルツ。……人間の可聴域の下です。耳では聞こえない。でも体は受け取ってる。中尉が今それを感じたなら、それは耳じゃない。内臓です」
「どこから出てる」
「――壁です」
アーネストが、天井の隅を見た。
「この施設、全部の壁からです」
赤い光が、消えた。
四秒の暗闇。
その暗闇の中で、音がした。
金属が、擦れる音。
一つではなかった。
光が、点いた。
檻から音がした。
三段目の、一番端。
膝を抱えて干からびていた、あれ。
顔を、上げていた。
「――嘘だろ」
カイルはその檻を見た。
その隣の檻も。
二段目。
五段目。
四段目の、三つ。
一段目の、奥から二番目。
全部が、顔を上げていた。
同じ角度で。
同じ速さで。
「アーネスト、こいつらは死んで、」
「死んでました」
アーネストの声が、裏返っていた。
「死んでたんです。……心臓が動いてない個体が、なんで」
その全部が同じ方向を見ていた。
三人ではなかった。
区画の奥。
光の届かない、その先。
音が来ている方向だった。
「……奥を見てる」
カイルは、掠れた声を出した。
「俺たちじゃない。何を……」
一秒。
二秒。
三秒。
そして、全部が同時に首を回した。
音が鳴った。十数体分の頸椎の音だった。
その全部が、アーネストを見ていた。
正確には彼の右手を。
手袋の裂け目を。
赤い光が、消えた。
暗闇の中で喉が鳴りはじめた。
低く。
十数体分。
区画全体で。
「――アーネスト」
「はい」
「走れるか」
「……はい」
「まだ走るな」
光が、点いた。
檻の扉が開いていた。
内側から押されて。
*
一体目は、正面から。真っ直ぐだった。
カイルは迷いなく撃った。頭部に二発。
倒れる、その瞬間にカイルは違和感を掴んだ。
こいつは遮蔽物を使わずに、開けた床を真っ直ぐ走ってきた。
そんなものは、撃たれるために走ってきたようなものだ。
「――囮だ!」
彼が振り返るのと、二体目が檻の列の陰から出るのが同時だった。
アーネストの背後。
三メートル。
カイルは、間に合わない位置にいた。
――リラが動いた。
カイルは、彼女の姿が消えたように感じた。
次に彼女の姿が見えた時には、二体目の頭が床に叩きつけられていた。
大きな金属が響く。
「――アーネスト、下がれ!壁を背にしろ!」
三体目。四体目。五体目が、同時に檻の隙間から現れた。
そして、その三体は同じことをした。
一体が、正面。囮。
二体が、左右から。
正面の一体は撃たれるために出てきた。
左右の二体は、その隙にアーネストへ回り込む。
さっきと、同じだ。
まったく、同じだった。
「――こいつら」
カイルは、正面の一体を撃たなかった。
左の一体を撃った。
すると正面の個体が止まった。
止まって、動きを変えた。
正面から来るのをやめて、右へ回った。
残った右の個体は、逆に、正面へ出た。
役割を交換した。
一秒もかからなかった。
声も、視線もなかった。
「――中尉!」
「見えてる」
見えていたが、意味が分からなかった。
戦場でこれに似たものを見たことがある。
訓練された部隊だ。
一人が倒れれば、残りが役割を埋める。
だがそれは、目で見て、声を出して、何年もかけて体に入れた動きだ。
こいつらには、目がない個体もいる。
声を出す喉が、裂けている個体もいる。
「――一体が見たものを」
全部が、見てる。
リラが動いた。
一瞬消える。
そして次の瞬間には、右へ回った個体の目の前にいた。
腕を掴み、なぎ倒し、踏みつぶした。
バンともガンともつかない大きな音が鳴り、床がへこんだ。
振り返る動作の途中で、もう一体の胸を蹴った。
鉄格子に、めり込む。
止まらなかった。
彼女は、一度も、止まらなかった。
カイルは撃ちながらその動きを見ていた。
七年あの店で彼女が動くのを見てきた。
棚から品を下ろす。
布で包む。
札を掛ける。
どれも、同じ速さだった。
ゆっくりで無駄がなく、途中で止まらない。
感染者を投げるのも、水が流れるように淀みなかった。
「アーネスト、さっきの音だ!あれを止めろ!」
「――止める?」
「壁から出てるって言ったな!装置があるはずだ!探せ!」
「探すって、この区画のどこに、」
「お前が探さなきゃ、誰が探すんだ!」
アーネストが動いた。
震えていた。震えたまま端末を掲げて、波形の強度を追いはじめた。
がむしゃらに壁沿いに走る。
その背中を二体が追った。
カイルはその二体の間に体を入れた。
一体を撃ち、もう一体が、彼の肩に爪を立てた。
装甲が、鳴った。
身体を捩ろうとも抜けない。
爪越しに、押された。
膝が、床に落ちる。錨を下ろすように下へ。
その個体の顔が、近かった。
牙がのぞき、歯が鳴っていた。
雪原で聞いたのと同じ音だった。
あの時、こいつらは耐えていた。
今は、耐えていない。
命令が、変わったのだ。
「――この人はダメ」
歯の軋む音が消えた。
リラの腕が、その個体の頭を掴んで上へ引き抜いた。雑草でも引くように。
肉片が散った。
おかしなくらい黒かった。
墨を撒いたような色だ。
「――助かった」
「ん」
彼女は、もう次を見ていた。
赤い光が、また消えた。




