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第15話 手形

ドローンが放たれたのは、一時間後だった。

艦橋の画面に、外壁の映像が流れる。

無音の映像だった。

灰色の装甲板が、ゆっくりと過ぎていく。


継ぎ目。

番号。

塗装の剥がれ。


何もない。


やがて、それが映った。

誰かが息を呑んだ。


手の跡だった。

装甲の表面に、五本の指がはっきりと残っている。


掌の輪郭。

指の腹の位置。

関節の窪みまで。

赤黒いものが、掌の形に付着していた。


ドローンが、近づく。

人の手だった。

大きさも、形も、指の本数も。

掌を装甲に押しつけたら、そのまま重なりそうな。


装甲には、傷ひとつなかった。

凹みも、擦過も、抉れもない。

ただ、触れた跡だけがあった。


「……位置は」


誰かが訊いた。

オペレーターが、艦の断面図を呼び出す。

外壁の座標が、そこに落ちる。


一点が、光った。


誰も、何も言わなかった。

そこは、管制室だった。

この部屋の、真裏だった。


レインは、動かなかった。

画面を見ている。

誰の目にも、そう見えたはずだった。

だが、彼が見ていたのは、光った一点ではなかった。

その位置だ。


壁の、内側。

あの時、誰が立っていたか。

彼女は、そこに立っていた。

壁を向いて、彼の前に。

音が鳴る、前から。


情報整理は、夜明け前に行われた。卓の上に、手形の静止画が投影されている。

誰もが、それを見ないようにしていた。

見ないようにしながら、それでも目の端に入る。


誰かが姿勢を変えるたび、椅子が鳴った。


「攻撃を受けた、とは考えていません」


レインが口を開いた。


「破壊する意図があれば、あの距離で、いくらでもできた。……あれは、触れただけです」


「触れて、どうする」


カイルが尋ねた。


「確かめたんでしょう。……何が、ここを飛んでいるのかを」


レインは、静止画を指で拡大した。赤黒い指の輪郭が、卓の上に大きく浮かぶ。

関節の窪みまで、はっきりと見えた。


「そして、去った。攻撃せずに」


彼は、指を離した。


「つまり、あちらは既に、我々の存在を把握しています」


部屋の空気が、僅かに動いた。


「……もう一つ」


レインは続けた。

声の調子は変わらない。


「触れられたのは、管制室の外壁です」


誰かが、顔を上げた。


「艦は大きい。外壁の面積は、この部屋の何百倍もある。……そこから、この一枚が選ばれた」


彼は、断面図を呼び出した。

艦の輪郭の中で、一点だけが光っている。


「偶然かもしれません。……ですが、あちらは、この艦のどこに何があるかを、知っていた可能性がある」


沈黙が落ちた。


「……もう一つ」


三度目だった。


「今回の目的地は、極秘扱いです。フロストヴェイルという地名を知っている人間は、この艦の中でも、ごく限られています」


彼は、そこで言葉を切った。誰も、何も言わなかった。


投影の光が、卓を囲む顔を下から照らしている。

誰かが、僅かに視線を動かした。それを、別の誰かが見た。

見られたほうが、また目を伏せる。


椅子が、鳴った。

言葉にした者はいなかった。


それでも、同じ一語が、部屋にいる全員の頭の中で、同時に灯っていた。





レインは、その顔を一つずつ見た。

自分の部隊だった。名前も、経歴も、家族の有無も知っている。

その全員が今、隣の人間を疑いはじめている。


そして、この部屋にはもう一人いた。

リラだった。


卓の端に座っている。

表情は変わらない。

手も、膝の上で動かない。


――音が鳴る前から、あの女はそこに立っていた。


言えば終わる。この部屋の空気は今、火薬のようになっている。

名前を一つ落とせば、それで着火する。

証拠は何もない。


壁を向いて立っていた、それだけだ。

それだけで、この部屋は彼女を吊るす。


そして、もし違ったなら。


レインは、自分の腹のあたりを見た。

あの時、そこに手があった。

触れてはいない。僅かに、離れていた。

突き飛ばすための、掌の向きで。


――庇っていた。


そう解釈することも、できる。

確証はない。どちらの解釈にも、確証はない。

だから、言わない。


レインは、静止画を消した。


「……以上です」


誰も席を立たなかった。





人が引いた後の部屋に、アーネストだけが残っていた。

卓の上には、もう何も投影されていない。

彼は、自分の端末を開いた。


指が、動く。


『手形——管制室外壁。艦内構造の把握を示唆』


そこまで打って、止まった。彼は、部屋の奥を見た。

壁があった。灰色の、継ぎ目のない金属板。

その、真裏だ。


アーネストは、しばらくそれを見ていた。

それから、端末に視線を戻し、続きを打った。


『体表温度、平常時より低い。運動負荷後も上昇せず』


指が、また止まる。別の項目だった。

今日の話ではない。走った後の格納庫で、彼が取り損ねた数値だった。

なぜ今、それを打ったのか。

自分でも、分からなかった。


彼は、その二行を並べて見た。


手形。

体温。

何の関係もない。関係があるはずもない。

それでも、同じ画面の上に、それは並んでいた。


アーネストは、保存し、端末を閉じた。


画面の光が消え、部屋が急に暗くなった。

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